第42話 “みんなで”が成立するのは最初の一時間くらいまでらしい
“みんなで回る”という言葉は、口にするぶんにはとても便利だ。
曖昧で、やわらかくて、誰も傷つかない。
誰かを特別扱いしすぎることもなく、かといって冷たくもない。
祭りみたいな人の多い場所では、なおさら都合がいい。
――ただし、それが本当に成立するとは限らない。
影山涼太は、四人で屋台通りを歩き始めて十五分ほどで、その事実を痛感していた。
「……もう無理だろ、これ」
心の中で小さく呟く。
口に出したらみずきに笑われ、ことりに困ったように見られ、レナに呆れられ、つばさに「予測通りです」と言われる未来が見えるから言わない。
今、ここにいるのは四人だ。
藤宮みずき。
朝比奈ことり。
黒瀬レナ。
そして影山涼太。
つばさはまだ来ていない。
図書室の仕事が終わったら、という話だった。
つまり今のところは四人。
なのに、たった四人で歩いているだけなのに、空気の処理が妙に難しい。
みずきは前へ出る。
ことりは静かに隣を取る。
レナは一歩引いたところにいるようでいて、ちゃんと自分の位置を見ている。
そして自分は、それぞれのテンポの違いをなんとなく感じ取りながら歩いている。
そんなこと、普通の男子高校生が祭りの最中に考えることだろうか。
「影山、次あっち行こ!」
みずきが振り返って言う。
指さした先には、射的と輪投げが並んでいる。
「え、ちょっと待って」
ことりが小さく声を上げた。
その手にはまだ食べ終わっていないりんご飴がある。
みずきは足を止める。
「あ、ごめん。朝比奈まだ食べてた?」
「はい、少しだけ」
「先に言ってよー」
「言う前に進んだのは藤宮さんです」
声は穏やかだ。
でもことりの言葉の端には、ほんの少しだけ“急がないでほしい”が乗っている。
そこへ、レナが横からぼそりと言う。
「最初から飛ばしすぎ」
「祭りなんだからいいじゃん!」
みずきが反射で返す。
「祭りでも人のペースはあるでしょ」
「黒瀬までそういうこと言う?」
「言う」
影山はその真ん中で、りんご飴と射的と人の流れを見比べながら、小さく息を吐いた。
もうすでに、“みんなで同じテンポ”が崩れ始めている。
◆
射的の屋台の前で、みずきは結局やる気満々だった。
「影山、やろう」
「なんで俺まで」
「祭りっぽいから!」
「その理由便利だな」
「いいの。今日は全部それで押す」
そう言って、みずきは店のおじさんからコルク銃を受け取る。
私服の袖を少しだけまくる仕草が妙に自然で、影山は一瞬だけそれを見てしまった。
「何」
みずきが気づく。
「いや、別に」
「見た」
「見てない」
「見たよね」
この距離の近さが、みずきの空気だ。
教室でもそうだが、祭りの中だとそれがさらに強くなる。
ことりはその少し後ろで、りんご飴を持ったまま静かに見ている。
口は出さない。
でも、その見ている感じがまた少し違う。
みずきみたいに前へ出ないかわりに、ちゃんと視線で参加している。
空気から抜けない。
レナは一歩横へずれて、屋台の景品を眺めていた。
関わっていないようで、でも完全には離れない。
それぞれの距離感が全部違う。
「よし、見てて!」
みずきが言う。
コルク銃を構える。
狙いは上の棚の小さなぬいぐるみ。
「それ無理だろ」
影山が言うと、みずきは「うるさい」と笑いながら引き金を引いた。
乾いた音。
コルクは景品のかなり手前で落ちる。
「あー!」
「だから言った」
「今のはまだ調整!」
店のおじさんまで少し笑っている。
ことりが小さく吹き出した。
レナも口元だけで笑った気がした。
こういう時、みずきは空気を明るくする。
でも、その明るさのぶんだけ、自然に影山を自分の近くへ引っ張る。
それが分かるから、見ている側もただ笑っていられないのかもしれない。
「影山もやって」
「なんでだよ」
「一回くらい!」
みずきがコルク銃を押しつけてくる。
その勢いに押されて受け取るしかない。
「じゃあ一回だけな」
「やった」
影山が構えると、みずきは当然のようにそのすぐ横へ寄ってくる。
「近い」
「見たいから」
「そういう問題か」
「そういう問題」
そのやり取りを、ことりが少しだけ静かな顔で見ていた。
レナは景品棚を見ているふりをしているが、たぶん半分くらいはこちらを見ている。
これだ。
こういう時だ。
何か大きなことが起きているわけではない。
でも、“二人の瞬間”が小さく生まれる。
しかもそれが、それぞれ違う形で起こる。
影山は適当に狙いをつけて撃った。
コルクは景品の横をかすめて落ちる。
「惜しい!」
「惜しくないだろ」
「いやでも今のちょっと惜しかったよね?」
みずきがぐいぐい来る。
そのテンションを、ことりは少し離れた位置から静かに受け止めている。
レナはその両方を見て、たぶん少しだけ面倒そうにしている。
“みんなで”って、こういうことじゃないだろう。
でも、こういうことにしかならない気もする。
◆
射的のあと、次はことりが足を止めた。
「……あ」
「何?」
みずきが聞く。
ことりの視線の先には、小さな和風の小物を売っている屋台があった。
根付けや、ガラス玉のついた髪飾り、和紙のしおりなんかが並んでいる。
「きれいですね」
ことりが言う。
その言い方はほんとうに静かだった。
でも、影山には分かる。
ことりがこういう時に足を止めるのは、ただ“見たい”の一歩手前まで気持ちが動いている時だ。
「見ればいいだろ」
影山が言うと、ことりは少しだけこちらを見る。
「いいんですか」
「祭りなんだから」
みずきが「あ、それ私の理屈」と笑う。
ことりは少しだけ笑って、小物の方へ寄る。
今度はみずきが一歩引き、レナも少しだけ後ろへ下がった。
そして、自然に影山がことりの近くに残る。
それもまた、“二人の瞬間”だった。
「これ、かわいいですね」
ことりが小さなガラスの根付けを指で持ち上げる。
提灯の明かりがあたって、淡い色がやわらかく透ける。
「朝比奈っぽいな」
思わず影山が言った。
ことりが一瞬、ほんとうに一瞬だけ止まる。
「……そうですか」
「うん」
「どうしてですか」
「なんとなく、落ち着いてる感じ」
言ってから、少しだけ言葉が足りなかったかもしれないと思う。
でもことりは困った顔ではなく、少しだけうれしそうな顔をした。
「ありがとうございます」
その“ありがとうございます”が、さっきの射的の時とはまた違う温度を持っている。
みずきが少し離れたところからそれを見ていて、何も言わないかわりに、レナと一瞬だけ視線を交わした。
レナは露骨に「ほらね」という顔をしている。
影山はその微妙な空気まで感じ取ってしまって、また少しだけ疲れた。
今の会話は、ことりとの時間だった。
でもその“ことりとの時間”ができた瞬間に、みずきやレナの中でも何かが少し動く。
たぶん自分も、逆の立場ならそうなるのかもしれない。
だからこそ余計にややこしい。
「買わないのか?」
影山が聞くと、ことりは少しだけ迷ってから首を横に振った。
「今日は見るだけにしておきます」
「そっか」
「でも、見られてよかったです」
そう言って、ことりは根付けを元の場所へ戻した。
その一言の意味が、少しだけ広く聞こえる。
“屋台を見られてよかった”だけではないような気がして、影山は一瞬だけ黙った。
◆
通りの真ん中へ戻ると、人の流れはさらに強くなっていた。
花火までまだ時間はあるが、中心の方へ早めに移動する人が増えているのだろう。
子ども連れ、カップル、友達同士の集団。
四人で歩くには、さっきよりも明らかに難しい。
「ちょっと待って、あっちから人すごい」
みずきが言う。
「こっち寄った方がいいかも」
言いながら、自分から影山の少し前へ出る。
それに対してことりも、歩幅を変えて影山の左側へ自然に寄った。
レナはその後ろをついてくる形になる。
「……うわ」
影山は本気で小さく声を漏らした。
「何」
みずきが振り向く。
「いや、もうこれ無理だろ」
「何が?」
「四人で同じテンポで動くの」
ことりが少しだけ苦笑する。
「たしかに」
レナも短く言った。
「最初の一時間くらいが限界」
「黒瀬、その言い方」
「事実でしょ」
みずきは少しだけ肩をすくめる。
「まあ、分かるけど」
「分かるんだな」
「だってさ、みんなでいても、結局ちょっとずつ違うもん」
その言葉は、思っていたよりずっと本質に近かった。
みずきは、前へ出たい。
ことりは、静かに並びたい。
レナは、離れすぎず近づきすぎずでいたい。
そして自分は、それぞれの間で平等を考えてしまう。
その“違う”がある以上、ずっと一つの塊でいるのは無理だ。
「じゃあどうする?」
影山が聞く。
誰に向けた問いでもない。
でも、たぶんみんな同じことを考えていた。
ことりが少しだけ周囲を見回してから言う。
「無理にまとまらなくても、いいのかもしれません」
その言い方はやさしい。
でも、そこにはかなり冷静な判断がある。
「たとえば、少しだけ別れて、また合流するとか」
「それ、かなり現実的だね」
みずきが言う。
レナも小さくうなずいた。
「人混みの中で四人ともずっと一緒は疲れる」
「だよな……」
影山が答えた、その時だった。
前から来た浴衣姿の集団が大きく広がり、通路の幅が急に狭くなる。
人の流れがぶつかって、みずきが「ちょ、待っ」と声を上げる。
ことりの袖が人に当たりそうになるのが見えて、影山はとっさに一歩動いた。
「朝比奈、こっち」
「え」
ことりの手首ではなく、浴衣の袖を人に踏まれないよう軽く引く。
その瞬間、みずきは別方向へ押され、レナも一歩下がって人の波を避けた。
ほんの数秒。
でも、その数秒で流れは分かれた。
「藤宮!」
「大丈夫!」
「黒瀬!」
「平気!」
声は届く。
でも、人の流れはすぐには戻らない。
影山は気づいた。
今、自分のすぐ横にいるのはことりだけだ。
ことりも、同じことに気づいたらしい。
提灯の灯りの下で、少しだけ驚いた顔をしている。
向こうにはみずきとレナ。
こっちには影山とことり。
“みんなで”が崩れる瞬間は、こんなふうにあっけないのかもしれない。
「……影山くん」
ことりが小さく呼ぶ。
「ん」
「少し、移動した方がいいかもしれません」
「ああ」
影山はうなずいた。
四人で回る形は、たぶんここまでだ。
少なくとも今この瞬間は、もう元には戻らない。
そしてそのことを、向こうのみずきも、レナも、ちゃんと理解した顔をしていた。
夏祭りの“みんなで”が成立するのは、最初の一時間くらいまでらしい。
その現実を、影山はこの時はじめて本気で理解した。
そして次の瞬間にはもう、ことりとの“二人の時間”が始まろうとしていた。




