第41話 近寄りがたい女子は、祭りの夜だと少しだけ素直に見える
黒瀬レナは、駅前の祭りに来るつもりは最初からそこまで強くなかった。
――ということにしていた。
実際には、昼の時点でもう半分くらい決まっていた。
教室で夏祭りの話が出るたびに、みずきの声が少しだけ弾むのも、ことりが静かな顔で予定を確認するのも、白鳥つばさが外側にいるふりをしながら結局来る気でいるのも、全部見えてしまっていた。
その中で、自分だけが“興味ない”を通すのが妙に落ち着かなかった。
興味がないわけではない。
祭りそのものより、そこにいる“誰と誰がどういう時間を過ごすのか”の方が、今の自分にはよほど気になる。
「……最悪」
家を出る前、鏡の前でレナは小さく呟いた。
浴衣は着ていない。
そもそも最初からその選択肢はなかった。
ああいう、人に“見せる”ことが前提みたいな服は、今日の気分には合わない。
代わりに選んだのは、少し落ち着いた色のトップスと細身のパンツ、薄いカーディガン。
私服としては珍しくない。
でも、普段よりほんの少しだけ整えている自覚はあった。
それがまた気に入らない。
「別に、誰に見せるわけでもないし」
自分に言い訳しながら髪を整える。
誰に見せるわけでもない。
会えたら会う。
会わなければそれでいい。
そういうことにしておきたかった。
◆
祭り会場へ着いた時点で、レナは少し後悔した。
人が多い。
分かっていたことだが、実際にこの中へ入ると想像以上にうるさい。
屋台の灯り、焼き物の匂い、子どもの声、遠くで鳴る音。
全部が重なって、普段より少しだけ呼吸が浅くなる。
「……やっぱ来なきゃよかったかも」
そう思った、その直後だった。
通りの少し先、提灯の明かりの下に見慣れた三人がいた。
影山涼太。
藤宮みずき。
朝比奈ことり。
三人で歩いている。
みずきは相変わらず元気そうで、ことりは浴衣姿で静かに隣へいる。
影山はその真ん中で少しだけ困ったような顔をしていた。
その光景を見て、レナは一瞬だけ足を止める。
分かっていた。
こういう場面に遭遇するかもしれないことは。
みずきもことりも、今日ここへ来ると知っていた。
でも、実際に目の前にすると少しだけ気分がざらつく。
自分だけが、まだその輪の外にいる感じがした。
「……ほんと、面倒」
小さく吐き出した時だった。
影山が、ふとこちらへ顔を向けた。
目が合う。
一瞬だけ、祭りの音が遠くなった気がした。
「黒瀬?」
影山が言う。
みずきとことりも、ほぼ同時にこちらを見る。
「あ」
みずきが先に反応した。
「レナ!」
その呼び方はやめてほしい。
祭り会場のど真ん中で元気よく呼ばれると、こっちが必要以上に目立つ。
「……何」
できるだけいつも通りの声で返す。
みずきはすぐに笑った。
「来たんだ」
「たまたま」
「絶対違う」
「違わないし」
でも、そのやり取りの最中もレナが少しだけ意識していたのは、影山の反応だった。
影山はみずきみたいに大きく騒がない。
ことりみたいに静かに見つめてくるわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ目を細めて、それから短く言った。
「会えたな」
その一言が、思っていたより強かった。
レナは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……会えたら会おう、みたいな話だったでしょ」
「そうだな」
影山が答える。
その“そうだな”が、ちゃんと覚えていた人の声だった。
レナはそこで、少しだけ肩の力を抜いた。
腹立たしいことに、会えた瞬間からさっきまでのざらつきが少し軽くなっている。
◆
「で?」
みずきがレナを上から下まで見て言う。
「何」
「私服、ちゃんとしてるじゃん」
「普通だけど」
「いや、普通だけど、ちゃんとしてる」
その言い方が嫌だ。
まるで“気合い入れてきたの見えてるよ”みたいな言い方だ。
「別に」
「出た」
みずきが笑う。
ことりが、その横でやわらかく言った。
「でも、すごく似合っています」
レナは一瞬だけことりを見る。
浴衣姿のことりにそんなことを言われると、妙な説得力があった。
「……朝比奈に言われると、なんか負けた気がする」
「何にですか」
「いろいろ」
ことりは少しだけ困ったように笑う。
その笑い方を見ると、やっぱり今日のことりはかなり強い。
浴衣のせいだけではない。
影山の前で、少しだけ自然に柔らかくなっている。
それを見てしまうと、レナは少しだけ悔しくなる。
「黒瀬」
影山が言う。
「ん?」
「私服、似合ってる」
今度は、完全に不意打ちだった。
「……は?」
思わずそんな声が出る。
影山は少しだけ怪訝そうな顔をした。
「何だよ」
「何だよ、じゃない」
「またそれか」
「またそれって何」
「普通に言っただけだろ」
普通に言うな。
普通に言われるから困るのだ。
みずきが横で「ほら出た」と声を上げ、ことりがほんの少しだけ目を伏せる。
その空気の揺れを感じながら、レナは自分の頬が少し熱くなっているのを自覚した。
「……ありがとう」
ぶっきらぼうにそれだけ返す。
でも、今の一言でさっきまでの気まずさはかなり薄れた。
レナはそこで、少しだけ思う。
この人はやっぱりずるい。
来たかどうかを気にしていたような一言を言って、さらに私服まで普通の顔で褒めてくる。
それでいて、自分がどれだけ効いているかは半分くらい分かっていない。
「で、どうする?」
みずきが明るく聞く。
「何が」
「一緒に回る?」
その問いに、レナはすぐには答えなかった。
ほんとうは、それがいちばん自然な流れなのだろう。
三人がいるところへ自分も加わる。
夏祭りだし、クラスメイトだし、“みんなで”の形は一番無難だ。
でも、無難だからこそ少しだけ落ち着かない。
ことりもいる。
みずきもいる。
その中へ自分が入ると、たぶんまた妙な空気になる。
影山がその迷いを見たのか、少しだけ声を落として言った。
「無理なら別に」
その言い方はいつも通りだ。
引き止めもしないし、無理に入れようともしない。
でも、その“無理なら別に”の前に、“来るなら普通に来い”と同じ種類の余白がある。
「……少しなら」
レナは小さく答えた。
「少しだけ、一緒でもいい」
みずきが「はい来た」と小声で笑う。
「何」
「いやー、素直じゃんって」
「うるさい」
ことりは静かに一歩分だけ横へずれた。
自然に、レナが入りやすい位置を空ける。
その気遣いがありがたくて、でもちょっと悔しい。
「じゃ、四人?」
みずきが言う。
「白鳥ちゃん来たら五人だね」
「白鳥も来るのか」
レナが聞くと、影山が頷く。
「仕事終わったらって」
「……そっか」
そう返しながら、少しだけ思う。
ほんとうに、今日は全員来るんだなと。
そしてその全員が、何となく影山の近くへ寄る気でいる。
そんな夜に、自分もちゃんと来てしまった。
そこまで理解すると、急に逃げたくなるような、逆に落ち着くような、妙な気分になった。
◆
四人で屋台通りを歩き出す。
みずきが前へ出て、ことりが静かに隣を取り、レナは少しだけ後ろ寄り。
影山はその全部を気にしているような、いないような、微妙な顔で歩いている。
その様子が少しだけおかしくて、レナは心の中で小さくため息をついた。
たぶん、誰も悪くないのだ。
みんな、ただ一緒にいたいだけ。
でも、その“ただ”の形がそれぞれ違うから、空気がややこしくなる。
「何食べる?」
みずきが聞く。
「さっきまで何食べてたの」
レナが返す。
「たこ焼きととうもろこしとかき氷」
「食べすぎ」
「祭りだから!」
ことりが少しだけ笑う。
レナはその横顔を見て、自分が思っていたより落ち着いていることに気づく。
会えた。
ちゃんと私服を見てもらった。
一緒に回る流れになった。
それだけで、最初のざらつきはだいぶ消えている。
影山がふいに、レナの歩幅に合わせるように少しだけ速度を落とした。
「疲れてないか」
「まだ平気」
「ならいい」
たったそれだけ。
でも、自分に向けた気遣いだと分かる。
レナは少しだけ視線を逸らして、小さく言った。
「……ありがと」
影山は何も言わずに少しだけ頷いた。
そのやり取りを、ことりもみずきも見ていたかもしれない。
でも今は、それをそこまで気にしたくなかった。
祭りの夜は、少しだけ人を素直にする。
少なくとも、自分はそうかもしれない。
◆
通りの真ん中あたりまで来たところで、人の流れがまた強くなった。
前から家族連れが来て、横から浴衣姿の集団が抜けていく。
四人で歩くには少し詰まる。
みずきが「こっち!」と先に動く。
ことりもそれに合わせる。
レナが少し遅れて足を動かした時、また人の肩がぶつかりそうになった。
だが、今度はぶつからなかった。
影山が自然に一歩だけ前へ出て、レナの進むスペースを作ったからだ。
「……何それ」
思わず言う。
「何が」
「そういうの、さらっとやるの」
「人多いだろ」
「分かってる」
「じゃあいい」
いいわけがない。
でも、今それを言葉にするとまた余計に面倒になる。
レナは祭りの音に紛れるように小さく呟いた。
「……ほんと、普通にしてるのずるい」
「何か言ったか」
「別に」
影山は少しだけ笑ったようだった。
またそれか。
そう思われたかもしれない。
でも、それでいい気もした。
今はまだ、そのくらいがちょうどいい。
近寄りがたい女子は、祭りの夜だと少しだけ素直に見える。
もし誰かがそう言うなら、たぶん今日はその通りだ。
自分でも気づくくらいには、会えてうれしかったから。




