第40話 三人で回っているはずなのに、空気だけは全然平等じゃない
夏祭りの夜は、人の多さだけで距離が変わる。
影山涼太は、朝比奈ことりが浴衣姿で合流してから十分もしないうちに、そのことを嫌というほど思い知らされていた。
三人で歩いている。
それは事実だ。
藤宮みずきがいて、朝比奈ことりがいて、そして自分がいる。
誰か一人が外れているわけでもないし、露骨に二人だけの空気を作っているつもりもない。
なのに、まったく平等じゃない。
みずきは前へ出る。
ことりは静かに隣を取る。
そのたびに、影山はどちらへどう反応すればいいのか分からなくなる。
「……やっぱり祭りって面倒だな」
思わず小さく呟く。
「何か言った?」
みずきが振り向く。
「いや、何でもない」
「今日それ多いよね」
「朝比奈にも言われた」
「それはもう言いすぎなんじゃない?」
「言いたくなる状況なんだよ」
そう返した瞬間、ことりが少しだけ首をかしげた。
「私たちのせいですか」
「それは」
即答しにくい聞き方をするな、と思う。
でもここで変に誤魔化すと余計ややこしい。
「祭りのせいもある」
結局そう答えると、ことりは小さく笑った。
「半分くらいは認めるんですね」
「全部は認めたくない」
「じゃあ、半分は私たちのせいなんだ」
今度はみずきがうれしそうに言う。
「そこ喜ぶな」
「だって影山、そういうの絶対言わなそうだし」
いや、言わないつもりだった。
でも今日は、最初から調子が狂っている。
みずきの私服も。
ことりの浴衣も。
祭りの夜の空気そのものも、全部が少しずつ自分の平常心を削ってくる。
◆
かき氷を食べ終えたあと、三人は少し通りの中央寄りへ戻った。
屋台の灯りが明るい。
焼き物の匂いが風に流れてくる。
遠くでは、花火の前に少しでもいい場所を取ろうとしているのか、人の流れがじわじわ偏り始めていた。
「次どこ行く?」
みずきが元気よく聞く。
「食べ物以外にもしたい!」
「さっきまで食べ物優先だっただろ」
「祭りはテンションで変わるの」
「便利な言い訳だな」
そう言いながら、影山は横目でことりを見る。
ことりは下駄の鼻緒を気にするように少しだけ足元を見ていた。
歩きにくくないのか気になる。
「朝比奈、足大丈夫か」
自然に口から出た。
ことりが顔を上げる。
「え?」
「下駄。さっきから少し歩幅狭いだろ」
ことりは一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ微笑んだ。
「……気づいてたんですね」
「見れば分かる」
「大丈夫です。少しだけ慣れないですけど、歩けます」
「無理なら言えよ」
「はい」
そのやり取りのあいだ、みずきが少しだけ黙っていた。
黙っていたが、黙っているだけで終わるタイプではない。
「影山ってさ」
「何」
「今の、かなり自然に彼氏みたいだったよ」
「またそれか」
「いやほんとに」
みずきは笑いながら言う。
「浴衣の子の足元ちゃんと見てるの、だいぶポイント高いって」
「そういうのやめろ」
「えー、でも朝比奈もうれしそうだったし」
「……藤宮さん」
ことりが少しだけ困ったように言う。
でも、完全に否定はしない。
そのことが、余計に影山を困らせる。
「別に、朝比奈が歩きにくそうだったから聞いただけだろ」
「そういうとこだって」
「何が」
「無自覚」
みずきが即答する。
それを横でことりが小さく笑って受け入れているのが、さらに面倒だ。
しかも、自分でも今の問いかけが少しだけ“個人”へ寄ったものだった自覚がある。
みずきが同じ状態だったら、やはり聞いていただろう。
でも、だからといってそれが完全に同じ形だったかと言われると、少し自信がない。
それがもう嫌だった。
◆
射的屋の前を通りかかると、みずきがすぐに反応した。
「またやりたい」
「さっきやっただろ」
「今度こそ取れそう!」
「その自信どこから来るんだ」
「祭りのノリ!」
ことりが少しだけ笑う。
「藤宮さんは、祭りの夜だといつも以上に強いですね」
「でしょ?」
「羨ましいです」
その一言に、みずきが反射でことりを見る。
「え、朝比奈そういうの言う?」
「今日は少しだけ」
ことりは浴衣の袖を押さえながら、静かに言った。
「普段より、言いたいことを言ってもいい気がするので」
その言葉はたぶん、みずきに向けているようでいて、半分くらいは影山にも向いていた。
影山は思わずことりを見る。
ことりはその視線を受けて、少しだけ頬を赤くした。
でも逸らさない。
「……朝比奈、今日ほんと強いな」
みずきが言う。
「強くないです」
「いや、強いって」
「そうかな」
「そうだよ」
二人のやり取りは穏やかだ。
穏やかなのに、空気の奥で小さく火花が散っている感じがする。
みずきは前へ出る。
ことりは静かに引かない。
どちらも攻撃的ではない。
でも、“ちゃんとここにいる”ことを互いに譲らない。
その真ん中にいる影山は、本気で逃げ場がない気分になった。
「……三人で回ってるだけなのに、なんでこんな疲れるんだろうな」
また本音が漏れる。
みずきが笑う。
「影山、それ顔に出てる」
「出るだろ、そりゃ」
「でも嫌そうっていうより、困ってる感じ」
ことりが静かに補足する。
「たぶん、全部ちゃんと反応しようとしてるから」
その言い方に、影山は少しだけ言葉を失った。
図星だった。
みずきの勢いも、ことりの静かな近さも、どちらも雑には扱いたくない。
だからこそ、どう反応するのが正解なのか分からなくなる。
「朝比奈って、こういう時の分析きれいだよね」
みずきが言う。
「藤宮さんは、たまに雑すぎます」
「ひどっ」
「事実です」
その返しにみずきがむっとする。
でも次の瞬間には笑う。
結局二人とも、根本では相手が嫌いなわけではないのだ。
だから余計に、ややこしい。
◆
人の流れが少し強くなってきた。
花火の開始が近いのか、通りの中心側へ移動する人が増えている。
三人で並んで歩くには、少しだけきつい。
「こっち寄った方がいいかも」
みずきが先に言って、影山の右側へ回る。
すると、ことりは少し遅れて左側へ自然に寄った。
それだけだ。
たったそれだけなのに、影山の両側がきれいに埋まる。
「……おい」
思わず言う。
「何?」
みずきが聞く。
「いや」
ことりも同時にこちらを見る。
「何でしょう」
何でしょう、じゃない。
右にみずき。
左にことり。
どちらも自然な顔をしているのに、結果だけ見ると妙にできあがった配置になっている。
「近い」
影山が率直に言うと、みずきはすぐに笑った。
「人多いからだよ?」
「そうですね」
ことりまで同意する。
その“人多いから”が、まったくの嘘ではないのがまた厄介だった。
でも、嘘じゃないからといって、こちらの心拍数まで平穏でいられるわけではない。
みずきは右から、少しだけ肩が触れそうな距離。
ことりは左で、浴衣の袖がわずかに近い。
どちらへ意識を向けても落ち着かない。
「……祭りって怖いな」
「何それ」
みずきが笑う。
「今日だけで何回目?」
「かなり言ってる気がします」
ことりも少しだけ笑った。
その笑顔の温度が違う。
みずきの笑いは明るくて押してくる。
ことりの笑いは静かで、でもじわじわ残る。
その違いが、今夜はやけにはっきり見える。
◆
少し広い場所へ出て、三人でいったん立ち止まる。
屋台の灯りが少し遠くなり、人のざわめきだけが残る。
ここなら少しは呼吸しやすい。
「……やっぱりさ」
みずきが先に言った。
「三人で回るのって、思ったより難しいね」
ことりがうなずく。
「はい」
「喧嘩してるわけじゃないんだけど」
「それぞれペースが違うので」
「そうそう」
二人が妙に冷静に合意している。
それもまた不思議な光景だった。
影山はそこで、ようやく自分の中にあった違和感を言葉に近づける。
「……平等じゃないんだよな」
「え?」
みずきが聞く。
「三人で同じように回ってるつもりでも、たぶんそうなってない」
ことりが静かに目を細める。
「それは、たぶんそうです」
「でしょ?」
影山はため息をつく。
「みずきは前から来るし、朝比奈は静かだけどちゃんと隣取るし」
「うわ」
みずきが笑う。
「ちゃんと見えてるじゃん」
「見えるよ。だから困ってるんだろ」
「私は、そんなつもりで動いているわけでは……」
ことりが言いかける。
でもそこで少しだけ止まる。
たぶん、自分でも完全に否定はできないのだろう。
「……ない、とは言い切れないかもしれません」
最後は小さくそう言った。
その正直さに、みずきが一瞬黙る。
影山も言葉を失う。
やっぱり今日は、みんな少しだけ普段より素直だ。
「ほら、そういうとこだって」
みずきがことりへ向かって言う。
「静かに強い」
「藤宮さんほどではないです」
「私はうるさく強いから」
「自分で言うんですね」
「言うよ」
二人とも笑っている。
でもその笑いの奥に、相手をちゃんと見ている感じがある。
その空気を前にして、影山は自分の胸の内を認めざるを得なかった。
自分はもう、“みんなに同じ顔で、同じ返事をしていれば済む”場所にはいない。
みずきへ向ける反応と、ことりへ向ける反応は、少しずつ違ってしまっている。
もちろん、自分の中ではまだ曖昧だ。
でも、その曖昧さ自体がもう、完全な平等ではない証拠なのだろう。
「……ほんとに面倒だな」
ぽつりと言う。
すると、ことりがやわらかく言った。
「でも、悪い面倒ではなさそうです」
「朝比奈、そこまで分かるのか」
「少しだけ」
みずきもにやっとする。
「私もそう思う」
影山は二人を見て、本気で反論しづらくなった。
たしかに、ただ嫌なだけならここまで一緒にいない。
ここまで心拍数が上がることもない。
面倒で、落ち着かなくて、でもたぶん少しだけ楽しい。
そのことを、この二人はちゃんと見抜いている。
◆
遠くで、花火の前触れみたいな音がした。
人の流れがまた大きく動く。
通りの奥から、一斉に人が場所を探し始めていた。
「そろそろ来るかも」
ことりが言う。
「だね」
みずきが応じる。
三人で顔を見合わせる。
次の瞬間には、また人の流れに飲まれて、今のこの微妙な均衡も崩れるのだろう。
誰かと二人になるかもしれないし、誰かとはぐれるかもしれない。
でも今、この短い時間の中で一つだけはっきりしたことがある。
三人で回っているはずなのに、空気だけは全然平等じゃない。
そして、その不平等さを一番よく感じているのは、たぶん影山自身だった。
だからこそ、次にこの空気が崩れる瞬間が、少しだけ怖くもあり、少しだけ気になってもいた。




