第38話 元気系女子は祭りの最初から飛ばしすぎて、こっちの心拍数まで上げてくる
藤宮みずきは、祭りの最初の十分がいちばん大事だと思っていた。
もちろん、誰かにそう教わったわけではない。
恋愛マニュアルを読んだこともないし、夏祭りを“勝負の日”みたいに考えるタイプでも、たぶんない。
でも、今日は少し違う。
影山涼太と最初に会った。
しかも、ちゃんと似合ってると言われた。
あれはかなり大きい。
だからこそ、ここから先をぐずぐずしていたらもったいない気がした。
「よし」
「何がよしなんだよ」
隣を歩く影山が、少し呆れた声で聞く。
「今のは気合い」
「もう十分飛ばしてるだろ」
「まだ序盤だよ?」
「それが怖いって言ってる」
祭りの通りは、思っていたより人が多かった。
屋台の灯りが道の両側に並び、色のついた提灯が夜へ向かう空の下で揺れている。
まだ完全な夜ではない。
でも、夕方と夜のあいだのこの時間が、いちばん“祭り”っぽい気がした。
みずきはその空気の中で、影山が隣にいることを何度も意識していた。
学校で並ぶのとは違う。
土曜のショッピングモールとも違う。
今日はもっと、人の目の中での“隣”だ。
それがちょっとだけ落ち着かなくて、でもかなり楽しい。
「まず何食べる?」
みずきが聞く。
「いきなり食うのか」
「祭りなんだから当たり前でしょ」
「おまえ、さっき会ったばっかだぞ」
「だから最初が大事なの!」
勢いよく言ってから、あ、と思う。
今のは少し本音が混ざったかもしれない。
だが影山はそこまでは拾わず、屋台の並びを見回した。
「じゃあ……たこ焼きとか」
「無難!」
「祭りの最初に食うなら無難でいいだろ」
「でも分かる」
みずきはすぐに賛成した。
こういうところだ。
影山は特別派手なことを言うわけじゃない。
でも、なんだかんだで“その場に合った答え”を出してくる。
それが最近、妙に心地いい。
たこ焼きの屋台には、そこそこ列ができていた。
「並ぶ?」
「まあ、これくらいなら」
「よし」
みずきは自然に影山の一歩前へ出る。
列に並ぶ、そのほんの少しの動きで、二人の距離がまた少しだけ近くなった。
うしろから人がぶつかりそうになる。
みずきは反射で一歩避けて、そのまま影山の腕に軽く触れた。
「あ、ごめん」
「いや」
ほんの一瞬。
でも、触れた方はその一瞬でも十分に意識する。
人混みって便利だな、と思った。
同時に、自分でそう思ってしまうあたりがかなり危ないとも思う。
「影山」
「ん?」
「今日の祭り、人多いね」
「見れば分かる」
「だからさ、はぐれたら困るじゃん」
「まあな」
「つまり、多少近くても仕方ないってことだよね」
「……その理屈、今ここで作っただろ」
影山が少しだけ怪訝そうに言う。
みずきは笑ってごまかした。
「バレた?」
「だろうな」
でも、その返事は完全に拒否ではない。
そこがまた、前へ出たくなる理由だった。
◆
たこ焼きを受け取って、二人で少し端へ寄る。
屋台の後ろ側、人通りはあるが立ち止まる余白もあるあたりだ。
ソースの匂いが強くて、湯気がまだ熱い。
「熱っ」
みずきが思わず声を上げると、影山がすぐに言った。
「だから最初に言っただろ」
「言ってないし」
「言わなくても分かるだろ」
「分かってても食べたいの!」
そう言って、もう一個を口に入れそうになった時、影山が紙皿を少し引いた。
「ちょっ」
「落ち着け」
「何で止めるの」
「舌やけどするぞ」
その言い方が、ほんとうに自然だった。
怒るでもなく、笑うでもなく、ただ“そうなるだろ”みたいなトーンで止める。
みずきは少しだけ口をとがらせた。
「……それ、彼氏みたい」
ぽろっと出た。
しまった、と思うより先に、影山が一瞬だけ止まる。
「何」
「いや」
みずきは慌てて笑う。
「そういう、面倒見る感じ!」
「面倒見てるわけじゃないだろ」
「でも止めたじゃん」
「見てて危なかったからな」
その返しがもうだいぶ危ない。
みずきは熱いたこ焼きよりも、こっちの方が心拍数に悪い気がした。
「……あんたってほんとさ」
「何」
「普通にそういうことするよね」
「何が」
「だから、そういうの!」
結局うまく言葉にならない。
影山は少しだけ困った顔で「分からん」と言う。
その顔を見ると、ああやっぱりこの人は半分くらい無自覚なんだなと思う。
でも、無自覚だからこそ効く。
そこがいちばん困る。
「次どこ行く?」
影山が話を切り替えるように聞いた。
みずきはたこ焼きを飲み込んでから、屋台の列を見回した。
「かき氷……はまだ早いか」
「腹壊すぞ」
「心配性」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ何」
「普通に、祭りの途中で腹冷やすの面倒だろ」
ほらまただ、と思う。
この人は、“特別に世話を焼いている”つもりがないまま、普通に相手のコンディションを考える。
だからこそ、言われた側だけが妙に意識する。
「じゃあ、焼きとうもろこし!」
「今度は重いな」
「お祭り感あるじゃん」
「それはそうか」
影山が少し笑う。
その笑い方が、教室で見るのより少しやわらかい。
祭りのせいなのか。
私服のせいなのか。
それとも、自分たちが“学校の外”にいるからなのか。
理由は分からないけれど、今日は何もかもが少しだけ近く見える。
◆
焼きとうもろこしの屋台へ向かう途中、人の流れが急に狭くなった。
正面から浴衣姿の集団が来て、通路の真ん中が詰まる。
みずきは反射で立ち止まり、次の瞬間には後ろから人に軽く押された。
「あっ」
体が前へ傾く。
そのままぶつかる、と思った瞬間、影山の手がみずきの腕を軽く引いた。
ほんの一瞬。
でも、はっきり分かるくらいの力で。
「大丈夫か」
「……う、うん」
みずきは本気で一拍遅れて答えた。
だめだ。
これはだめだ。
人混みの中で腕を引かれるなんて、そんなの、どう考えても心臓に悪い。
しかも影山は引いたあとすぐ手を離して、「前見て歩けよ」とか、そういう平常運転の顔をしている。
「何その顔」
みずきが言う。
「何って」
「今の、もうちょい特別っぽい空気にならない?」
「ならないだろ」
「普通そういうの、ちょっと気まずくなるじゃん」
「人混みで転びそうだったから引いただけだし」
それはそうだ。
でも、みずきからするとそれだけで済まない。
「……ほんと、無自覚」
「またそれか」
「うん、またそれ」
みずきはわざと少しだけ距離を詰めた。
さっきより、人の流れが強いから。
そういう言い訳はいくらでも作れる。
「じゃあ今日は無自覚な影山の横にいると危ないってことで」
「何でそうなる」
「こっちの心拍数が上がるから」
言ったあとで、あ、と思う。
これはかなりそのままだ。
影山が少しだけ目を丸くする。
「……藤宮」
「何」
「今日ほんと飛ばしてるな」
「だって最初が大事だから」
今度は隠さなかった。
みずきは自分でも分かるくらい、少しだけ真っ直ぐな声で言った。
「最初にちゃんと一緒にいたかったし」
そこまで言うと、影山はもう軽くは流せない顔をする。
でも、だからといって困った顔だけで終わらせないところが、やっぱりこの人だった。
「……なら、ちゃんといるだろ」
短く、そう返す。
その一言が思ったよりずっと効いた。
みずきは思わず黙る。
祭りの音が少し遠くなる。
提灯の光が、やけに明るく見える。
「何その返し」
やっとそれだけ言うと、影山は少しだけ視線を逸らした。
「何が」
「それ、ずるいって」
「どこが」
「全部!」
みずきは半分笑いながら、でも半分は本気で文句を言った。
最初から飛ばしているのは、自分の方かもしれない。
でも、相手がこういう返しをするなら、心拍数まで上がるのはどうしようもないではないか。
◆
焼きとうもろこしを買って、二人で少し離れた場所へ移動する。
通りの端、神社の石段の下あたり。
人の流れは見えるが、少しだけ落ち着ける場所だ。
みずきはとうもろこしを持ったまま、影山を横目で見た。
私服。
祭りの灯り。
ちょっとだけ気の抜けた横顔。
学校で見るのとは違う。
でも、完全に知らない人でもない。
その“いつもと違うのに、ちゃんといつもの延長”みたいな感じが、今日はずっと心を揺らしていた。
「影山」
「ん?」
「今日、来てよかった?」
「まだ序盤だぞ」
「そうだけど」
「でも、まあ」
影山は少し考えてから言う。
「来てよかったとは思ってる」
その返事に、みずきは少しだけ笑った。
「そっか」
「何だよ」
「いや。だったらよかった」
それだけでも十分だった。
元気系女子は、祭りの最初から飛ばしすぎて、こっちの心拍数まで上げてくる。
たぶん今、影山が感じているのはそういうことだろう。
でも、みずき本人の心拍数だって、ずっと危ないままだった。
「……まだ序盤なんだよね」
「だからさっきからそう言ってるだろ」
「じゃあ、ここからもっと楽しくする」
「宣言するのか」
「するよ」
そう言って笑う。
その笑顔の中に、もう冗談だけではない気持ちが混ざっていることを、みずきはちゃんと自覚していた。




