第34話 近寄りがたい女子は、夏祭りみたいな人の多い場所ほど誰と行くかを気にしてしまう
黒瀬レナは、祭りそのものにそこまで興味があるわけではなかった。
屋台。
人混み。
うるさい音。
甘い匂いと、焼きそばと、金魚すくいと、子どもの声。
そういうものを嫌いだとは思わない。
でも積極的に行きたいかと聞かれたら、別にそうでもない。
だから、夏祭りの話題が教室で盛り上がっていても、本来なら少し離れたところで「みんな元気だな」と思っていれば済む話だった。
なのに最近は、それで済まない。
「……面倒」
朝の教室で小さく呟いて、レナは窓の外を見るふりをした。
なぜ面倒なのかは分かっている。
影山涼太が、その祭りの中心に少しずつ置かれ始めているからだ。
みずきはもうかなりやる気だ。
“みんなで行く”と言いながら、途中で二人きりになる相手を考えておいてほしい、なんてかなり本音混じりのことまで言っていた。
朝比奈ことりも静かな顔をしながら、自分でちゃんと誘ったらしい。委員の手伝いが終わったあと、一緒に回ってもらえないか、と。
白鳥つばさは一歩引いているようでいて、最近はかなり自分から寄っている。
観察者とか言っていたくせに、図書室で二人きりになる理由はちゃんと作るし、言葉の温度も前よりずっと近い。
そして自分だけが、そういう“分かりやすい約束”をしていない。
そこが気に入らない。
別に約束したいわけではない。
……したいのかもしれない。
でも、それを認めるのはまだ少し悔しい。
「黒瀬」
横から声がして、レナは顔をしかめた。
みずきだった。
「何」
「朝から不機嫌そう」
「いつもでしょ」
「今日はその中でも“ちゃんと機嫌悪い”方」
余計なお世話だ。
だが反論できないのがまた腹立つ。
「祭りの話?」
みずきがにやにやしながら聞いてくる。
「違う」
「違わない顔してる」
「うるさい」
「レナってさ」
みずきは机に肘をついて、少しだけ声をひそめた。
「こういう時だけ分かりやすいよね」
「は?」
「“自分は別に興味ないけど、影山が誰とどうなるかはちょっと気になる”って顔」
レナは本気で一瞬固まった。
図星すぎることを、どうしてそう簡単に口にするのか。
「……あんた、朝から最悪」
「認めないんだ」
「認めるわけないでしょ」
「でも否定も弱い」
みずきが笑う。
その笑い方がいつもより少しだけ余裕ありげで、それもまた気に入らない。
土曜の買い物以降、みずきは少しだけ前に出ている。
ことりも静かに進んだ。
つばさも遅れながら寄っている。
自分だけが、“別に”を盾にして立ち止まっている感じがして、それが妙に落ち着かなかった。
◆
昼休み、ことりが机でノートをまとめているのを見て、レナは少しだけ目を細めた。
ことりは変わった。
最初の頃は、秘密を抱えた優等生という感じだった。
今も基本はそうだ。静かで、丁寧で、ちゃんとしている。
でも影山に向ける時だけ、少し違う。
目線がやわらかくなる。
返事が一拍だけ近くなる。
自分から頼みごとをするようになったのも、その変化の一つだった。
委員の買い出しの時だってそうだ。
ことりは“手伝ってほしいから来てほしい”のではなく、“一緒に行きたいから手伝いを口実にした”のだと、レナにも分かっていた。
それがむかつくわけではない。
ちゃんと動いたことは、正直少しすごいとも思う。
でも、だからこそ自分が余計に動けていないのが腹立たしい。
「黒瀬さん?」
ことりがふと顔を上げた。
「……何」
「何か、見ていましたか」
「別に」
「そうですか」
ことりは小さく笑った。
その笑い方が、妙に落ち着いていて、レナは少しだけ嫌になる。
「朝比奈」
「はい」
「祭り、ほんとに委員の手伝いあるの」
「ありますよ」
「……そっか」
別に探りたかったわけじゃない。
でも聞いてしまった。
ことりは少しだけ首をかしげる。
「どうかしましたか」
「別に」
それ以上は言えなかった。
ことりはたぶん、分かっている。
でも追及しない。
そこがまた、この優等生のやりにくいところだった。
◆
放課後、自販機前で一人になる。
最近、自分はここへ来ることが少し増えた。
喉が渇いた時。
気持ちを切り替えたい時。
そして、影山と鉢合わせる可能性がある時。
最後の理由は、できれば認めたくなかった。
スポーツドリンクのボタンを押す。
落ちてくる音がして、缶を取り出したところで、後ろから声がした。
「黒瀬」
来た。
最悪だと思う。
でも少しだけ予想していた自分もいる。
「……何」
「祭りの話、教室で出てたな」
いきなりそこから来るのか。
レナは缶を開けながら、できるだけ平静な声で返した。
「そうみたいね」
「興味ないのか」
「ない」
即答した。
だが、その即答の速さが逆に怪しいことくらい、自分でも分かる。
影山は少しだけ間を置いた。
「ほんとか?」
「何で疑うの」
「いや、朝の顔」
「見てたの」
「見えるだろ」
そこを普通に言うな。
レナは一口飲んで、わざと視線をそらした。
「人多いし、暑いし、うるさいし」
「うん」
「だから好きではない」
「なるほど」
「なるほどって何」
「祭り自体は嫌いじゃないけど、面倒な要素が多いってことかと」
その整理の仕方が、やっぱり妙に的確で腹が立つ。
「……まあ、そう」
「じゃあ完全に興味ないわけじゃないんだな」
「揚げ足取りみたいに言うな」
「取ってない」
影山は自販機の隣へ寄りかかる。
それだけの仕草なのに、なぜか少し落ち着いてしまうのが嫌だった。
沈黙が落ちる。
部活の掛け声が遠くに聞こえる。
レナは缶の水滴を指で拭いながら、ぽつりと言った。
「……誰と行くの」
言ってから、自分でしまったと思う。
それは聞きすぎだ。
気にしているのがあまりにもそのまま出る。
だが影山は、からかわなかった。
「まだちゃんと決まってない」
短く答える。
「みずきは、みんなでって言ってる」
「うん」
「朝比奈は、委員の仕事終わったら少し」
「……うん」
「白鳥は、図書室の仕事次第」
その整理された言い方に、レナは少しだけむっとした。
「何それ」
「何が」
「ちゃんと把握してるんだ」
「された話をそのまま言ってるだけだけど」
「でも把握してる」
「そうだな」
否定しないところがまたずるい。
「で、おまえは」
影山が少しだけこちらを見る。
「何」
「行くのか」
レナは返事に少しだけ詰まった。
そこを聞かれると弱い。
なぜなら、自分でもまだちゃんと答えが決まっていないからだ。
興味はないふりをしたい。
でも、行かないのも落ち着かない。
誰と回るのか、どんな服で来るのか、そういうのを知らないままでいるのもなんだか嫌だった。
「……行くなら、途中で会っても別に驚かない」
結局、前と似たような言い方になる。
影山が少しだけ笑いそうになるのを、レナは見逃さなかった。
「何」
「いや」
「笑った」
「少し」
「最悪」
「前も似たこと言ってたな」
「覚えてるんだ」
「覚えるだろ」
レナはそこで少しだけ言葉に詰まる。
覚えられているのは嫌ではない。
むしろ少しうれしいのがまた面倒だった。
「……浴衣とかは着ないから」
なぜかその言葉が出た。
自分でも意味が分からない。
誰も聞いていないのに、先に申告している。
影山がきょとんとする。
「聞いてないけど」
「分かってる」
「じゃあ何で言うんだよ」
「知らない」
本当に知らない。
でも、言っておきたかった。
浴衣で気合いを入れるタイプじゃない。
そういうふうに見られたくない。
でも少しは意識してることまで全部隠すのも違う。
その中途半端な感情が、今の言葉になったのだろう。
影山は少しだけ困った顔で言った。
「私服で来るのか」
「たぶん」
「そっか」
「何、その反応」
「いや、黒瀬らしいなって」
それはたぶん、褒め言葉だった。
でも、そうやって自然に“らしい”と受け取られると、少しだけ胸が落ち着かなくなる。
「……あんたさ」
「ん?」
「ほんとに普通にそういうこと言うよね」
「何が」
「その、“らしい”とか」
「別に変なこと言ってないだろ」
「そういうとこ」
レナは顔をそむけた。
普通の顔で、普通のトーンで、こういう時だけちゃんと個人を見てくる。
だから余計に厄介なのだ。
◆
帰り道の分かれ道まで、二人で歩く。
沈黙が続いても、前ほど気まずくない。
むしろ最近は、その沈黙の中にちょうどいい温度があることまで分かってきた。
「黒瀬」
「何」
「祭りの日」
「うん」
「会えたら会おう、でいいか」
レナは一瞬だけ足を止めそうになった。
それは約束ではない。
でも、“会ってもいい”ではなく、“会おう”と影山から言われたことが少しだけ意外だった。
「……別に」
いつもの返しをする。
「その言い方だと、会いたくないみたいだな」
「違う」
「じゃあ」
「……会えたら、別にいい」
また遠回しだ。
自分でもそう思う。
でも今はそれが限界だった。
影山は少しだけ笑って「分かった」と言う。
その言い方が、ちゃんと分かっている人の返事だった。
それだけで、レナは少しだけ楽になる。
人の多い場所ほど、誰と行くかを気にしてしまう。
たぶんそれは、自分が思っていたよりずっと自然なことなのだろう。
そして、その“誰と”の中に影山涼太が入っていることも、もうかなりはっきりしていた。
「じゃあ」
分かれ道で立ち止まる。
「ああ」
「……ほんとに、浴衣は着ないから」
また言ってしまった。
影山が今度は少しだけ笑う。
「二回目だぞ、それ」
「うるさい」
「そんなに大事か」
「大事じゃない」
「じゃあ何で二回言うんだよ」
「知らないって言ってるでしょ!」
レナは少しだけ顔を赤くしながら、今度こそ背を向けた。
後ろで影山がまだ少し笑っている気配がする。
それが悔しい。
でも、完全に嫌ではない。
近寄りがたい女子は、夏祭りみたいな人の多い場所ほど誰と行くかを気にしてしまう。
そして、それを認め始めた時点で、もうかなり手遅れなのかもしれなかった。




