第32話 優等生は遠回しに誘おうとして、結局いちばん真面目な言い方になる
朝比奈ことりは、自分が“誘う側”になることに、まだ慣れていなかった。
いや、慣れている人の方が少ないのかもしれない。
でも少なくとも、藤宮みずきのように勢いで言ってからあとで赤くなる、というやり方は自分には向いていないと分かっている。
黒瀬レナのようにぶっきらぼうな遠回しをして、結果的に本音が混ざるのも、たぶん自分には難しい。
白鳥つばさのように静かな顔で一歩踏み出すのは、少し似ている気もするけれど、それでもあそこまで自然にはできない。
だから、夏祭りの話が教室で出てからずっと、ことりは少しだけ困っていた。
行きたい。
でも、ただ「一緒に行きませんか」とは言いにくい。
言えないわけではない。
でも、その言葉の重さを考えた瞬間に、自分の方が先に動けなくなる。
「……どうしよう」
朝、教室へ入る前の廊下で、小さく呟いた。
手には委員のメモ帳。
これは本当に必要なもので、別に夏祭りのための口実というわけではない。
ただ、ことりはもう自分で分かっている。
今日、影山くんへ声をかけるなら、委員の話が入口になるだろうと。
それはずるいのかもしれない。
でも、完全に嘘ではない。
今週の夏祭り当日、自分は委員の手伝いで少しだけ顔を出す可能性がある。
それが終われば、少しだけ自由な時間もできるかもしれない。
だから、その“もし”を伝えるのは自然だ。
問題は、その自然な話の先に、自分の気持ちをどこまで混ぜるかだった。
「朝比奈?」
後ろから声がして、ことりは振り向いた。
影山涼太だった。
「おはようございます」
「おはよう。どうした、廊下で止まって」
「いえ、その……」
いきなり本人が来るのは反則だと思う。
ことりは一瞬だけ視線を泳がせたが、なんとか平静を保った。
「少し考えごとをしていました」
「珍しいな」
「そうですか?」
「うん。朝比奈って、考える前に止まるより、考えながら動いてる感じする」
その言い方が、妙に影山くんらしかった。
ちゃんと見ている。
でも、それを大げさに言わない。
「……今日は、少しだけ」
「そっか」
そこで終わる。
深く追わない。
その距離感に、ことりは少しだけ安心した。
同時に、その安心の延長で余計に近づきたくなる自分にも気づく。
◆
午前中の授業は、いつもより少し長く感じた。
ノートを取りながらも、頭の片隅ではずっと同じことを考えている。
どう誘えばいいのか。
どこまでなら自然か。
どこからだと、あまりに露骨か。
夏祭り。
それ自体はクラスでも部活でも普通に話題に出るイベントだ。
だから誰かを誘うこと自体は不自然ではない。
でも、ことりにとっては“誰をどう誘うか”が大きい。
影山くんは、最近少しずつこちらの気持ちを受け取るのがうまくなってきている気がする。
鈍いだけの人ではない。
むしろ、ちゃんと受け取ったうえで、相手が困らない返し方を選ぶ。
だからこそ、自分が中途半端にぼかしても、たぶん意味だけは伝わる。
それが安心でもあり、怖くもあった。
昼休み前、ノートを閉じる音が少しだけ大きく鳴ってしまった。
「朝比奈、珍しいね」
隣の席の女子が笑う。
「え?」
「今日ちょっとそわそわしてない?」
「そんなことありません」
即答したが、たぶんいつもより少しだけ早かった。
自分でも分かる。
そこへ、みずきがいつものようにやって来た。
「朝比奈」
「はい」
「今日なんかある?」
「何がですか」
「目が真面目すぎる」
そういう言い方をするのか。
ことりは少しだけ困ったように笑った。
「それ、いつもでは」
「いつもは静かなだけ。今日は“決めてる顔”」
鋭い。
やっぱりみずきは、こういう時に妙な勘が働く。
「……藤宮さんの方が、こういうの得意そうです」
「誘うの?」
いきなり核心だった。
ことりは一瞬だけ言葉を失う。
否定したい。
でも、この流れで否定すると逆に不自然だ。
「その、まだ……」
「うわ、ほんとなんだ」
みずきが少しだけ目を丸くして、それから妙にうれしそうに笑った。
「いいじゃん」
「よくないです」
「何で?」
「緊張するので」
「それは分かる」
みずきはあっさり言った。
「でも、朝比奈ってこういう時にちゃんと自分で言おうとするよね」
「……そうでしょうか」
「そうだよ。しかも変に小細工しないし」
ことりは少しだけ視線を落とした。
たぶん、それは半分当たっていて半分違う。
小細工しないわけではない。
委員の話を入口にしようとしている時点で、かなり小細工だ。
でも、最後にはやっぱり自分の言葉で言いたいとも思っている。
「朝比奈」
みずきが少しだけ声を落とす。
「言った方がいいよ」
「……」
「影山って、言われないと分かる時と分からない時の差が激しいから」
その評価には、ことりも少しだけ納得した。
「たしかに」
「でしょ?」
「でも、言い方が難しいです」
「それはもう朝比奈らしくでいいんじゃない?」
ことりはその一言を、思っていたより素直に受け取っていた。
朝比奈らしく。
つまり、遠回しで、でもちゃんと真面目に。
それが自分のやり方なのかもしれない。
◆
放課後。
教室の人数が少しずつ減っていく中で、ことりはようやく覚悟を決めた。
みずきは今日は部活へ向かった。
レナも先に出た。
つばさは図書室だろう。
影山くんは自分の席で鞄を閉じようとしている。
今しかない。
「影山くん」
呼ぶと、影山は顔を上げた。
「ん?」
「少しだけ、いいですか」
「いいけど」
ことりは自分の席の横で立ったまま、深呼吸を一つした。
目の前の相手は、こちらが言いづらいことを言っても、変に急かしたりはしない。
それは分かっている。
だから余計に、自分の方がきちんと言いたくなる。
「夏祭りのことなんですが」
「ああ」
影山が少しだけ姿勢を正す。
「委員の手伝いで、たぶん当日、最初の方だけ行くことになると思います」
「うん」
「準備や片づけがあるので、自由に動けるかはまだ分からないんですけど」
「うん」
ここまでは事務連絡だ。
ことりはメモ帳の端を少しだけ指で押さえる。
「もし、時間が合えば」
声が少しだけ小さくなる。
「その、少しだけ、一緒に回ってもらえませんか」
言えた。
言った瞬間、胸の奥がどくんと鳴る。
かなり遠回しだ。
でもこれが限界だった。
“夏祭り、一緒に行きませんか”とはどうしても言えなかった。
影山は一瞬だけ目を瞬かせた。
その沈黙が長く感じる。
だめだっただろうか。
遠回しすぎて、ただの予定確認みたいに聞こえただろうか。
それとも逆に、意味が近すぎて困らせただろうか。
だが影山は、すぐには軽く流さなかった。
少しだけ考えるように目を伏せ、それから静かに言った。
「時間合わせる」
ことりは一瞬、自分の耳を疑った。
「え」
「委員の手伝い、終わる時間分かったら教えて」
短い。
でも、意味は十分すぎるほどはっきりしていた。
「いいんですか」
思わず聞き返す。
影山は少しだけ困ったように笑った。
「朝比奈が勇気出して言ってるの分かるから」
その一言が、ことりには強すぎた。
視線が下がる。
耳まで熱いのが自分でも分かる。
この人は、どうしてこういう時だけ真っ直ぐ受け取ってしまうのだろう。
気づかないふりも、軽く流すこともできるはずなのに。
「……ありがとうございます」
やっとそれだけ言うと、影山は小さくうなずいた。
「礼はまだ早いだろ」
「でも」
「行けなくなるかもしれないし」
「それでも、ちゃんと受け取ってもらえたので」
ことりは少しだけ顔を上げて言った。
影山は一瞬だけ何か言いかけ、それから視線を逸らす。
「……そういうの、ずるいな」
「何がですか」
「真面目に返されると、こっちの方が困る」
その言葉に、ことりは思わず少し笑ってしまった。
困るのは自分だけだと思っていた。
でも、影山くんも少しは同じなのだと分かると、胸の奥がやわらかくなる。
「影山くん」
「ん?」
「今の、かなりうれしかったです」
「……そうか」
「はい」
「それなら、まあ」
いつもの、少しぶっきらぼうな返し。
でも、その“まあ”の中にちゃんと温度があることを、ことりはもう知っている。
◆
帰り道、ことりは一人で駅へ向かった。
影山は今日は別方向へ行く用事があるらしく、教室で別れた。
少しだけ残念だと思う。
でも、それ以上に、自分でちゃんと誘えたことの方が大きかった。
ホームのベンチに座り、メモ帳を開く。
夏祭り当日の委員予定。
開始時間。
手伝いの内容。
片づけの目安。
文字を見ても、頭の中へはあまり入らない。
代わりに何度も思い出すのは、
時間合わせる。
という短い一言だった。
それだけなのに、あまりにまっすぐで、あまりに影山くんらしい。
そしてそれを、自分のためにちゃんと返してくれたことが、うれしかった。
「……ほんとに」
小さく呟く。
優等生は、遠回しに誘おうとして、結局いちばん真面目な言い方になる。
でも、その真面目さごと受け取ってもらえたのなら、たぶんそれでいい。
焦らなくていい。
派手でなくていい。
それでも、自分の歩幅で一歩進めばいい。
そう思えるくらいには、今のことりは少しだけ強くなっていた。
「……時間、ちゃんと伝えないと」
メモ帳を閉じて、胸の前で軽く抱える。
夏祭りそのものより先に、その約束だけで少し心が落ち着かなくなる。
でも、その落ち着かなさは前よりずっと、嫌ではなかった。




