第22話 元気系女子の“ただの冗談”は、たまに本気の入口だったりする
藤宮みずきは、自分がわりと器用な方だと思っていた。
勉強はさておき、空気を読むのはそこそこ得意。
人と仲良くなるのも早い。
言いにくいことでも冗談にして滑り込ませるくらいはできるし、その場のノリで距離を縮めることに関しては、むしろ自信がある。
だから、影山涼太に対しても最初はそうだった。
ちょっとおもしろい男子。
女子のトラブルに巻き込まれて、でも妙にまじめに処理してしまうやつ。
からかうと困った顔をするのに、本気で嫌がるわけでもなく、ちゃんと返してくる。
そういうやつは、いじると楽しい。
――そこまではよかった。
「……なんでこうなるかなあ」
朝、家を出る前に鏡を見ながら、みずきは小さくつぶやいた。
制服よし。
髪よし。
寝癖なし。
部活バッグよし。
見た目は何も問題ない。
問題なのは中身だ。
最近、影山に話しかける理由を探している自分がいる。
相談でもいい。
雑談でもいい。
何かしらのきっかけが欲しい。
そしてさらにまずいことに、“相談じゃなくても話しかけていい?”とこの前自分で言ってしまった。
あれはかなり危なかった。
勢いで言った。
でも勢いだけではない。
だから余計に、あとから思い返して枕に顔を埋めたくなる。
「うわ、朝から重い……」
でも、へこむのは数秒で終わる。
みずきはそういう女だ。
引きずるのは嫌いだし、恥ずかしいならむしろ次の冗談で塗り替えればいいと思っている。
問題は、その“次の冗談”が最近ちょっとずつ冗談で済まなくなっていることだった。
「……まあいっか」
最後はいつもそこへ落ちる。
分からないなら行くしかない。
考えるより、話しかけてみた方が早い。
そうやって教室へ向かった。
◆
朝のホームルーム前、影山はすでに席についていた。
最近、朝のこいつは妙に落ち着いている。
一人暮らしのやつ特有なのか、家からすでに一日を始めてきた感じがある。弁当を持ってきて、提出物をそろえて、ペンケースの位置まで整っている。男子高校生にしては生活感がきれいすぎる。
そういうところも含めて、みずきには最近ちょっとずるく見える。
「おはよ、影山」
「おはよう」
影山が顔を上げる。
ただそれだけのことなのに、胸のあたりが少し落ち着かない。
面倒だ。
本当に面倒だ。
「今日のお弁当、何」
「おまえ、それ第一声として定着しすぎだろ」
「大事だから」
「今日は鶏そぼろ」
「うわ、当たり」
「何がだよ」
「おいしそうって思ったから」
「当たり前だろ、自分で作ってるんだから」
その返しに、みずきは少しだけ笑う。
やっぱりこういう会話がいちばん落ち着く。
相談とも雑談ともつかない、このちょうどいい感じ。
でも、その“ちょうどよさ”のままでいたくない気持ちも、たぶんどこかにある。
「影山」
「何」
「今週の土曜って暇?」
言ってから、一瞬だけ時間が止まった気がした。
何を聞いているんだ自分は。
いや、別におかしなことではない。
部活が半日で終わる。
そのあと駅前へ寄る予定もある。
誰かを誘っても自然な流れだ。
自然な流れだが、相手に影山を選んだ時点で少しだけ意味が出てしまう。
影山もきょとんとした顔になった。
「……土曜?」
「うん」
「なんで」
「なんでって、ほら」
急に理由を求められると困る。
みずきは早口になる。
「駅前のショッピングモールでさ、夏前のスポーツ用品セールやるらしくて」
「へえ」
「あと雑貨も見たいし」
「うん」
「だから、別にその、誰か誘ってもいいかなって」
「誰かでいいなら俺じゃなくてもいいだろ」
その返しが、少しだけ引っかかった。
悪気がないのは分かる。
分かるけど、そこで“俺じゃなくても”が先に来るのはずるい。
「……影山がいいから聞いてるんだけど」
思わずそう返していた。
自分でもびっくりするくらい素直な声が出た。
影山が一瞬だけ止まる。
みずきの心臓も止まりかける。
言いすぎた。
完全に言いすぎた。
「いや、違う! 変な意味じゃなくて!」
慌てて付け足す。
「影山、荷物整理とかその辺強いし、見立てもちゃんとしてそうだし!」
「それ、だいぶ苦しいな」
「うるさい!」
朝から何をやっているのか。
その時、横から静かな声がした。
「藤宮さん」
朝比奈ことりだった。
やばい。
聞かれていた。
ことりは少しだけ困ったような顔をしていたが、声は落ち着いている。
「次、提出物です」
「あ、うん」
助け船なのか、本当にただの連絡なのか分からない。
でもそのおかげで会話はそこで切れた。
影山は「あとで答える」とだけ言って、提出物の方へ意識を向ける。
みずきは席へ戻りながら、心の中で大きくため息をついた。
今のは危ない。
かなり危なかった。
でも同時に、思っていた以上に“影山がいい”が本音だったことも、自分で分かってしまった。
◆
午前の授業のあいだ、みずきはわりと本気で集中できなかった。
理由はもちろん、自分で蒔いた種だ。
土曜。
暇?
影山がいいから聞いてる。
並べるとだいぶやばい。
あれはもう、誘いとか以前にかなり個人的な意思が出ている。
しかも朝比奈に聞かれた。
たぶん影山も“なんだそれ”と思っている。
いや、影山のことだから、半分はそのまま受け取って、半分は深く考えないようにしてるのかもしれない。
「……それもずるいんだよなあ」
小さくつぶやいたら、隣の席の女子に「何が?」と聞かれて慌ててごまかした。
昼休みになると、ことりが珍しく自分から声をかけてきた。
「藤宮さん」
「うん?」
「朝の話なんですが」
来た。
みずきは観念したように笑う。
「聞いてた?」
「聞こえてしまいました」
「まあ、そうだよね」
ことりは少しだけ迷うように視線を動かしたあと、静かに言った。
「本当に、行くんですか」
その問い方に、みずきは少しだけ目を細める。
朝比奈ことりは、こういう時に正面から“それってどういう意味ですか”とは聞かない。
でもちゃんと気にしている。
そして、その気にしている感じが、前よりずっと隠せなくなっている。
「行けるなら行くかも」
みずきは、少しだけ意地悪く答えた。
ことりのまつげがわずかに揺れる。
「そうですか」
「朝比奈」
「はい」
「気になる?」
ことりは数秒黙った。
否定するかと思った。
でも今日は違った。
「……少しだけ」
小さく、でもはっきりと言う。
みずきはそこで、ふっと息をついた。
「だよね」
「でも、止めるつもりはありません」
「そんなこと言ってないって」
「分かっています」
ことりは静かに続ける。
「ただ、最近の藤宮さんは少しだけ、冗談の言い方が変わりました」
鋭い。
やっぱりこの人は、そういうところを見る目がちゃんとしている。
「変かな」
「はい。前より本気が混ざっている気がします」
そこまで言われると、みずきも笑ってごまかしにくい。
少しだけ肩をすくめる。
「……まあ、ゼロではないかも」
ことりが少しだけ目を見開いた。
でも、そこで何か言い返してくることはなかった。
代わりに、静かにうなずく。
「そうですか」
それだけ。
その“それだけ”が、逆に強かった。
朝比奈ことりは、ちゃんと受け止める。
軽く流さない。
それがこの人の強さで、たぶんやっかいなところでもある。
「朝比奈は?」
みずきが聞く。
「何が」
「影山のこと」
ことりは一瞬だけ言葉を探し、それから小さく息を吐いた。
「……私は、たぶん、もうかなり特別だと思っています」
その言葉に、今度はみずきが黙った。
朝比奈がここまで自分で言うのは珍しい。
普段ならもっとぼかす。
でも最近は少しずつ、自分の気持ちを隠しきれなくなっているのだろう。
「そっか」
みずきが言う。
「はい」
「じゃあ、お互い様か」
「……そうですね」
二人とも少しだけ笑った。
変な会話だと思う。
でも、不思議と嫌ではなかった。
◆
放課後。
結局、土曜の件は帰り道で聞こうと決めていた。
教室で聞くと、みずき自身が落ち着かない。
みんなの視線があるし、ことりもレナもつばさも何となく察してしまう。
それはそれで嫌ではないが、今はまだ少し早い。
だから、部活のない影山が先に帰るタイミングを見て、みずきは自販機の前で待った。
少しだけ緊張する。
これも相談の延長と言い張れば言える。
でも本当は、それだけじゃない。
しばらくすると、影山がやって来た。
「……何してんの」
「待ってた」
「誰を」
「分かるでしょ」
影山が少しだけ困った顔をする。
その顔を見ると、妙に安心する。
「朝の続き」
みずきが言う。
「ああ」
「土曜」
「……部活ないのか」
「午前だけ」
「そっか」
そこで影山は少しだけ考えた。
断られても仕方ないと思っていた。
いや、本当は思っていない。
来てほしい。
でも、そう思っているのを見抜かれたくはない。
影山は数秒のあと、静かに言った。
「午後なら空いてる」
「ほんと?」
「うん」
「来る?」
「必要なら」
その“必要なら”が、少しだけ影山らしくて、少しだけ腹が立つ。
「必要だよ」
みずきは即答した。
「雑貨も見たいし、靴も見たいし、部活バッグも見たいし」
「最後に俺関係なくなってるだろ」
「影山は必要」
また自然にそう言ってしまった。
言ってから、自分でまた少しだけ固まる。
でも今度は、朝ほど慌てなかった。
影山も、一瞬だけ目をそらしてから言う。
「……分かった」
「じゃあ決まりね」
「うん」
少しだけ沈黙が落ちる。
駅前の夕方は、人の流れも音もほどよくある。
だからこそ、二人の間に落ちた沈黙が少しだけ特別に感じられる。
「影山」
「ん?」
「今日の朝のやつ」
「どれだよ」
「彼女できたら、って話」
「ああ」
「忘れて」
「またそれか」
「だって恥ずかしいじゃん」
「じゃあ言うなよ」
「勢いだったんだって」
影山は少しだけ笑った。
「おまえ、ほんと勢いだけで危ないこと言うよな」
「危ないこと?」
「……いや、何でもない」
そこでごまかすな。
みずきは一歩近づいた。
「何」
「何でもないって」
「そこ止めると余計気になるんだけど」
影山は困ったように視線を逸らす。
その反応だけで、少しだけ察してしまう。
ああ、今のはたぶん、自分が思っているより少しは響いていたのだ。
その事実に、胸の奥が少し熱くなる。
「……じゃあ今のも忘れて」
みずきは言った。
「何をだよ」
「影山が今ちょっと困った顔したこと」
「無理だろ」
「でしょ? 私も無理なんだって」
その言葉に、影山が少しだけ黙る。
みずきはそれ以上は押さなかった。
ここで冗談に逃げるのが、今の自分にはちょうどいい。
本気を出しすぎると、自分が一番困る。
「じゃあ土曜、よろしくね」
「おう」
「相談じゃないからね」
「分かってる」
「ほんとに?」
「二回も言うな」
それで十分だった。
完全に告白したわけでもない。
でも、ただの冗談ではなくなっていることは、お互い少しずつ分かり始めている。
元気系女子の“ただの冗談”は、たまに本気の入口だったりする。
そしてたぶん、自分はもうかなりその入口の中へ入っている。
自販機の前で別れたあと、みずきは一人でにやけそうになるのを必死にこらえた。
「……やば」
小さく言う。
でも、嫌な“やば”ではない。
恥ずかしい。
面倒。
落ち着かない。
でも楽しい。
そういう感情が全部混ざって、胸のあたりで騒いでいる。
「ほんとに、冗談じゃ済まなくなってきたなあ」
夕方の風の中で、みずきはそう呟いた。
そしてその言葉を、少しだけうれしいと思ってしまう自分がいることも、もう分かっていた。




