振り返ってみると
私はこれまでの歩みを振り返った。最初は文章量が少なかった。しかし、途中から文章量が多くなっていった。それは用いていた用紙を替えたからである。
レポート用紙いっぱいに書き上げてきた。それを本屋さんで行数の多いレポート用紙にしたからだろう。
文書量が必然と多くなっていったのである。自分でもびっくりした。ここまで書けるとは思わなかったのだ。手書きでの書き写し。それをパソコンでデジタル化していく。そんな日々を送ってきた。
しかし、それももうすぐ終わりを迎える。100話で区切りを付けるために。最初から決まっていたことである。続けたいとは思わない。惰性で続けたくないから。
700語もあったお題はもはや210語前後にまで減っていった。500語も削っていったことになる。100という制限の中で。
残りは別の作品で書いていくことになるだろう。1つのお題を膨らませたり、複数のお題を組み合わせたりしながら。今までと変わらないだろう。ただ100という制限がなくなるだけで。
これからもレポート用紙に書いていくのだろう。デジタル化したら、あとはゴミ箱行き。残す必要性は無いのだから。
お題という欠片たちを集めて、紡がれていった物語たちは、読者の心に触れるのだろう。しかし、心の琴線に触れるかどうかは分からない。それに関しては、私が知る由もないことであるがために。
書き直していきたいとは思わない。その時にしか書けないものであるのだから。同じお題に対して、書き直したいとは思えないのだ。同じものを同じまま食べていきたい人は少数のように。
あるいは、新しいお題を探していくのかもしれない。自分だけのお題を作って書いていくのかもしれない。
それは筆者である私の自由であり、誰にも強制することはできないのだから。
振り返ってみると、この物語たちは私の成長曲線、指数関数的なものであるのかもしれない。停滞期から始まり、100話まで継続していき、ある瞬間からレベルアップしていく。私の場合はレポート用紙の切り替えだったが。それでも量をこなしていくことができるようになったのである。自分でも驚くことに。
質がどうなのかは分からないがね。受け入れられるものかどうなのか。それも私には知る由が無いのだ。
ヘビーノベルのアマチュア作家。それが私の肩書となっている。自称だがね。軽いライトノベルは書けないのだから。
私のこの物語たちは本になることは無いだろう。電子書籍になることも。ただネットの海を漂流するだけ。誰かに読まれることがあるとしても、バズることは無い。これらの予想を裏切ることができるだろうか。
私の意に反することはできるだろうか。できないと思う。会話文が無い小説なんて、誰が好きになるのだろうか。
地の文だけのエッセイもどきを。ファンになるとしたら相当コアなファンなのかもしれない。ファンになりそうな人に失礼だとは思うけども。
私はこれからも書いていくのだろう。新たな100の物語を。新たなお題たちを使って。
または全く別のものになるのかもしれない。過去に書き散らした物語たちを、そのまま物語に組み込んでいくのかもしれない。
AIからのお題を使ったものが眠っている。それらを起こしていくのかもしれない。
私の著作権があるかぎり、それは私だけのものであるのだから。無断転載してもいいが、重くて受けが悪いと言っておこう。予防線である。
残り1話で100話に到達する。それはどのようなものになるかは、まだ分からない。
けれども、その1話を書き上げ、デジタル化すれば、私はこのお題たちから解放されるのだから。
好き勝手に書いていける。自分だけのお題を作成することもできるのだから。そのためのアプリは作れないがね。
さあ、100話まで、あと1話であるーー。




