理解と事実
理解と事実は異なるもの。そして、事実を突きつければ、否が応でも理解させられる。
自分が相手を過小評価していたことを。見ていない。分からない。そのはずなのに、的中しているのだから。人材の大量流出があったことを。
それは彼だけが先んじて知っていた。彼女は後から知った。ただそれだけのことだった。
彼がどうして先に知ったのか。それは彼が現場にいた時にまで遡る。
彼の不在によって生じた災禍の夏。その発展となる災禍の年。得ることのできた退職者たちの情報。
OBの呑み会の参加者の人数。それらによって、彼の推論は確証を伴っていた。
彼女はそれを知らなかった。けれども、データとして残されている以上、否定することはできなかったのである。
たかが妄想と彼女は侮っていた。しかし、それが身を捕らえたのである。因果として応報として。
侮っていたことを認めざるを得なかった。彼との縁を得たいと思っていた。しかし、彼は拒んだ。
組織との繋がりを断ちたかったから。そのことを彼女は知らずにいたからである。
彼女が彼に会うことは無い。繋がりを拒んでいるのだから。彼のことを過小評価していた報いを受けていたのだから。
彼が再び彼女がいる組織と繋がりたいと思うことは無いだろう。叶うことのないどんでん返しは。抱くだけ無駄なことである。
彼が組織の中にいた場所はもはや更地と化している。老朽化によって取り壊された後。
グーグル・アースによって、それは確かなものとなっているのだから。
彼が戻れば元に戻るなんてことは奇跡的な確率でしかなく、夢想の中でしか無いことである。彼がいることによって建てられていた計画は、水泡に帰していった。彼という土台。彼という生贄によって、支えられていたのだから。それは災禍の夏が不在証明となっている。その発展こそが災禍の年なのだから。
砂時計を逆さにすれば、砂は戻るだろう。しかし、物事というのは簡単にはいかないのだ。
花は去り、肥えていった。望んだ願い、その全ては散らされていった。残った者は茫然とするだけ。彼がいなくなって物事は上手くいかなくなった。メッキが剥がされたように、真の実力が露わになった。こなしていた仕事の量をこなすことができなくなったのである。
厳しいノルマが課せられていくことになった。そして、泣き言と共に濃密な黒へと成り果てたのである。
彼の残像を見る者たちは夢想者と言われることになる。彼によって安楽の蜜を貪っていたのだから。そして、その蜜は枯渇した。井戸水が枯渇するかのようにして。彼という甘い蜜は無くなったのである。
彼は組織の中で望まれていたことを裏切った自覚は有るのだろうか。それは分からない。
けれども彼は、組織の中で飼い慣らせる存在では無くなっていたのである。当時からすでに。
飼い犬に手を噛まれたどころでは無い。飼い犬ではすでになかったのだ。喉元へ咬み付こうとする狂犬になっていたのだから。
そして、組織の心臓にさせれていた彼は離れることによって、崩壊へと導いたのである。
妄想だと言うのなら妄想で構わない。しかし、現実は残酷なもの。実証されているのだから。
否定することができないものとして、巨岩のように置かれている。退かす力は彼女たちには無い。
確かなことと言えば、災禍の年は過ぎ去ったことだろう。もはや、彼がいた時代は終わっているのだからーー。




