語る
彼は語る。他人を変えることはできないと。世の中には他人を変えられると信じている、否、盲信している者がいる。しかし、それは叶わないもの。手の平からこぼれ落ちる儚い夢想に過ぎないのだ。 どんなに傷跡を残せたとしても、時の流れによって、治ってしまうもの。むしろ、傷跡を付けた本人のことすら忘れてしまうのだ。10年の月日を経てしまえば、忘れられてしまう。 他人を変えること。それは無謀な挑戦でしかない。どんなに汗を流したとしても、無駄に終わる。
「もったいない」という精神で、損失を惜しむ。傷口を広げていく。勝手なことに。サンクコスト効果に陥ってしまっている。何もしないのが最高の成果だと言うのに。
つまり、他人を変えようとしないこと。それが最大にして最高の効果と言えるだろう。
受け入れることが大切になってくる。そうしなければ、苦しむことになる。しかも勝手にだ。
相手からすればたまったものではない。勝手に苦しみ、勝手に喚いて、勝手に責任転嫁する。
有りもしない妄想を並べ立て、しかも、自分の正しさに酔いしれている。そんなことは無いというのに。
馬鹿馬鹿しいとは思うだろう。第三者からすればどう映るというのか。
他人を思い通りに操れるというのは、思い込みに過ぎないのだ。できるとしても、高いレベルが必要になってくる。そのレベルに達するには人間の心理をマスターしているかどうか。グレーやブラックな心理を理解している必要もある。
しかし、そうだとしても完全なものではない。どこかに生じるのだ。策謀の綻びというのが。
その穴が広がれば広がるほど、策謀の破綻が生じる。人間というのは不完全に過ぎないのだから。
現実を見る。他人は変えられないという事実を。でなければ、ストレスによる病気に罹るだけ。
自分で自分を破滅へと転がしていくのだ。はたから見れば滑稽じゃないかね。
現実性が無いことに没頭している。再現することもできないものに。固執する様はなんとも醜いものじゃなかろうか。何も変わらなかったことの先にあるのは、絶望だけだと言うのに。
一筋の光が差したとしても、ただの欠片に過ぎない。絶望を強め深めるための残酷な欠片。その欠片はガラスかもしれない。ただの反射を錯覚させたもの。
他人を変えられると盲信している者たちは惑わされていく。できはしないことに。できると思い込みながら。
だがしかし、変わらないことに嘆くのだ。思い通りにならないことに。哀れにも勝手に苦しんで。サンクコスト効果に苦しみながら。ようやく学ぶのである。他人を変えることはできないことを。
ひどい語りだと思うのかね。確かにそうだろう。けれども、自分が他人に強制的に変われと言われたらどう思うかね。
嫌だろう。誰だって同じことだ。彼も誰かに変わることを強要されてきた。しかし、従わなかった。
そして、崩壊を向こうが招いたのだ。強いた者たちがね。
さて、ここまで語りを聞いた者たちはどう思うのか。それでもなお他人は変えられると盲信したままなのか。それとも、賢明にも他人は変えられないと学べたのか。
それを知った今、どう行動するかは語りを聞いた者たちに任せよう。選択肢が与えられているのだから。
妄想を抱く時は過ぎ去ったのだよ。現実を見る時が到来してくる。因果による応報を受け入れる時が。認めようが認めまいが、それは各々の判断に委ねられている。
人間というのは、因果応報を受け入れていくことしかないのだから。それは避けることができないものであるがゆえにーー。




