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2-1

 東我謝有馬あがりがじゃありまが一日にビンタを十四発も受けたあの日から一週間と一日が経ち、本日は運動会。この一週間色々なことがあった。先週も色々あったが、それは自然に起きたことなので、ただ有馬が驚くだけですんだから楽といえば楽だっただろう。けれど今週は有馬から動いたことにより彼の神経と体力は中々に擦り減っている。

 しかし、今日ほど有馬が自信に満ちている日は生まれて一五年、一度もない。

 例えようのない無敵感。それほど有馬はリラと共に努力をしてきた。運動会に向けて。

 選手宣誓とラジオ体操と誰も聞いてはいない校長の挨拶を終え、さらに高い授業料を払った意味を示す為の軍隊のように揃った入場行進を行い、誰も注目などしない五〇メートル走が始まる。

 学校全員が学年ごとに、クラスに分かれ出席番号順に走るので、得点も少ないし作業のように淡々と進められるので運動会は全員が参加する、というポリシーを保つだけの為にある競技だ。だから出場する生徒に緊張感はなく、雑談をしながら自分の番を待っている。

 だが、有馬は違った。緊張の面持ちで、五〇メートル先を見つめている。

 それは出席番号が一番で一番注目を浴びる第一走者だから、という理由では決してない。

 それぞれのクラスの出席番号一番がスタートラインに立ち、クラウチングスタートの体勢を取る中、有馬はそっと手を前に出し、下半身は小学生のかけっこの要領で構えた。

「なんだよ、あいつのスタート。バカ丸出しだぞ」

「何回見ても笑けるぜ、有馬」

 有馬のクラスメイトや他の生徒から笑いと罵声を浴びせられるが、そんなもの有馬には聞こえていない。

「行くぞ、リラさん」

 その瞬間、鉄砲の音が運動場を響かせた。


     ※


 有馬が学校の全体練習を終えてリラに自己紹介しつつ下校を共にし、夕食をまだ少し気まずい雰囲気が残る家族と共にし、少しの間テレビを観て、満腹感を失わせてから有馬は学校指定のジャージではなく、スポーツブランドのジャージを羽織って家を出た。その直前、お母さんがどこに行くのか訊ねてきた。

 有馬は少し照れくさくなったけれど答えることにした。これ以上心配かけるわけにはいかない。

「運動会の練習」

 そして家を出て、一つ目の角を曲がると制服姿のリラが現れた。

「待ちぼうけ開放ー」

「ボキャブラリーのない奴。今までどこにいたんですか?」

 二人が別れてから三時間は経過している。有馬はその時間を異世界人ならどう使うか少し気になり訊ねてみた。

「ずっーと見てたで」

「ふーん、なにをです?」

 動物か建造物だろうか? こちらとあちらでは違う可能性がある。

「有馬を」

「コワっ!」

 知らなくていいことがあるなんて、大人の勝手な言分だと思っていたけれど実際にあるんだな、と有馬は胸に刻んだ。自分のためとは言え常に監視されていると知ってしまえば何をするときも心が休まらない。観賞魚たちもこんな心境なのかもしれない。

「そういえばこっちの世界の人ってモノに向かって話すんやね」

「うるさい! すっげー恥ずかしいよ」

 テレビに突っ込みを入れる恥ずかしい場面を見られた有馬は赤面する。

「しかもいつもと話し方ちゃうよね? なんでやねん、とかちゃうやろ! とか」

「あー、もうやめてくれ。テレビ見てるとつい関西弁のツッコミしてしまうんだよ!」

 こんなことクラスの連中に知れたら終わりだ。明日から有馬はエセ関西人として関西弁で突っ込みをしなければならない仕打ちを受けてしまう。

「もう話しはいいから後ろに乗って下さい」

 そう言って有馬は自転車の荷台を指差す。素直にまたがるリラ。

「スカートめくれないようにして下さいよ。淫乱女と二人乗りなんて近所から変な目で見られるので」

「ほいよ。ずっと持ってたらええんやろ」

 太ももの間に手を置くリラ。それを確認すると有馬は自転車を漕ぎ始めた。

 自宅から自転車で一〇分の河川敷にある運動公園付近まで自転車をこぎ、到着すると有馬は軽く準備運動を行う。

「キレーな場所やね。町中よりも涼しいし、緑多いし」

 その横でリラは辺りを見渡し伸びをしながら言った。確かにここはいい場所だ。川はお世辞にもキレイとは言えないけれど、河川敷は区がちゃんと管理しているから芝も切りそろえられ、ゴミもほとんどない。それに夜なので河川敷の横を走る人はいても、河川敷のグラウンドを使う人は少ない。

「リラさん。早速だけどお願いがあるんだ」

「うーん、できることなら何でもきくでー」

 街灯のもと、芝の上に寝転び、気持ち良さそうにゴロゴロ転がるリラ。こんな奴本当に信用していいのかという疑問が浮かぶも、今朝のあのエスパー的な能力を思い出し有馬は疑念を消し去る。

「昼にさ、唯賀に言ったとありましたよね?」

「あーあのアホアホな」

「アホアホとか言うな」

 体中草まみれの異世界人兼女子高生に言えたことではない。

「だって相手の気持ちを考えてなさすぎるんやもん。彼氏役の話しなんか受けてくれるわけないって」

 有馬は首を横に振り、お前の方がバカだろと小さく漏らす。それを聞き逃すことなくリラは少しふくれながら言い返す。

「なんでバカなん?」

「この服装を見て下さい。俺は今から運動するんだよ。周りを見ればわかります。おっさんやら老人が走ってるでしょ」

 中には同じ年齢くらいの人もいて、有馬は知り合いではないのかと内心ビクビクしてしまう。

「あー、ごめん。もっと考えなあかんね。そっかそっか。じゃあ運動会で大活躍して、恋の宿敵か、ゆいかの心を奪っちゃおう作戦やね……って、ちょっとあたし今、凄いことに気付いた!」

「ど、どうした!」

 リラはいきなり素早く起き上がり、必死の形相で有馬を見つめる。作戦に不備でもあったのだろうか? いや、この顔はもっと重要な何かに気付いたという感じがする。

 もしかしてこの近辺に異世界人がいたとか、そういう類の緊張感。

「もしかして有馬、ゆいかのこと好きなん?」

「……………?」

 リラの意味不明な見解に有馬はただぼうっとリラを見つめる。

「だってだってだって。この二つの作戦、どっちも有馬がゆいかとくっつく作戦や。ホンマはゆいかのこと好きなんやろ。あたしのこと好きやったんちゃうの? あれ、そういえばまだ返事もらってなかったよね?」

 そんな重要なことを今思い出すなんて、リラは本当に俺のことが好きなのだろうか? 余りの馬鹿さ具合に有馬は溜息を漏らす。

「あのさ、俺は唯賀が好きじゃないです。どっちかって言うと嫌い。と言うかついでに俺はリラさんのことも好きじゃない」

「えーっ、あたしずっと見ててただのアホやん」

「それは付き合ってたとしてもアホ、というより変態だ」

 有馬にそう言われるとリラは膝から崩れ落ち、四つん這いになって影を落とす。

「あの、リラさん。でも嫌いじゃないですよ。それに会って初日で両思い、なんて嘘っぽいでしょ?」

 有馬の慰めの言葉に、それもそうやね、と自分に言い聞かせるよう呟くリラ。

「それに俺はあなたのことを、能力のことをしっかりと知らない。だから一度、二人で協力して何かを成し遂げ、本当に二人は相性がいいのか試してみませんか? こちらの世界の文化でも結婚を前提としたカップルが一緒に住む、なんてこともしますし」

 リラは飛び上がると有馬の両手を両手で包み、それええな、と何度も頷く。

「結婚を前提? そこまで考えてるなんて。ってことはこれからも一緒におれへんとき見てていいってことやんな」

「えっ?」

 結婚を前提にすることがどうして監視に繋がるのかわからず、思わず表情が強張る有馬。

「だってな、好きな人がどんな行動をとるか知っといた方が彼女候補としても知っといた方がいいやろ?」

「でもわざわざ見なくても、二人で共同作業だけでも――」

「見たいっ!」

 リラは真剣な顔をして有馬の手をぎゅっと押しつぶすように握る。ここで命を三度も救ってもらった恩を思い出し、気が引けた有馬は泣く泣く首を縦に振ることにした。残り四二日を我慢すればいいことだ。

「やった、ありがとう!」

 両手を上げて喜ぶリラ。有馬の手も握ったままだから変な万歳になってしまう。

「ところで、その共同作業なんですが、さっき唯賀の為に運動会で大活躍作戦の話しをしましたよね。けど俺の力じゃ一週間どころか一年練習しても大活躍なんて無理です。だから、そこでリラさんの超能力です。それを僕に向かって使ってくれれば何とかなると思うんですよ」

「なるほどー。例えばどんなことをすればええの?」

 その答えに有馬は戸惑った。人が想像しうるほとんどのことを実現できる、と言われても想像しにくい。それにある程度具体的な説明でないとリラだって能力を使い辛いはずだ。

「リラさん、他の異世界人ってどんな力を使えるんですか?」

「えーっと、基本みんな姿を消す力を持ってて、それプラス物を動かしたり、水とか火を使えたり、あと風も起こせるね。あと自分の身体能力を上げたり」

 リラの能力を使って有馬の身体能力が上がったように見せかける方法かつ、見ている人全員にそれを気付かせない方法。それでいて自分の身が最も安全な方法。

 いきなり吹く河川敷独特の風に目を瞑る有馬だが、その後、なるほど、と顎元に手を当て思いついた考えをリラに伝えた。

「では一度、俺が走りますんで風を俺の背中に当てて下さい」

「それでええの? わかった」

 どの屋外競技でも風の影響は絶大だ。それは陸上競技も例外ではない。短距離走でも追い風と向かい風で記録が変わってくる。先ほど吹いた風といつかの世界陸上を観ていた有馬はそれを思い出したのだ。

 有馬は腕を振り駆け出した。だが本気ではなく六割程度だ。思い切り走ってしまうと走る方に集中してしまう。それではダメで、どのくらいの風力をリラが出せるか有馬は知りたい。

「うお、いいかんじーーっておい!」

 始めは風力五メートルくらいで足の回転が追いつくほどだったのだが、一秒ごとに段違いに風力が上がっていき、しまいには辺りのランニングする人々が足を止めるまでになっていた。

 当然その中心にいた有馬はこけてしまい、風のお陰で芝の上を転がり続ける。

「ちょーい。ストップ! ストップストップ!」

 風を止めようと叫ぶ有馬だが風の音が強過ぎて数十メートル先にいるリラには届かない。

 リラが風を止めたのは草むらに引っかかる有馬の姿に気付いてからだった。有馬は芝の上をおよそ五〇メートルも転がっていた。記録およそ四秒。

「ごめんな有馬。あたし調整がへたっぴやねん」

 そう言って草むらに引っかかる有馬をリラは引っ張る。

「初めからそう言って下さいよ」

 体中に付いた草木を払いながら有馬は再び考える。調整が下手なら上手くすればいいのだけど、一週間という短期間でそれができているのならリラだってもうちょっとマシなはずだ。ならばリラはそちらのセンスは皆無だと思っていい。だから見出さなければいけない。出来るだけリラが力の調整をしなくてすみ、有馬の足が絡まらず最低でも一〇〇メートルを走りきる方法を。

 その後二人は幾つかのやり方で走ってみた。

 単純に履いている靴の重さを軽くしてみたり、有馬の足下を跳ねる素材に変えたりしてみたのが、どれも失敗に終わった。

 靴の重さは、軽くすることには成功したがいかんせん有馬の足は元が元なのであまり意味がなく没。跳ねる素材は跳ねすぎて約三メートル飛んでしまい、落下するところをリラにキャッチしてもらい、事なきを得たが、有馬はまた高所恐怖症の階段を一つ登ってしまったのでこれも没。

 最後にもう一度、最初に行った風を吹かす方法を試してみたが、結果は同じだった。

 頭と筋力の両方を使っても成果が上がらないことに疲れを感じ、二人は土手に寝転び少し休憩する事にした。

 もうどうしていいのかわからず、有馬はため息をつき空を見つめた。月は半分だけ輝きを見せ、それを周りの星々が大小様々な光で彩る。

「あのさ、俺の周りの重力だけを変えるってのはどうですか?」

「出来る事は出来るけど、力を使いすぎてへとへとになるなあ。重力は地球を変えんといけんから。石や靴を変えるのとは別やよ」

 そりゃそうか、と有馬は再び夜空を眺める。

「月も川もキレイやね。まあ、余分な光がない分、あっちの世界の方がキレイやけど」

 有馬は空を見つめながら質問する。

「向こうじゃ、こんな電灯とかビルはあまりないんですか?」

「ないない。だってあたしらの日常に道具を使うことってあんまりないからな」

 リラは少し懐かしそうな目をして有馬を見つめた。

「じゃあ野菜とかも切れないし、電気も点かないし、火も起こすないんですか?」

「それは道具を使わんと自分でするんよ。火も電気も水も能力者が作るねん」

「それはすごいですね」

「というより、それが向こうじゃ当たり前なんよね。あたしが思うのにこの世界の人達は他のものに頼りすぎてると思う」

「他のもの? 頼りすぎてる?」

 その言葉が気になり、有馬は訝しげな表情をして訊ねた。

「そうやで。生物や或いは物とか木や草もそうやし、もっと言ってまえば地球にも頼りっぱなしや。だからこの世界はちょっと空気も悪いし、空も海の色も変。風の流れも。でもそれが全部悪いとは言えんけどね。もうちょっと人間にも役割分担した方がいいんちゃうかなって」

「この世界の人が言ってもなんの重みも感じない言葉なんですが、あっちの世界の人が言うと重過ぎます」

 有馬にはリラの話が、この作戦には両者のリスクが必要であると遠回しに言っている気がした。なので決意を固め、初めから考えていた有馬にもリスクが伴う作戦をリラに告げた。

「リラさん。今度は俺の手を引っ張って走ってくれます? 自分の体を消すことは出来ますか?」

「できるで、この世は波やからね。あたしの体を人の目に見えへんようになる振動で揺らせばええからそない難しくないよ。でもそれやったら有馬を引っ張らなアカンから変な走り方になるで」

「それは仕方ないです。スマートで楽して、しかもノーリスクで早く走ろうとすることがおこがましいんです。さあ、やってみましょう。もうそろそろ帰る時間ですので。あっ、リラさんの体は消さなくていいですよ」

 運動公園の真ん中で有馬は両手を前に出し、足は駆け足の体勢を取るというわけのわからぬ格好で構え、リラは前を向きながら手を後ろにして有馬の手を引くという、こちらもよくわからぬ体勢で構えた。

「しっかりと口閉めてな、舌噛むで」

「了解。そうしたら、ようい……ドン! ぐっ」

 思っていたよりもリラの手を引く力が強く、有馬はリラの手を離さないよう更に強く握る。まるで雪車に乗って引っ張られているような形で有馬は駆けていく。有馬は一体いつリラがコントロールを失い暴走するのか気になったが、その様子はなく、順調に程よい速度で走れている。一〇〇メートル一一秒半辺り。中学の全国大会レベルだ。これなら負ける事はない。だが、有馬の足はもう限界にきていた。

 太ももを上げるたびに弦を切るような痛みが伝い、腕もパンパンに張り痛みはないが重さを感じる。二〇〇メートルを越えた辺りで体力も限界に来た有馬は、ついに足が動かなくなり、足を止めるがリラはそのことに気付かず、有馬はそのままうつむけの形で倒れ、五〇メートルほど引きずられてしまった。

「ごめんなー。ちょっと走る事に集中しすぎたわ」

 手を引き、有馬を起き上がらせようとリラはする。

「いえいえ、大丈夫ですよ。芝生だったのですべり台の気分を味わえました」

 心にもないことを言う有馬だが、今はリラに文句を言うより、成功した喜びを感じていたかった。これで、運動会で活躍し、クラスから、いや学校中から尊敬の目を向けられる。今まで運動に関しては中の下だった有馬はその光景を想像するだけで眉唾ものだ。今の有馬にとって唯賀など二の次なのだ。

 活躍の目処が立っただけでなく、リラは物に対して能力を発揮する場合はハチャメチャにコントロールしてしまうが、自分に対して発揮する場合はある程度コントロールできる事が知れ、リラの取り扱い方法を知るいい機会にもなった。

 のだが、有馬はリラに手を引かれても立ち上がる事が出来なかった。足がけいれんしている。

「すみません、ちょっと力が入んなくて」

 せいぜい一〇〇メートルを一五秒後半で走る脚力しかない人間が、一一秒半ばで走り、しかも体勢も悪かったのだから当然の結果だ。明日も筋肉痛が残りまともに走れないだろう。

「うわー、ホンマやピクピクしてる」

 寝転んだ状態の有馬の太もも辺りを指でつつきリラはへらへら笑う。

「あの治癒とかできます?」

「そんなん出来へんよ」

「えっ?」

 有馬は『人が想像しうるほとんどのことができる』と昼間にリラが言った言葉を脳内で反芻した。

「嘘だ。冗談言って。火や水は出せてハンドヒーリング出来ないなんて嘘ですよね」

 ふるふると首を振り残念そうにリラは言った。

「ホンマに無理やねん。だから帰りはあたしが自転車漕ぐな」

 自転車に乗りたかったのだろうか、そう言ってリラは爛々とした目をする。

「マジですか……。まあ明日は土曜だし疲れを残しても支障はないけれど。じゃ、お願いします」

 その後、有馬はリラと二人乗りをした事に心底後悔した。

 チェーンが切れるんじゃないかというスピードで狭い住宅地を暴走されたからだ。それは遊園地の絶叫マシーンを越える恐怖だと、有馬は荷台に乗りつつ絶叫した。


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