第九話 聖女ラエルザ 雨を降らせる
夕暮れに染まるキルクス村、村長のハネスはマグノリア邸からの帰り道に溜息を吐いた。
「まさか領主がやって来るとは、どうしたものか……」
ハネスの脳裏には、ラエルザの姿が思い出された。可愛らしい少女ではあるが、ハネスにとってこのキルクス村にとっては厄介ごとの種でしかなかった。
これまでキルクス村は、貧しいながらも平和にやって来ていた。魔物が跋扈し、村は猫の額のように狭い。だがそれ故に盗賊にも目を付けられることはなかった。また領地を顧みない領主は、税をとることもしなかった。おかげでせまい土地であっても、何とかやってくることができたのだ。
「どうして今頃になって……」
ハネスの口から、途方に暮れた声が出た。何故ラエルザが領地に戻ってきたのか、その理由はわからない。このキルクス村はよそとは隔離された世界であり、よその事情、特に王都でのことなど知りようもなかった。だが予想は可能だ。おそらく王都で何かがあり、居続けることができなくなったのだろう。
そして彼女達は自分達に領地があったことを思い出し、そして税をとっていなかったことも思い出したのだ。当然、これまで免除していた税を取り立てるべきだと考えるだろう。
「これまでですらギリギリだったのに、この上税まで取られては……」
ハネスの口からは、溜息しか出ない。税を払うとなれば、収穫の四割、下手をすれば五割を持っていかれるかもしれない。そうなれば餓死者が出るだろう。
村を預かる村長として、何とか税を軽減してほしいところだ。しかし交渉は難しいだろう。
「おい! お前の家はまだか! 我々はつかれておるのだ!」
後ろから声が飛び、ハネスが振り向くと、豪華な馬車が後ろをついて来ていた。窓からは口ひげを生やした太った男が身を乗り出している。
「はい、もうすぐです」
ハネスはうんざりしながらも答えた。彼は王都から来た役人で、ボードンという男だった。なんでも領地の管理に問題があるということで、監査に来たらしい。
どうやら王都は、マグノリア家からこの土地を取り上げるつもりのようだった。監査の項目は多岐にわたるらしいが、大きな項目として税収があるらしい。つまりちゃんと税金をとり、国に納めることが求められるわけだ。そうなるとラエルザに対し、徴税を手加減してくれとも言いにくい。
「ねぇ、まだなの?」
背後の馬車から甲高い声が飛んでくる。振り返ると冷たい目の女性がこちらを不快気に見下ろしていた。おそらくボードンの奥方だろう。不機嫌さを隠そうともせず、扇を仰いでいる。
「はい。我が家はそこでございます」
ハネスは夕日に赤く染まる自らの家を示した。こぢんまりとした庭付きの家が一軒、村の中に建っていた。
「なんだ、村長の家だというのに、他と変わらんではないか!」
馬車の中からボードンが怒鳴る。自分の家をけなされたが、怒る気にもなれなかった。
ハネスは村長をしているが、キルクス村はそもそもが貧しい。どこの生活も似たり寄ったりで、村長であっても贅沢な暮らしができるわけではない。
「我らが滞在する場所はあるのか!」
「離れがございますので、そちらへどうぞ」
叫ぶボードンに、ハネスは庭の奥にある離れを手で示した。以前親夫婦が住んでいた場所だ。今は倉庫となっているが、寝起きするだけなら十分使えるだろう。
「なんだと! 我らを離れに押し込めるつもりか! 母屋を用意せよ!」
いきなりやって来たというのに、ボードンは勝手なことばかり言う。
「それは構いませんが、母屋の隣は家畜小屋です。鳴き声や糞の臭いがしますが、そちらがよろしかったですか?」
ハネスは内心で笑いながら尋ねた。キルクス村では大事な家畜を守るため、母屋は家畜小屋と一体となっているのが普通だ。ハネスも生まれた時から馬や牛と共に育ったため、糞尿の臭いは気にならない。しかし王都から来た役人にはきついだろう。
「そんなの嫌よ! 絶対に嫌!」
案の定、ボードンの隣にいる女性からは金切り声が飛んでくる。
「ええい、仕方がない。離れに案内せよ」
忌々しいと顔を締めながら、ボードンが命じる。
「全く、どうしてこんなところに住まなきゃいけないのよ」
「落ち着けパミラ、あと三日の辛抱だ。それまでに屋敷をきれいに掃除させて移り住める」
パミラと呼ばれた女性が、馬車を下りながら不平を漏らし、ボードンが取りなす。
「掃除が終わらなかったらどうなるのよ!」
「そうなればもっと楽だ。屋敷も管理できないなど貴族ではないと、報告しに帰ればいい」
ボードンはそれが狙いだと笑う。話を聞いていたハネスは、そういえばそちらの問題もあったなと思いだした。
ボードンは領主であるラエルザに対し、三日以内に屋敷を修繕し、自分達が住めるようにしろと命じた。広い屋敷を女性二人で修繕などできるはずもなく、ハネス達が駆り出されることになるだろう。しかし今、キルクス村にそんな余裕はどこにもなかった。
「埃っぽいところね」
馬車から降りたパミラは、ハンカチを口元に当てる。
「ここ何日も、雨が降っていないものでして」
ハネスは重い気分を隠せなかった。このところキルクス村では雨が降らず、日照りの被害に遭っている。夏になれば収穫だというのに、雨が降らないせいで麦が枯れ始めているのだ。
村の灌漑設備も壊れているため、水を撒くには湖から運ぶしかない。現在は村人が総出で水を運び、畑に水を撒いている状況だった。
ラエルザはハネスから見れば孫のような年齢で、できれば助けてあげたかった。しかし屋敷の修繕に人手を割いている余裕はない。
「雨が降ってくれればよいのですが」
ハネスは空を見上げるが、夕焼けの空には雲一つない。雨が降る気配は全くなかった。
「それはあの娘の雨乞いにでも期待するのだな」
ボードンが笑って答えた。ラエルザが村の窮状を知り、雨が降るようにお祈りをしてみると言っていたことをハネスは思い出す。
王都では神託教会で働いていたようなのだが、子供らしい発想だった。いや、今の彼女達にできることと言えば、神頼みぐらいなのだろう。
自分の子供か孫ぐらいの年齢の子である。助けてあげたいが、この空模様では雨が降ることなどありえなかった。
ハネスが最後に大きく溜息を吐くと、不意に頭に何かが当たった。指で触れてみると、わずかに濡れている。しかし夜になりつつある空を見上げれば、深い青色をした夜空には星が瞬いていた。雲は一つもなく、雨のはずがなかった。しかし水滴はさらに降り続く。
「まさか……」
ハネスは感嘆の声を上げた。雲一つない空から雨が降り始めたのだ。
自分だけが見ている幻影ではない。ボードンやパミラも、突然の雨に空を仰いでいる。
「馬鹿な、ありえん」
「奇跡が起きたとでもいうの?」
ボードンとパミラは、呆然としていた。ハネスも信じられなかった。村では家々から村人が出てきて、突然の雨に驚きながらも喜んでいた。この雨がどれほど続くかはわからないが、収穫の助けになってくれるだろう。まさに奇跡、恵みの雨だった。
そこまで考えた時、ハネスはラエルザとの約束を思い出した。雨が降れば、屋敷の修繕を手伝うことになっていたのだ。
約束した時は、雨が降るとは思わなかった。しかし実際に雨が降った以上、修繕のために村人を集めねばいけないだろう。とは言え、たった一日の天気雨では、村の日照りを解消することはできない。屋敷の修繕も、一日では終わらないだろう。
「あと三日ほど雨が降ってくれれば、修繕も出来るが、さすがにそれは無理だろうな」
ハネスはひとり呟いた。しかしそれから十日間、キルクス村には夜になると雨が降った。村の人々は、この不思議な現状に皆が首をかしげた。だが真相にたどり着いた者は、誰一人いなかった。
聖ラエルザ伝 第一章 第一節
聖女ラエルザは日照りに苦しむ村人に涙し、神に祈りをささげた。聖女の涙は雨となって降り注ぎ、乾いた大地を潤し大いに実りをもたらした。
ロメリア戦記のアニメが、2026年10月3日(土)21時~
アニメタイムズ・U-NEXT・Netflixにて国内独占&地上波先行配信!
また2026年10月5日より
TOKYO MX/BS11/サンテレビ/KBS京都/CBCにてⅡクールで放送が開始されます !
皆さん見てください




