第十話 聖女ラエルザ 魔物を討伐する①
鬱蒼と覆い茂る森の中を、巨大な熊が闊歩していた。
その体は並みの熊の倍の大きさを誇り、丸太のように太い腕には岩をも穿ちそうな爪が並んでいる。全身を覆う体毛は血を浴びたように赤黒く染まり、光る双眸はさらに赤い。そして額には、青い氷の様な石が張り付いていた。
キルクス村の住人に『血マダラ』と恐れられる、森の魔物であった。
縄張りを歩く血マダラは、突如腕を振り上げて、近くにあった木の幹を殴りつけた。太い爪は頑丈な木の繊維を易々と抉り、幹の半分が削り取られる。木は自重を支えられず、ミシミシと音を立てて倒れた。
木に棲んでいた鳥達が一斉に飛び立ち、木が倒れた場所に隠れていた兎や鼠も逃げまどう。
逃げていく獣達を見て、血マダラは咆哮を浴びせかけた。
何故木を殴ったのか、血マダラ自身もわからなかった。血マダラの脳内には怒りと破壊衝動が常に渦巻き、何かを攻撃せずにはいられなかったのだ。
木を倒した血マダラだが、苛立ちが晴れることはなく、怒りをぶつけ破壊する相手を探す。鼻息荒く縄張りを歩いていると、黒い鼻が何かを感じ取った。
森の獣の臭いではない。人間だ。それも若い雌が山を挟んだ向こう側にいることを、血マダラは鋭敏な嗅覚でかぎ取った。
少し距離はあったが、血マダラはすぐに足を向けた。人間は弱い上にうまい。ただ知恵が回るため、最近は血マダラの縄張りに全く近寄ってこなかった。久しぶりのごちそうに血マダラは鼻息荒く山を駆け上り、あっという間に山を越えた。人間の臭いが強くなり、茂みの向こうにいることがわかる。
珍しい獲物を逃がすわけにはいかない。血マダラは地面に伏せ、茂みに身を隠してじっくりと相手を観察した。
予想した通り、相手は小柄な女だった。金色の髪には赤いリボンが止められており、青い袖とスカートからは柔らかそうな手足が伸びている。
女はこちらに背を向けており、完全に無防備だ。
いける!
血マダラは茂みから飛び出て、女に襲い掛かった。
右の爪で右肩から背骨を一気にへし折る。必勝を確信した血マダラだったが、女が紫電の速度で振り返った。女の青い瞳と目が会った瞬間、小さな口が動く。
「ああ、やっと見つけた」
何を言ったか分からなかったが、次の瞬間、血マダラの左肩に衝撃が走った。体が弾き飛ばされ、木にぶつかりようやく止まる。
痛み以上に驚きが勝った。起き上がり女を見ると、どこから取り出したのか、その右手には巨大な棍棒が握られている。
黒々とした鋼鉄の棒には幾つもの突起が飛び出し、先端には禍々しい髑髏が取り付けられている。ただ不格好なことに、髑髏の左には何故か赤い紐がひらひらと揺れていた。
「貴方がこの周辺で暴れ回っている、血マダラって魔物ね」
女は左の指を突き付ける。何を言っているのかはわからなかったが、挑発していることは理解できた。
弱い人間如きがと、血マダラは咆哮で返した。そして身を震わせ突進する。血マダラが上から爪を振り下ろすと、女は身の丈を超える棍棒を横にして受けた。
この状況に血マダラは勝利を確信した。
さすがに鋼鉄の棍棒を、爪で引き裂くことはできない。しかし血マダラと女では体格が違う。上から押し潰せば確実に勝てると、血マダラは腕に力を入れた。だが必勝を期した顔は、直後に驚愕に変じる。
どれほど力を入れようとも、押し潰すことができないのだ。まるで巨大な岩を相手にしているかのように、びくともしない。
体重をかける血マダラに対し、棍棒を支える小柄な女が不敵な笑みを見せる。
「それが限界のようね」
女がペロリと舌で自身の唇をなめたかと思うと、血マダラの視界が一回転した。背中に衝撃が走り、倒れている自分に気づく。起き上がった血マダラは、自分が投げ飛ばされたことに気づいた。
血マダラは驚きに目を丸めた。自分の半分もないような女に、投げられたことが信じられなかった。
「ちょっと痛いわよ!」
動揺醒めぬ血マダラに対し、女は棍棒を振るう。頭を打たれるかと思ったが、棍棒が狙ったのは尻だった。強かに打たれ、血マダラは悲鳴を上げた。
痛みはあったが、出血もなければ骨も折れていない。代わりに屈辱が体中を駆け巡る。
血マダラは女と距離をとり、身を低くして唸る。
怒りに毛が逆立つが、相手がただの人間でないことはすでに理解していた。無闇に飛び掛かることはせず、じっと相手を睨む。そして額についている青い石に力を込めた。するとにわかに冷気が立ち込め、周囲の温度が急速に低下する。
血マダラを中心に霜が降り、草木が凍り始めた。
突然の低温と凍結だが、血マダラは驚かない。額の石に力を籠めると、何故かこういったことが起きるのを、経験で知っていたからだ。
「へぇ、さすが魔物と呼ばれるだけあって、魔法も使えるのね」
女が棍棒を構え直す。何を言っているのかはわからないが、血マダラも生まれた時から、こんなことができたわけではなかった。ある時から急に体に力が漲り、体格もどんどん大きくなっていった。そしてついには、周囲を凍らせるようなことができるようになったのだ。
ただ同時に怒りっぽくなり、常に何かに苛立つようになった。だがその疑問さえ、怒りに呑まれ消えていった。今頭にあるのは、目の前の女を殺すことだけだ。
血マダラは冷気を操り、空中に幾つもの氷の塊を生み出す。女に向かって吠えると、氷は飛燕のように飛びだしていく。
女は棍棒を振り氷の塊を迎撃する。だがそれが狙いだ。棍棒に当たり氷が割れた瞬間、低温の水があふれ出して棍棒と女を凍てつかせる。
「なにこれ? 棍棒も凍ってる?」
慌てる女に、血マダラは氷の礫を撃ち続けた。白い冷気が雲のように立ち込め、周囲の一切が見えなくなる。
これだけ打てば十分だろうと礫の斉射を止めると、一陣の風が雲を攫う。すると初夏の森の中に、冷気漂う氷山が姿を現す。白く透き通る氷の中には、氷漬けにされた女が閉じ込められていた。あとは腕で一撃してやれば、どんな相手でも粉々だった。
手こずらせやがってと、血マダラは氷山に向けて腕を振り上げる。しかしその時、氷の中の女が笑った。野生の勘が警告を告げ、血マダラは即座に腕を振り下ろした。しかしそれよりも早く、氷が割れて女が戒めから解き放たれる。
「しもやけになったら、どうしてくれるのよ!」
氷を砕いて現れた女は、棍棒を振り上げて血マダラを打ち据える。体を強打され、血マダラは倒れた。すぐに起き上がろうとしたが、背中に巨大な棍棒が乗せられる。岩のように重く、血マダラの力をもってしても起き上がることが出来なかった。
「ごめんね、ちょっと痛いけど我慢して」
動けなくなった血マダラに対し、女が手を伸ばし額にある青色の石を掴む。血マダラの体が急に大きくなり始めた時に、突然額に出てきた石だった。
女が力を込めて石を引っ張ると、皮が裂けて石が剥がされる。
痛みが走ったが、死ぬほどではない。ただ血マダラの体から急速に力が抜け、同時に頭を支配していた怒りと破壊衝動が、霞の様に消え去っていく。
「はい、もう行っていいわよ」
女は棍棒を持ち上げ、血マダラを解放した。殺戮衝動が消え去った血マダラは、王者であった誇りと血マダラという物騒な名をかなぐり捨て、その場を走り去った。
ロメリア戦記のアニメが、2026年10月3日(土)21時~
アニメタイムズ・U-NEXT・Netflixにて国内独占&地上波先行配信!
また2026年10月5日より
TOKYO MX/BS11/サンテレビ/KBS京都/CBCにてⅡクールで放送が開始されます !
皆さん見てください




