第三十一話 聖女ラエルザと特級魔導人形師⑤
三日月が空に鋭く弧を描く下で、焚き火を前にユークは一人で座っていた。
焚火を囲むほかの姿はない。巡回商人は馬車の中で眠っている。毛むくじゃらの魔物も、起きているのか寝ているのか、ユークにはわからなかった。
一人の夜だが、静けさからは程遠かった。何故ならば二体の魔導人形が、道を塞ぐ土砂を撤去しているからだ。土を掘り石を投げる音が終始響き渡り、虫の音さえかき消されている。
ユークは土砂で塞がれた道を見た。夜まで休まず魔導人形を動かしているが、撤去できた土砂の量は、半分といったところだった。明日の昼には開通するだろうが、この先の道がどうなっているかはわからない。他の場所でも土砂崩れが起きていれば、更に足止めを食うだろう。
ユークの口からはどうしても欠伸が漏れる。魔導人形の操作は事前に指示式を組みこんでおくことで、ある程度は自動化できる。ただし寝ていてもいいほどではないため、遠くからでも見守る必要があった。
特にやることもなく、単調な音が断続的に続く環境ではどうしても眠気が出て来る。眠ってはいけないと思うものの、その思考こそが睡魔を誘った。
頭が船を漕ぎ、瞼が落ちる。ユークの思考は浅い眠りへと落ちていった。
「おーい、ラエルザ。いるかい?」
王都にあるマグノリア邸。その中庭でユークは声をあげ、屋敷の主を探した。
ラエルザが在宅していることは、屋敷の使用人に聞いて判明している。しかし部屋に案内されてもラエルザの姿はなく、窓だけが開いていた。
こういう時は決まって、窓から外に出て遊びに行ったのだとわかる。ただユークが来訪することは事前に伝えていたので、遠くに行くようなことはしていないはず。おそらく中庭で遊んでいるのだろうと、当たりを付けた。
そして使用人たちの許可をもらい、中庭を探して歩いてみたが、庭を一回りしても見つからない。
「こまったな。明日には仕事で王都を出るから、今日は会っておきたかったのに……」
ユークの口からはぼやきが漏れる。ガレル大河に橋を架ける仕事は、長い時間がかかる。もちろん折を見て王都には戻り顔を出す予定だが、これまでのように気軽に会えるわけではなくなる。そのため今日はゆっくり会える最後の時間だったのだ。
「もしかしたら屋敷の中にいるのかな?」
中庭にはいないとユークは諦め、屋敷に戻ろうとしたその時だった。屋敷の屋根から、何かが落ちてくる。
ユークは慌てて飛びのき、驚きと共に落ちてきたものを見た。
それは金色の髪に、青と白のドレスを着たラエルザだった。
その体は猫のように身軽でしなやか、空中で一回転し見事に着地して見せる。ラエルザの手には黒猫が一匹掴まれていた。猫は少女の手から抜け出そうと身をよじって暴れる。
「ちょっと、落ち着いて。離してあげるから。貴方が屋根に上って、降りられないからおろしてあげたのよ」
ラエルザは落ち着いてとあやしながら、黒猫を地面に下ろす。すると猫は一目散にかけていき、中庭の茂みへと消えていった。
「もう屋根なんかに上っちゃだめよ!」
逃げ去っていく猫の背中に声をかけ、ラエルザが振り返る。そしてユークと目が合った。
「ユーク、どうしてここに?」
「それはこっちの台詞だよ」
笑いと共にユークは返した。
手で支えていた顎が落ち、その衝撃でユークは覚醒した。
目を何度も瞬かせ、ユークは自分が夢を見ていたのだと気づく。
「しまった、寝てしまったか」
息を吐いて周囲を見回すと、焚火の火が消えかけていた。ユークは薪を足して顔を上げると、魔導人形が土を掘る音も聞こえなかった。ユークが寝てしまったせいで、魔導人形も止まってしまったのだろう。
ユークは火のついた薪を松明代わりに持ち上げ、魔導人形達がいる場所に向かった。
土砂崩れで塞がった道へと向かうが、魔導人形の姿がない。代わりに地面に何か大きな塊が転がっていた。
松明を掲げてみると、地面に関節球が取り付けられた岩や石が、バラバラとなって落ちている。その岩肌には大きな傷痕が刻まれていた。
「こ、これは!」
ユークの背筋に悪寒が走った。危険を察知したと同時に、頭上からは唸り声が聞こえる。
見上げると八つの瞳に八本の足。額には赤い魔石が輝いている。巨大な蜘蛛の魔物が三日月を背にユークを見下ろしていた。
魔物!
凶悪な敵を前にユークの背筋は凍える。
即座に反撃の方法を考えるも、ユークに打てる手は何一つなかった。
得意の魔導人形をつかおうにも、すでに倒されている。関節球を再起動して新たな魔導人形を生み出すことは可能だが、その時間がない。
ユークは眼球だけを動かし、乗ってきた馬車を探した。使役された魔物が繋がれた馬車であれば、魔物にも対抗できる。何とかそこまで逃げることができれば……。
ユークが後ろに逃げようと、僅かに重心を動かした次の瞬間、蜘蛛の姿が消失した。
息を呑むユークの背後で、先ほども聞こえた唸り声がした。ユークが目だけを動かすと、蜘蛛の魔物が背後にいた。
これほど巨大な質量が、音もなく一瞬で移動したのだ。
動けないユークの後ろから、蜘蛛の魔物がゆっくりと顔を前に出す。蜘蛛の顔がユークの視界に侵入し、八つの瞳と視線が合う。蜘蛛の瞳の下には、ユークをかみ砕こうと大顎が左右に動いていた。
だめだ、死ぬ!
確実な死を前にしてユークは叫ぶことすらできなかった。ただ唯一自由になる思考だけは、最後にもう一度だけラエルザに会いたいと願った。
叶った。
蜘蛛の魔物の口が動き、ユークに襲い掛かろうとした瞬間。
月を背にラエルザが降ってきた。
「こら!」
叱りつけながら、ラエルザは手にした巨大なシャベルで蜘蛛の頭を叩き伏せる。
八本の足でも衝撃を支えきれず、地面に体を打ちつけた蜘蛛の魔物は動けない。そのすきにラエルザは左手を伸ばし、蜘蛛の額にある魔石をつかむ。そして力任せに引きはがした。
「あっちへ行ってなさい!」
さらにラエルザは蜘蛛の足の一本をつかむと、まるで紙のように持ち上げる。そしてそのまま蜘蛛を遠くへと投げ飛ばした。
巨大な姿は夜の闇へと消えて見えなくなる。
呆然とするユークの前で、ラエルザは巨大なシャベルを肩に担いで振り返る。
ラエルザと目が合う。彼女の大きな瞳が、さらに驚きに広がる。
「あれ? ユーク。どうしてここに?」
それは以前と変わらない、あどけないラエルザの顔だった。その姿に、緊張に固まっていたユークも頬も弛緩する。
「それはこっちのセリフだよ」
ユークは笑いながら返すしかなかった。
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