第二十話 聖女ラエルザと嘘つきソイル①
森の茂みから、黒い影が姿を現す。
咆哮と共に飛び出てきたのは、巨大な角を持つカブト虫だった。双眸は燃えるように赤く染まり、その体は猪のように大きく、黒光りする外骨格を陽光に反射させていた。
「なっ、デカ……!」
あまりの大きさに、ソイルは目を見開いた。通常は掌に収まる大きさのカブト虫が、こんなに大きくなるなんてありえなかった。だが角の根元を見れば、そこには緑に光る魔石が輝いている。
魔物だ。そのため小さな虫が、これほど巨大になっているのだ。
カブト虫の魔物は長く大きな角を振りかざしたかと思うと、ラエルザに向かって突進する。その速度は馬のように速い。
「ラエルザ! 危ない!」
ソイルはとっさにラエルザを助けようとしたが、迫りくる魔物はあまりにも速い。
二人同時に押しつぶされる!
ソイルは恐怖に目を瞑った。しかし衝撃も痛みもやってこない。恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
「大丈夫、ソイル?」
ソイルを守るように、ラエルザが立ちはだかっていた。青いドレスの袖から伸びる腕は、カブト虫の大きな角を掴んでいる。魔物はソイル達を押しつぶそうと足を前に動かす。しかし棘の生えた脚は地面を掻くばかりで、ラエルザの小柄な体はピクリとも動かない。
「いきなり驚かさないでよ……ね!」
ラエルザが角を持つ腕に力を籠めると、カブト虫の巨体が持ち上げられる。
宙に持ち上げられた魔物は、六本ある足をわちゃわちゃと動かすことしかできない。
ラエルザは、掛け声と共に巨大なカブト虫を背中から地面にたたきつける。魔物はゴロンと転がり地面に足を着くも、足に力が入らないのか起き上がれない。
「ちょっとごめんね」
ラエルザは謝りながらカブト虫の顔に近づき、緑色の魔石に手をかけてはぎ取る。
魔石を奪われた魔物は短く吠えるも、燃えるような赤い瞳が落ち着きを取り戻したかのように黒くなる。そしてのそのそと動き、森の中に逃げていった。
逃げる魔物をラエルザは止めず、手を振って見送る。
危険な魔物が一瞬にして無力化され、去っていった。
一部始終を見ていたソイルは茫然として言葉もない。肩にいる精霊様も放心したように立ち尽くす。
見つめるソイルの視線に気づき、ラエルザは体を震わせた。
「あの、これはその……違うの」
ラエルザは慌てて言いつくろおうとした。だがごまかしの言葉を言おうとしたが、直前で思いとどまり口を閉ざす。そして迷いと葛藤を見せたのち口を開いた。
「ううん、ごめんなさい。何も違わないの……。私は生まれつき力が強くて、岩を持ち上げたり、魔物を倒したり簡単にできるの」
俯きながら告白するラエルザの顔は曇り、苦しげに顔を歪めていた。
「こんな力、怖いよ……ね。ごめんね、隠してて」
ラエルザはそれだけ言うと、ソイルの返事も待たずに振り返った。顔も見せず、視線も合わせないまま歩き出す。その寂し気な背中を見て、ソイルは今、自分が大きな岐路に立たされていることに気づいた。
この瞬間の行動は、自分の一生を左右する。
何故かはわからないが、ソイルの胸に確信に近い直感があった。だが何を、どうすればいいのかわからない。どうすれば、どうすれば……。
「待てよ!」
答えの出ぬまま、ソイルはラエルザを呼び止めた。ラエルザは振り返らずに足を止める。その立ち尽くす背中を見て、ラエルザが恐怖していることにソイルは気づいた。ラエルザが振り返らず視線も合わせないのは、自分を恐れる視線を見たくないためだ。
魔物を軽々と倒す力を持ちながら、その心は子鹿のように震えている。
ソイルは一度唇を舐め、腹から声を出した。
「べ、別に怖くねーよ」
嘘だった。正直に言えば、ソイルはビビっていた。魔物を簡単に倒す力を見て、怖くないわけがなかった。だがそれ以上に、ソイルはラエルザを失いたくなかった。
自分の名前を憶え、精霊様の存在を信じ、共に泣いてくれた少女を失いたくなかった。
「なんで俺よりちっちゃいお前を、俺が怖がらなきゃいけねーんだよ」
ソイルはあえてぶっきらぼうに言いきった。嘘つきソイル、一世一代の大嘘だ。
「言っておくがな、俺は昔こ~んなでっけぇ魔物を倒したことがあるんだぞ!」
ソイルは両手を大きく広げ、大きさを示した。
「他にも南にあるげんこつ大岩を持ち上げたことだってあるし、山より大きな湖の主だって釣り上げたんだ」
ソイルは何度も両手を広げ、大きさを示した。誰が聞いてもわかる嘘に、ラエルザは目を丸めていた。しかし次の瞬間笑みへと変わる。
「嘘でしょ、それ」
「ほんとだって! じゃあ今度釣りに行こう。俺の釣りの腕前を見せてやるから!」
ソイルは村の方向を指差す。村の奥にある湖での釣りは、村の子供ならだれでもやる遊びの一つだ。
遊びの約束を提案すると、ラエルザの瞳からまた涙がこぼれる。だがその顔には笑みがあった。精霊様もラエルザの肩に飛び移り、頬を伝う涙をぬぐう。
「うん、行こう。約束だよ」
ラエルザの言葉に、ソイルはああと頷いた。
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