第二話 聖女ラエルザ 婚約破棄される②
衛兵に突き飛ばされた私は、数歩よろめきながらも踏みとどまった。振り返れば白い外観が美しい、王宮グスターヴの姿がそこにあった。
宮殿の前で私は俯き溜息を吐いた。王宮から追い出された以上に、グエンの言葉やサリーナの怯えた顔が胸を抉った。
グエンとは幼馴染で、数え切れないほど遊んだ。サリーナともいい友達だった。その二人から拒絶されたのは、あまりにも辛い出来事だった。
「やっぱり、ちゃんと話しておくべきだったかな……」
私の脳裏に後悔がよぎる。力のことは秘密だが、グエンやサリーナには伝えておくべきだった。もちろん真実を告げれば、距離を置かれたかもしれない。だが二人を信頼し、まずこちらから打ち明けるべきだった。友を信頼せず、先に裏切ったのは自分なのだ。追い出されても仕方がない。
再度溜息を吐いていると、背後から声が掛けられた。
「ラエルザお嬢様。ここでしたか」
振り返ると黒い侍女服を着た女性が立っていた。短い髪は黒に近い青色をしており、眼鏡の下にはやや鋭すぎる三白眼と左に泣きボクロがある。
彼女は長年、私に仕えてくれている侍女のアリサだった。
「アリサ……その、グエン。いえグエン王太子からは婚約を破棄されて、屋敷からも追い出されることになったの」
「存じております。お嬢様が王宮に連行された後、王太子の部下がやって来て、私やほかの使用人達も屋敷を追い出されました。家財も差し押さえられたようです」
「ごめんなさい。私が力を使ったばっかりに、いつも注意されていたのに……」
私の目から涙がにじんだ。アリサは私の力を知っており、こうならないようにと何度も注意してくれていた。でも私は、いつも後先考えずに行動してしまう。その結果、アリサやほかの使用人達にも迷惑をかけてしまった。
死んだお父様やお母様。魔王を倒し、一代で地位を築いたお爺様に申し訳が立たない。
涙を零す私の前で、アリサが大きな溜息を吐く。
「もう済んだことです。お嬢様がそういう人だってことは、私も分かっていました。ほら、涙を拭いてください」
アリサは柔らかい声とともに、ハンカチを差し出して慰めてくれる。
「それよりも腹立たしいのは、あのガキの所業です。まったく舐めた真似をしてくれる。お嬢様を泣かせるなど、万死に値する」
アリサの目つきが険しくなり、優しい声が一転して凄みの利いた声へと変わる。
「あ、あの、アリサ? その、もしかしてグエン王太子のことを言ってる?」
私は恐る恐る尋ねた。グエンは王太子だ。つまりこの国の次の国王になることが、決まっている人物である。間違ってもガキなどと言ってはいけない。
「王家に生まれただけの凡夫の分際で、お嬢様と婚約してもらえたことを幸運に思うべきところを、何を思いあがったか婚約を破棄するなど。そもそもその婚約すら、聖女に認定されたお嬢様の人気を利用して、王家の求心力を高めようと言うせこい根性が見え隠れした……」
「待って、もう止めて!」
私は慌ててアリサの口を塞いだ。ここはグィード王国の、しかも王宮の前なのだ。門には先ほど私をつまみ出した衛兵もいる。そこで王太子をこき下ろしては、不敬罪で処刑されても文句は言えない。
私は振り返り門を見た。さすがに声までは聞こえなかったようだが、衛兵はさっさと帰れとこちらを睨んでいる。アリサがこれ以上暴言を吐く前に、退散したほうがいい。
「アリサ、話は後にして、とにかくここから離れましょう」
私がアリサの袖を引くと、彼女も王宮前の石畳の道を歩きだしてくれる。しかし、この後どこに行けばいいのかわからなかった。屋敷は差し押さえられ、帰る場所がないのだ。
「お嬢様。屋敷からは追いだされ、家財も差し押さえられました。ですがこれらは、王国の法律にのっとった正式なものではありません。グラルド王が病で臥せっているのをいいことに、あのガキ……いえ、王太子が独断で行ったことです。しかるべき筋から抗議すれば、大半は取り戻すことができるでしょう」
「本当?」
私は一瞬声を明るくしたが、すぐに顔が曇った。
「駄目よ、どうやって抗議すればいいのかわからない」
自分で言うのも何だが、私は頭が悪い。考えるより体を動かしている方が性に合っているのだ。法律なんて難しすぎるし、まず何をすればいいのかもわからない。
「でしたら知り合いの専門家に頼ってみては? お友達はたくさんいるでしょう?」
「そんなの無理よ、聖女でなくなった私を、助けてくれるとは思えない」
私は首を横に振った。確かに親しくしてくれる人達はいるが、それもこれも王太子の婚約者であり、教会に認定された聖女という地位があってのことだ。王家と教会の庇護を失った今、私と親しくする理由はない。
「そんなことはないと思いますが……」
アリサは呟きを零すが、そんなことはある。王太子であるグエンの怒りを買ってしまった以上、私に味方はいないだろう。何より……。
「他の皆にまで、失望されたくない……」
私の脳裏に、冷たい目を向けるグエンやサリーナの視線が思い出された。もしほかの友人に同じような顔をされたらと思うと、私は耐えられなかった。
「まぁ、お嬢様がそう言われるのでしたら構いません。それでこれからどうするか、当てはあるのですか?」
アリサに問われ、私は立ち止まった。当てどころか、所持金すらない。
私は普段から現金を持ち歩いていないし、装飾品の類も身に着ける習慣がない。
「ごめんなさい、アリサ。宝石のついた指輪でもあれば、退職金代わりにあげられたのに……」
「何を言っているんです。退職金なんていりませんよ。そもそもお嬢様のお側を離れるつもりはありません」
アリサは目尻を吊り上げて叱る。
「でも、お給料もあげられないし……」
「そんなもの、いりません。お給料が出なくても、私はお嬢様の侍女ですからね」
言い切るアリサに、私はあっけにとられた。
「ところでこれからのことですけれど、屋敷や家財は差し押さえられました。年金の残りはございますが、出入りの業者への支払いや、ほかの使用人達の退職金を考えねばなりません。もちろん踏み倒すと言う方法もございますが……」
「それは駄目よ、業者さん達に迷惑はかけられないし、使用人の皆には、できる限りのことはしてあげて」
私としては譲れない問題だった。私のせいで、これ以上皆に迷惑をかけるわけにはいかない。
「そう言われると思い、家令のスミスさんにあとのことを任せておきました。こまごまとした支払いや、使用人達の退職金の手配。再就職先の斡旋と紹介状の作成などは、万事うまくやってくれるとのことです」
アリサの説明を聞き、私は胸をなでおろす。難しいことはわからないが、スミスさんに任せておけば安心だろう。
「ただそうなりますと、お嬢様に残されたお金は、それほど多くはありません。今のところ手元にあるのは、金貨にして百枚ほどです。家財の整理が終われば、余った分はお嬢様のものとなりますが、まだ先となります」
「それって、どれくらい生活できる金額なの?」
これまでお金に困らず生活してきた私は、金貨百枚で何日生活できるのか分からなかった。
「家賃の安いところを探しても、半年といったところでしょうか。お嬢様が身に着けていた衣服などは、差し押さえを許さず持ってきました。ですが持ち出せたのは衣服を含め僅かです。こまごました日用品を揃えるとなると、更に費用が掛かります」
「そう……よね」
私は暗い気分になった。一年は三百六十日。一ヶ月は三十日だ。春先の今はいいが、お金が無くなる頃には冬になる。そうなれば飢え死にだ。
「もはや物価の高い王都にはいられません。こうなった以上、領地に戻ってみてはいかがです?」
アリサに領地と言われ、私は首を傾げた。
「領地ですよ、領地。マグノリア家は伯爵家ですよ? マグノリア伯爵領があります」
アリサに指摘され、私はようやく思い出した。確かお爺様であるラザリックが貴族に列せられた時、領地も拝領した。ただ私は王都で生まれ王都で育ち、領地に行ったことは一度もない。そのため領地のことを忘れていた。
「お嬢様、忘れていたのですか?」
「いや、まさかそんな……もちろん覚えていたわよ。ただ領地も没収されたと思って」
「王太子の屋敷や家財の差し押さえは、不法と言える行為です。また領地の没収も、簡単に行えることではありません。下手をすれば貴族の反発を招きますので」
アリサは教えてくれるが、私には難しい政治や法律は理解できなかった。
「でも領地ってどんなところかしら? 私は一度も行ったことがないし、お父様やお母様、領地を貰ったお爺様ですら、ほとんど戻ったことがないって話だけれど?」
自分の家が持つ領地のことだが、私は何も知らなかった。というのも与えられた領地は、お爺様が倒したと言われる魔王が支配していた土地だからだ。長い戦乱により荒廃し、荒れ地であると聞かされている。
そんな土地を貰っても、領地から収入を得ることはできない。また当時の国王グラードは、お爺様を大層気に入り、常に側に置きたがった。そのため王都に屋敷をあてがい、年金も支給してくれた。おかげでマグノリア伯爵家は拝領した領地を顧みることなく、長年王都でぬくぬくと過ごすことができたのだ。
「確かラザリック様は、何度か領地に行かれたはずです。その時に滞在のため、キルクス村という場所に屋敷を建てられたという記録がございます。そこでなら不自由のない生活が出来るでしょう」
「でも、いきなり行って迷惑じゃないかしら?」
「お嬢様の領地ですよ、迷惑なものですか。それにマグノリア伯爵家は、領地から税金を徴収しておりません。領民はこの恩情に応えるべきです」
「え? そうなの?」
「はい。荒廃した荒れ地と言うことで、ラザリック様はしばらくの間、税金を免除すると宣言されました。その後この宣言は撤回されず、今に至ります」
「お父様やお母様も、何もしなかったの?」
私は呆れた。領地から収入を得ようと、思わなかったのだろうか?
「はい。お二人も領地を気にかけることなく、王都で過ごされていました。そして現当主も、領地を忘れるほど無関心です」
アリサの言葉に、私は視線を彷徨わせる。確かに、私は何もしないどころか、何も知らなかった。お父様達を非難できない。
「これまで税金なしで楽をしていたんです。私達が厄介になったところで、大した負担でもないでしょう。それに税金をとっていなかった分、繁栄しているかもしれません。マグノリア領での暮らしは、意外にいいものかもしれませんよ?」
「そうね、悪くないかも」
私は明るい声を出した。少なくとも、屋根のある場所で冬を越せるかもしれない。
「どうされます? 領地へ向かわれるのでしたら、すでに準備はできていますが?」
道を歩くアリサは視線を前へと向ける。そこには一台の馬車が止まっていた。屋根の上には、幾つもの鞄が括りつけられている。私が領地へ戻ると予想し、アリサは旅の準備を整えてくれていたのだ。
「ええ、行きましょ! 今すぐに!」
私は住み慣れた王都を後にし、見たことのない自分の領地へと旅立った。
そして、二十日の月日が流れた。
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