第十二話 聖女ラエルザ ボードンを困らせる
「ええい、何故だ! どうしてうまくいかない!」
怒りのままに、ボードンは机を叩いた。すると横から声が飛ぶ。
「ちょっと、いきなり大きな音を立てないでよ」
寝台で横になる妻のパミラが、不快に目を細める。ボードンは済まないと謝罪した。
「ねぇ、いつまでこんな田舎にいるつもり? いつもなら、もう終わっているころじゃない」
パミラが気だるげに不満を述べる。
ボードンの仕事は、貴族達が適切に領地を管理しているかを監査する監査官だった。もっとも、この監査は形式的な場合が多い。
領主が殺人や違法行為に手を染めていない限り、問題にすることなどできない。また仮に違法行為があったとしても、国家に仇なす事でもなければ、口出ししないのが通例だった。
「宴もないし、料理もまずい。部屋も最低。何なのよ、これ」
パミラは忌々しいと部屋を見回す。数日前に修繕されたマグノリア邸だが、住める程度には修復されたものの、部屋の格調は最低であった。壁紙は張られておらず、床には敷物もない。調度品もほとんどなく、申し訳程度に寝台や机があるだけだった。
「いつもと全然違うじゃない。これならついてくるんじゃなかった!」
パミラの不満ももっともだった。監査官は各地に赴き接待を受け、時には心づけを貰って帰る。簡単でありながら、甘い汁の吸える仕事だった。しかし今回は少し事情が違う。
「仕方ないだろう、今回は特別な仕事なのだ」
ボードンは頭を掻いた。
ラエルザ・ロウ・マグノリア男爵。
かつてはグエン王太子の婚約者であり、神託教会の聖女でもあった小娘だ。百年前に魔王ゼーダインを打ち倒した英雄ラザリックの孫娘でもあり、将来が約束されていた女だった。しかし何があったのかグエン王太子の不興を買い、婚約を破棄され、聖女の称号も失ったらしい。
「もう王都に帰ったら駄目なの?」
「馬鹿を言え、これはグエン王太子直々の命なのだぞ」
ボードンは唾を飛ばした。婚約破棄を決定したグエン王太子だが、よほど頭に来ているのかラエルザの領地に対する監査を行い、領地を没収するようにと命じた。
うまくやれば、出世の糸口になるかもしれない大事な仕事だ。逆に言えば失敗は許されない。
「だったら早くしたら、簡単な仕事だって、来る時は言っていたじゃない」
妻の言葉にボードンは返答に詰まった。ボードンも最初はそう思っていたのだ。
英雄ラザリックが魔王討伐の褒美として受け取ったマグノリア領だが、荒れ地として有名だった。褒美に与える土地がなく、魔王ゼーダインが支配していた土地をそっくりそのまま与えることにしたのだ。
広大ではあるが長い戦乱により荒廃し、住むことも畑にすることもできない荒野だ。
あくまで名目上の褒美であり、まともな領地ではない。ラザリックもそのことを理解しており、領地経営に乗り出すことはなく、代々の当主達も、マグノリア領に足を運ぶことすらしなかった。そうなればまともに領地が運営されているはずもなく、すぐに問題を見つけて、王都に帰ることができるはずだったのだ。
「仕方ないではないか! 雲もないのに、雨が十日も連続で降ったのだぞ!」
ボードンは訳が分からなかった。
この地に来たばかりのボードンは、マグノリア邸の屋敷が廃墟であることをしった。一方で村は日照りに見舞われており、毎日湖から水を汲んで畑にかける重労働を行っていた。これは使えると見たボードンは、三日以内に屋敷を修繕するように命じた。
屋敷を修繕できなければ、領主失格として領地を没収する。
無理やり村人を動員して屋敷を修繕した場合は、ラエルザを弾劾する書状を村人に書かせ、領地没収の口実にする。
どちらを選んでも領地を没収できる予定だったのだ。しかしラエルザが神に祈ると、空に雲すらないというのに雨が降り、大地を潤したのだ。
村人達はラエルザが起こした奇跡だと噂し、喜んで屋敷の修繕に手を貸した。おかげでボードン達は広い屋敷に移ることができたが、村人の間ではラエルザが素晴らしい聖女だと噂され、完全に当てが外れてしまった。
「それじゃぁ、魔物の討伐はどうなったの? 今日はその調査だったんでしょ?」
パミラがため息交じりに白い視線を向ける。十日前、ボードンは次なる手段として、領内の魔物を問題視した。マグノリア領は碌な軍備もなく、交配した森や山には魔物が数多く生息していると言われていた。危険な魔物を放置するなど、領主にあるまじき行為である。
ボードンは十日後に行う調査までに、魔物を退治せねば領地を取り上げると宣言した。
危険な魔物をたった十日で退治するなど不可能であり、条件を突き付けられたラエルザは、神に祈るしかなかった。これで領地の没収は確実と、ボードンは意気揚々と調査を行った。しかし――。
「魔物は出なかった。昨日村人を調査にやったが、見つからなかった」
「村人が嘘ついているだけじゃないの?」
「儂もそう思って、今朝、ベオルブとヨネスの二人を向かわせた」
ボードンは王都から連れてきた、二人の護衛の顔を思い出した。若いヨネスは頼りないが、ベオルブは戦いで右足を負傷するまでは、王国の騎士団にも在籍していた手練れだ。
「先ほど戻ったが、二人も魔物を発見できなかった。ベオルブは魔物討伐を数多くこなしていて、魔物を捜索する経験も豊富だ。奴が見つけられなかったとは考えにくい」
「ふーん、どこか行ったのかしら?」
「それはありえない、魔物は縄張りから移動することはない。もしあるとしたら、より強力な魔物が出た時だけだ」
妻の気の無い返事に、ボードンは常識で返した。
「なら、元々魔物なんていなかったんじゃないの?」
「いや、魔物は確かにいた。周囲の木や岩には、大きな獣の爪跡が残されていたらしい。ベオルブが言うには、第五等級か第六等級の魔物だろうとのことだ」
ボードンは訳が分からなかった。六等級の魔物と言えば、小さな村を破壊できるほどの力を持つと言われている。討伐には並みの兵士なら三十人、もしくは闘気を操る騎士が数人は必要と言われている。それほど強力な魔物が、勝手にいなくなるはずがない。
「何故魔物がいないのだ? 誰かが倒したのか? まさか、あの娘が化け物のような力を持っているという噂は、本当だったのか?」
ボードンは社交界で、まことしやかに囁かれている話を思い出した。なんでもあのラエルザはとんでもない怪力の持ち主だという。
「ちょっと、あんな馬鹿げた話を信じているの?」
寝台のパミラが一笑に付す。笑われてボードンも少し恥ずかしくなった。そんなことあるわけがない。グエン王太子が、婚約破棄をするために流した嘘だろう。
「しかしだとすると、どうして魔物がおらんのだ。まさかあの娘の祈りが神に通じ、魔物を消し去ったのか?」
「それも在り得ないでしょ? たまたまよ、たまたま」
冷静になりなりなさいよと、パミラは手を振る。
「魔物はいたけれど、たまたま弱い奴だったんじゃない? そして村人にちょっと腕の立つ人がいて、運よく魔物を退治した。そんなところよ、きっと」
妻に諭されたが、ありえる話に思えてきた。ラエルザにとっては運よく、ボードンにとっては不運が重なり、偶然にも魔物が倒されたのだろう。
都合のいいことだが、時としてそういったことは起きる。世の中には信じられない豪運を持つ者がおり、奇跡のような現象を引き起こす。大物政治家や大将軍、大商人といった一流の者達は、凡人には持ちえない何かを持っているのだ。
「まぁ、腐っても元は聖女だからな……」
ボードンは理解できないことを考えるのをやめた。妻のパミラは常識に欠けるが、余計なことに惑わされない単純さがある。話していると情報が整理され、考えがまとまる。
「問題は、ラエルザを追い詰める手段の一つが使えなくなったことだ」
ボードンは自身の目的と問題に立ち返った。自分がせねばならないのは、ラエルザから領地を取り上げることである。魔物がいなくなった理由は、どうでもいいことだった。
「どうせ来年の税金を払うことはできん。だがそれまで待つわけにはいかん」
「こんなところに、長くいたくはないしね」
パミラが、調度品も何もない部屋を見回す。それもあるが王太子からは一刻も早く、ラエルザから領地を取り上げろという命令だった。一年も待っていられない。
「どうするの? 簡単なことなら、村人が手を貸して解決してしまうかもしれないわよ」
パミラの問いに、ボードンはそうだなと答えながら髭を撫でる。
雲もないのに雨が降ったことにより、キルクス村の村人は、ラエルザを特別視する動きがある。馬鹿げた話だが、無知蒙昧な村人は信じやすい。飾らない性格も相まって、ラエルザは村人の心を掴んでいた。ラエルザが頼めば村人は手を貸すだろう。となると村人が総出になっても、実現不可能な問題でなければならない。
「……どうしよう? なぁ、お前。どうすればいい?」
「あのねぇ、ちゃんと考えてる?」
「仕方ないだろう、監査で無理難題を吹っ掛けるなど、これまでなかったのだ」
目尻を吊り上げる妻に、ボードンは言い訳をした。今回の監査は、今までとはあまりにも勝手が違っていた。
「ラエルザに無理難題を言ったとして、他の監査でも同じことをしているのかと聞かれたらこまる。無理難題を突き付けるにしても、よその領地でも達成できないようなことは言えない」
ボードンが額に汗を流して考えていると、パミラの溜息が聞こえてきた。
「じゃぁ、よその領地にはあって、ここにはない物は? それでいいんじゃない?」
パミラは簡単に答えを出す。しかし――。
「他の領地にあって、ここにない物とは何だ?」
「そんなの知らないわよ! 仕事であちこちの領地には行って来たんでしょ!」
妻に叱られてボードンはしょげる。考えてみるが、何も思いつかなかった。パミラを見るが、もう知らないと顔を背けている。これ以上話して、手掛かりを得るのは難しそうだ。
ボードンは唸りながら、窓の外に目をやった。キルクス村の家々が見え、その奥には畑があった。村も畑も小さく、なんともみすぼらしい場所だった。ボードンがこれまで見てきた、どの村よりも貧しい。畑の奥には、村を取り囲む山々が見えた。来る時に見たが、山の向こうはまばらに草が生える手つかずの荒れ地だった。
魔物が出現して危険であることに加え、土地が痩せていて、畑には適さない場所なのだろう。畑を広げる余地もなく、発展性のない村だった。その時、ボードンの頭の中に閃きが起きた。
「なんだ、あるじゃないか」
ボードンの脳裏には、手つかずの荒れ地が広がっていた。
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