第7話 日本へ
世界中に向けて、北南調整調和委員会の決定が公式に発表された。
特異体質を持つ南半球の少年、御手宮タケルを北半球へ迎え入れ、国家の最高レベルで保護および研究の対象とするという歴史的な通達だった。
北半球のあらゆる巨大ビジョンや個人の端末に、ニュース特番が映し出される。画面の中央を占拠したのは、昨日の修学旅行で撮影されたタケルの姿だった。健康的に日焼けした肌、タフで筋肉質な体格、そして戸惑ったように笑う野性味あふれる十七歳の等身大の表情である。
それを見た北半球に住む約十六億人の女性たちは、五十年間途絶えていた「生身の若い男」の圧倒的な存在感に大熱狂した。
「嘘、本当にあんなにかっこいいの!?」
「なんて生命力に溢れてるんだ……!」
街中の広場では女性たちが歓声を上げて崩れ落ち、SNSのサーバーは世界中からのアクセス集中で幾度もダウンした。完璧に管理された静かで高度な自動化社会である北半球に、劇薬のような熱狂とパニックが巻き起こったのである。
その熱狂の渦の中心にいるタケル本人は、南半球の政府施設の一室で、分厚い資料を広げる役人たちと向き合っていた。
「決定事項だ、タケル君。君には明日から北半球へ渡ってもらう」
スーツを着た北半球側の代理人が、淡々とした口調で告げた。
「向かう先は、極東アジア地区の日本だ。あそこには北半球が誇る世界最先端のバイオテクノロジーと、最高峰の検査機器が揃っているからね。君のその『壁をすり抜ける力』の謎を、徹底的に調べさせてもらうそうだ」
突然の通告に、タケルは目を白黒させる。日本といえば、AR越しにしか会ったことのない母と妹が住んでいる場所だ。
「もちろん、君は人類の希望であり、超VIPだ。我々が同行することはできないが、滞在中は最高級のセキュリティを誇る五つ星ホテルのスイートルームを用意してあるそうだ。食事も身の回りの世話も、すべて完璧に保証してくれている」
「はあ……ホテル、ですか」
タケルは曖昧に頷きながら、自分の人生がとんでもない方向へ転がり始めているのを実感していた。
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その日の夜。重い足取りで南半球の自宅へと帰ってきたタケルは、すぐさまダイニングルームのARプロジェクターを起動した。
光の粒子が収束し、テーブルの向かい側に母の玲子と妹の芽衣の姿が浮かび上がる。南側の席には父の英明と祖父の隼人も座り、御手宮家の緊急家族会議が開かれた。
「……というわけで、俺、検査のために日本の施設に行くことになった。滞在先は、政府が用意した高級ホテルだそうだ」
タケルが少し疲れた声で発表すると、画面の向こうで息を呑む音が聞こえた。
『日本に……来るの!? タケルが、こっちに!?』
玲子がARの投影領域ギリギリまで身を乗り出し、目を潤ませて歓声を上げた。
『ほんとに!? あなたに再開できちゃうのね……!』
芽衣も信じられないといった様子で口元を覆い、コロコロと表情を変えながら喜びを爆発させている。
「ああ。でも、ホテル暮らしになるから、簡単には会いに行けないかもしれないけど……」
『ホテルなんて駄目よ!』
タケルの言葉を遮るように、玲子が強い口調で言い放った。
『いくら高級ホテルだって、そんな見知らぬ場所で、十六億人の女の子たちから狙われる環境に一人で放り込まれるなんて心配すぎるわ! タケル、うちに来なさい。お母さんと芽衣と一緒に暮らすのよ!』
「えっ、でも、政府がホテルを……」
『私がずっとタケルの面倒を見るわ! そんな冷たいホテルなんかより、絶対にうちの方がいいに決まってるじゃない! それに、あなたが危ない目に遭うかもしれないなんて、母親として黙っていられないわ』
息子を想う気持ちに溢れた玲子からの、有無を言わさぬ熱烈な提案だった。
タケルは少し戸惑いながらも、ふと心が軽くなるのを感じた。誰も知らない北半球で、一人きりでホテルに軟禁されるより、ずっと画面越しに言葉を交わしてきた家族と一緒に暮らす方が、どれほど安心できるだろうか。
「……そうだな。俺も、母さんたちと一緒に暮らしたい」
タケルが素直にそう答えると、玲子は「ああ、タケル……!」と歓喜の涙を流し、芽衣は「べ、別に、一緒に住むからって、家族なんだからどうこうなるわけないからね! そ、それに部屋はちゃんと分けさせてもらうからね!」と顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。リアルな兄に会える未来を前にして、期待と不安が交錯している。
「善は急げだ。すぐに政府の担当者に確認してみる」
タケルは手元の端末を操作し、昼間会った政府の代理人に電話をかけた。
「すみません、滞在先のことなんですが。日本のホテルじゃなくて、日本に住んでる俺の母親の家に住んでもいいですか?」
電話の向こうで、担当者が少しだけ沈黙し、カタカタと端末を叩く音が聞こえた。
『……御手宮玲子氏の自宅ですね。確認しました。予定している抗体研究のチーフディレクターがいる研究施設からも近距離に位置していますし、セキュリティの観点からも身内の家であれば問題ないでしょう。許可します』
「本当ですか! ありがとうございます!」
タケルが通話を切って親指を立てると、ダイニングルームは歓喜の渦に包まれた。
「よかったな、タケル。母さんたちに直接会えるぞ」
父の英明が、少し目尻にシワを寄せながら、不器用な愛情を込めて嬉しそうにタケルの肩を叩いた。祖父の隼人も「十六年ぶりの生身の家族の再会か。こいつはめでたい」と目を細めている。
こうして、世界中が大パニックに陥る中、タケルは研究対象として北に滞在しつつ、母である玲子の家で暮らすことが決定した。
デジタル越しでしか会えなかった家族との、リアルな同居生活。そして、未知なる十六億人の女子たちが待ち受ける北半球での日々が、ついに始まろうとしていた。




