第44話 テロリスト
特級遺伝子および抗体研究のチーフディレクターである霧島理沙による、「ゼロ・シェル無効化新薬」の開発成功という歴史的な発表から数日が経過していた。
御手宮タケルの通う北半球の中高一貫校は、これまでにない熱気と希望に包まれていた。五十年間、決して越えることのできなかった見えない壁がなくなる。それは、画面越しでしか見たことのない南半球の生身の男たちと、物理的に触れ合える時代が来ることを意味していた。
そして何より、その奇跡の鍵を握る「救世主」が、自分たちと同じ校舎で学んでいるという事実が、女子生徒たちのタケルに対する熱狂を限界突破させていた。
昼休み。タケルはいつものように、妹の芽衣やクラスメイトたちに囲まれながら、中庭のベンチで昼食をとっていた。
「お兄ちゃん、あーんしてあげる! はい、特製バイオ培養食のミートボール味!」
芽衣がこれみよがしにタケルの口元にフォークを差し出す。リアルな兄を前にしてブラコン気質とツンデレを爆発させている彼女は、学校でも常に「家族特権」を振りかざし、タケルの隣の特等席を死守していた。
文通相手である葉寺優愛は別の学校に通っているため、この場にはいない。タケルを独占する最大のライバルが不在の今、芽衣はタケルの左腕にぴったりと抱きつき、周囲の女子生徒たちに強烈なマウントをとっていた。
「……ありがとう、芽衣。でも自分で食えるって」
タケルが照れくさそうにフォークを受け取ると、周囲を取り囲んでいた数十人の女子生徒たちから、ギリギリと歯ぎしりをするような音が漏れた。
「いいわよね、芽衣ちゃんは。妹っていうだけで、タケル君のあの分厚い胸板のすぐそばにいられるんだから」
「私たちなんて、少し近づいただけで警護官に止められるのに……家族特権、ズルすぎるわ」
血走った目でタケルと芽衣を睨みつけるクラスメイトたち。彼女たちのタケルに対するオスのフェロモンへの飢えと、芽衣に対する鬱憤は、すでに爆発寸前まで膨れ上がっていた。
+++
その平和な昼休みの空気は、突如として鳴り響いたけたたましい警報音によって無惨に引き裂かれた。
『緊急事態発生! 正門を突破し、武装した集団が校内に侵入しました! 生徒は直ちに近くの教室に避難し、内鍵をかけてください!』
AIチューターの無機質なアナウンスが校内放送で流れた直後、中庭のスピーカーが何者かによってジャックされた。
『我々は聖殻真理教団である! 愚かなる北半球のテクノクラートどもよ、直ちに神からの授かりものである壁の破壊計画を中止せよ!』
ヒステリックな大人の女性の声が、キャンパス中に響き渡る。
聖殻真理教団。それは、五十年前の赤道事変で現れたゼロ・シェルを「神が人類に与えた試練であり、地球を浄化するための美しいフィルターである」と崇拝する過激派の宗教団体だった。
『我々の目的はただ一つ! 壁の無効化という冒涜を企む悪魔集団の中心人物、御手宮タケルの排除である! 大人しくタケルを差し出せば、他の生徒には手を出さない!』
「なっ……俺を狙って!?」
タケルは顔を青ざめさせた。新薬の発表が、変化を恐れる狂信者たちを刺激してしまったのだ。
「キャアアアアッ! テロリストよ!」
「逃げて! タケル君も早く!」
中庭にいた生徒たちが一斉に悲鳴を上げ、パニックに陥って逃げ惑う。政府から派遣されていた数人の警護官たちが武器を構えて応戦に向かうが、数十人規模で重武装した教団員たちの波に押され、防衛線が突破されつつあった。
「芽衣! それに、お前らもこっちだ!」
タケルは咄嗟に芽衣の腕を掴み、逃げ遅れそうになっていた十数人のクラスメイトの女子たちを庇うようにして、一番近くにあった校舎一階の「体育用具の備品室」へと飛び込んだ。
+++
ガチャンッ! と重い鉄のドアを閉め、内側から頑丈な鍵をかける。
窓のない狭い備品室の中は、薄暗く、跳び箱やマットなどの体育用具が所狭しと詰め込まれていた。
「ハァ……ハァ……。ひとまず、ここは見つかりにくいと思う」
タケルがドアに背中を預けて息を吐く。
しかし、タケルはすぐに、自分たちが置かれた別の意味での「異常事態」に気がついた。
本来なら数人しか入れない狭い備品室に、百八十センチのタケルと、十数人の女子生徒がすし詰め状態で避難したのだ。
必然的に、全員の身体が身動きも取れないほど密着することになる。
極限の恐怖で震えていた女子生徒たちだったが、薄暗闇の中で、自分たちの肌に直接触れている『熱源』の正体に気づいた瞬間、彼女たちの脳内でパニックの種類が劇的に切り替わった。




