第43話 希望の光
教室のパニックがようやく鎮まりかけた頃。
タケルは、まだ涙目で自分を見つめているクラスメイトたち全員に向かって、静かに、しかし確信に満ちた声で語りかけた。
「みんな、聞いてくれ。空の天井のせいで、俺たちは二度と宇宙には行けないかもしれない」
タケルの言葉に、再び女子生徒たちの顔が不安に曇る。
しかし、タケルはニッと口角を上げ、南半球の太陽のような、力強い笑みを浮かべた。
「横にも赤道に壁がある。でも……もしかしたらみんな、越えられるようになるかもしれないんだ」
「……え?」
女生徒が、一斉に目を丸くした。
「この前、北の研究所で検査を受けたんだ。俺の体の中に、あの壁の致死システムを無効化する『抗体』ができてるって分かった」
タケルが明かした未発表の極秘情報に、教室の空気がピンと張り詰める。
「天才女医の霧島さんが、俺の細胞から新薬を作ってくれる。それができれば、世界中の人間が、あの壁を安全にすり抜けられるようになるんだ」
タケルは拳をギュッと握り締め、力強く宣言した。
「俺たちは虫かごに閉じ込められてるんじゃない。これから、俺たちの手で壁を壊して、世界を一つに繋ぐんだよ」
その言葉が教室に響き渡った瞬間。
少女たちの目に宿っていた絶望の影が、まるで朝日に照らされた雪のように溶け去っていった。
縦に行けないのなら、隣り合う世界へ行けばいい。
五十年間、決して触れ合うことのなかった北と南が、物理的に行き来できるようになる。その夢のような希望の光が、タケルという生身の男の口から語られたことで、疑いようのない確かな未来として彼女たちの心に突き刺さったのだ。
「タケル君……っ!」
「タケル君が、私たちの世界を宇宙を繋いでくれるのね……っ!」
歓喜の涙を流し、再びタケルに向かって殺到する女子生徒たち。しかし今度の涙は恐怖ではなく、圧倒的な希望と、タケルに対する信仰に近いほどの強烈な依存と愛情が入り混じったものだった。
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北半球の高級マンションの一室。
AIチューターが静かに稼働するノイズのない部屋で、葉寺優愛は一人、モニターの前で立ち尽くしていた。
手から滑り落ちたグラスが、床で乾いた音を立てて割れている。
「嘘……そんな……」
優愛はガタガタと震える両腕で、自分自身の身体を抱きしめた。
生放送で、人間の突然死を目撃してしまった最悪のトラウマ。それ以上に優愛の心を削り取ったのは、二度とこの空の向こうへは行けないという、絶対的な「閉塞感」だった。
高度に管理された清潔な社会。しかし、それは裏を返せば、逃げ場のない完璧な鳥籠でしかなかったのだ。
「怖い……っ、誰か、助けて……」
パニックに陥りそうになる意識の中で、優愛は無意識に、机の上に大切に保管していたタケルからの手紙の束をギュッと胸に抱きしめた。南の石炭と機械油の匂いが、わずかに鼻腔をくすぐる。
その時だった。
ピコン、と。
テーブルに置かれた端末が、短い通知音を鳴らした。
震える手で画面を見ると、そこにはたった一通の、短いメッセージが表示されていた。
『不安になることは無い。大丈夫だ、俺がいる』
送信者は、御手宮タケル。
その不器用で真っ直ぐな、力強い文字を見た瞬間。
優愛の目から、せき止めていた涙がポロポロと溢れ出した。
世界がどれほど残酷な檻に覆われていようと、自分と同じ空の下に、あの温かくて分厚い手を持ったタケル君がいる。その事実だけが、冷え切りそうだった優愛の心に、強烈で絶対的な熱を灯してくれたのだ。
「タケルさん……っ、タケルさん……っ」
優愛は手紙を抱きしめたまま、安堵の涙を流し続けた。
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そして、翌日。
タケルが教室でフライング発表した希望は、現実のものとして全世界に轟いた。
『緊急特別発表です! 特級遺伝子および抗体研究のチーフディレクター、霧島理沙氏のチームが、御手宮タケル氏の抗体をベースにした「ゼロ・シェル無効化新薬」の理論構築に成功したと発表しました!』
北半球の巨大ビジョン。南半球の酒場のモニター。
画面には、いつものセクシーで隙だらけの態度は完全に消え去り、北半球の未来を背負うテクノクラートとしての圧倒的な知性と覚悟を宿した、霧島理沙の凛々しい姿が映し出されていた。
『数ヶ月以内には臨床試験を終え、全人類への配布が開始される見通しです。皆さん、我々はもうすぐ壁を乗り越えます。明日へ向かって、共に歩きましょう!』
前日の「スカイ・シェル」の絶望によってどん底に叩き落とされていた人類は、この「北と南が物理的に繋がる」という奇跡のニュースに救われ、前日とは全くベクトルが異なる、地鳴りのような大興奮と歓喜の渦に包まれた。
絶望の空から、希望の大地へ。
世界中が熱狂する中、御手宮タケルという十七歳の少年の存在は、全人類を繋ぐ『救世主』として、かつてないほど巨大なものへと膨れ上がっていくのだった。




