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男女比『1:16億』の北半球 ~50年ぶりの生身の男に、世界中が大パニック&大熱狂!~  作者: 団田図


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第37話 透明な壁

「すごいな、北半球のデートスポットって」

 タケルは感嘆の声を漏らした。

 二人はVRアトラクションで旧時代の満天の星空を体験し、高級レストランで色鮮やかな培養食のスイーツを味わった。どれも北半球のテクノロジーの粋を集めた完璧なものだった。

 しかし、タケルも優愛も、どこか上の空だった。


 美しい星空の映像を見ても、計算し尽くされた甘いスイーツを食べても、二人の心臓の鼓動を一番早めていたのは、そんな最新技術ではなかった。

 タケルは歩きながら、そっと右手を下ろし、優愛の小さな左手に自分のゴツゴツとした大きな手を重ねた。

「あっ……」

 優愛が小さく息を呑む。

 タケルはそのまま、優愛の指の間に自分の指を滑り込ませ、ギュッと力強く握りしめた。

 南の過酷な環境で鍛えられた男の分厚い手のひら。そこから伝わってくる、生温かくて、脈打つような本物の命の熱。


 五十年間、この世界で誰もできなかった「ただ生身の手をつないで、並んで歩くこと」。

 どんなに何百億クレジットをかけた最新テクノロジーのアトラクションよりも、ただ隣に好きな人がいて、その体温を感じられるという「当たり前の幸せ」が、二人の胸を焦がすほどに満たしていた。

 優愛は顔を真っ赤にしながらも、タケルの大きな手をギュッと握り返し、嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ。


 一方、その頃。

 陽動作戦に引っかかったものの、倒れた女性たちが残した「フェロモンの残り香」という変態的な追跡能力でギリギリ追いついた二人の女性警護官は、物陰に隠れていた。

「くっ……タケル様が、あんな小娘と手を繋いで……っ!」

「いい雰囲気じゃないの……! 羨ましすぎて、ハンカチがちぎれそうよ!」

 警護官たちは職務を忘れ、自分たちが支給された純白のハンカチをギリギリと歯で噛みちぎらんばかりに悔しがりながら、二人の甘いデートを涙目で見守るのだった。


 +++


 二人が次に向かったのは、この「恋人たちの聖地」の最奥部にある広場だった。

 そこには、北半球で社会現象となっているすれ違いロマンス小説『ウォール・ロマンス』のクライマックスシーンを再現した、巨大なガラスのモニュメントが建っている。見えない壁であるゼロ・シェルを模した透明な壁を挟んで、主人公たちが決して触れ合えない愛を誓い合う、北半球の女性たちにとっては涙なしには語れない伝説の場所だ。


「タケルさん、見てください! 小説に出てくる『誓いの壁』です!」

 普段は清楚でおとなしい葉寺はでら優愛ゆあが、この時ばかりはパッと顔を輝かせ、小走りでモニュメントへと駆け寄った。

「優愛、走ると転ぶぞ」

 御手宮おてみやタケルは苦笑しながら、その背中をゆっくりと追いかける。

 優愛は透明なガラスの壁の前に立つと、コホンと一つ咳払いをし、両手を胸の前で組んで目を閉じた。どうやら、小説の悲劇のヒロインになりきって、有名な名シーンを再現するつもりらしい。


「ああ、愛しいあなた……。この残酷な壁が私たちを隔てていても、私の心はいつも、あなたのそばにあります……」

 優愛は感情たっぷりに甘い声でセリフを紡ぎながら、閉じた目のまま、見えない相手に向かって一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 小説の中では、ここでヒロインの手が冷たい壁に阻まれ、絶望の涙を流すという感動的な場面だ。優愛もその悲恋に浸りきり、ガラスの壁に手をつこうと勢いよく踏み込んだ。


 しかし、彼女は一つだけ、重大な事実を忘れていた。

 五十年間、ARのホログラム越しでしか異性と接してこなかった北半球の少女にとって、「生身の男」がどれほどの厚みと質量を持って空間に実在しているかという、絶対的な距離感を。


「あなたの温もりを、せめてこの壁越しに――」

 優愛が切なげに顔を前に出した、その瞬間だった。


 ゴツンッ!!


「いたっ!?」

「うおっ!?」

 ヒロインの悲痛な叫びの代わりに響いたのは、硬い骨と筋肉がぶつかり合う、ひどく物理的な鈍い音だった。

 優愛が目を閉じて踏み込んだ先には、透明なガラスの壁ではなく、彼女を追いかけて正面に立っていたタケルの、分厚く鍛え上げられた大胸筋があったのだ。

 距離感を完全にバグらせた優愛は、勢い余ってタケルの胸板に自分のおでこを思い切りクリーンヒットさせてしまったのである。


「い、痛たた……」

 優愛は涙目でしゃがみ込み、赤くなったおでこを両手で押さえた。

「だ、大丈夫か優愛!? ごめん、俺が変なところに立ってたから……!」

 タケルが慌てて身を屈め、大きな手で優愛の顔を覗き込む。

「ううん……私が勝手に前を見ないで歩いただけですから……」


 優愛はおでこをさすりながら、ふと、目の前にあるタケルの胸板を見上げた。

 ARのホログラムなら、すり抜けてしまうはずの距離。小説の中なら、冷たい壁に阻まれてしまうはずの距離。

 でも今、自分がぶつかったのは、ドクンドクンと力強く脈打つ、本物の男の人の胸だった。

「……ふふっ」

 痛みを堪えていた優愛の口から、不意に小さな笑い声が漏れた。

「優愛? やっぱり痛むのか?」

「違います。……なんだか、すごく嬉しくなっちゃって」

 優愛はタケルを見上げて、花が咲くように柔らかく微笑んだ。

「すれ違わないで、ちゃんとぶつかれる距離にタケルさんがいるんだって思ったら……この痛みが、奇跡みたいに愛おしくて」


 その純粋で真っ直ぐな言葉に、タケルはハッと息を呑み、そして、照れくさそうに自分の後頭部を掻いた。

「……そうだな。俺も、優愛のおでこがぶつかってきて、すごく心臓が跳ねたよ」

 すれ違いロマンスの聖地で、全くすれ違うことなく物理的に衝突してしまった二人。

 タケルと優愛は、モニュメントの前でお互いの顔を見つめ合い、おかしそうに、そして幸せそうに声を上げて笑い合った。


 一方、その感動的な(?)シーンを少し離れた植え込みの陰から見守っていた二人の女性警護官たちは、もはや限界を迎えていた。

「なっ、なんて古典的な展開なの……っ!」

「胸に飛び込んでごっつんこなんて! ズルい、ズルすぎるわ! 私もタケル様のあの分厚い大胸筋に弾き返されたいぃぃっ!」

 彼女たちは支給された純白のハンカチをギリギリと歯で噛みちぎらんばかりに引っ張り合い、自分たちが護衛対象に抱く変態的な願望と、目の前で繰り広げられる尊い青春の光景との板挟みになり、滝のような涙を流して悶絶していた。

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