第31話 誘拐
高度に自動化され、塵一つ落ちていない北半球の朝は、ひどく静かで無機質だった。
まだ太陽が昇りきっていない薄暗い時間帯。御手宮タケルは、支給されたバイオ繊維のスポーツウェアに身を包み、整備された無人の遊歩道を一定のペースで駆け抜けていた。
頭には目深に被った帽子、顔の半分を覆う大きなサングラス、そして分厚いマスクという、明らかに不審者じみた重装備である。
タケルは南半球特有のワイルドな環境と、毎日のように食らう高カロリーなジャンクフードによって作り上げられた、タフで筋肉質な体格をしている。北半球での生活は快適だが、南の男だらけのむさ苦しい活気や、石炭と機械油の匂いが少しだけ恋しかった。何より、常に誰かに見られ、少しでも正体がバレれば大パニックになる日々に、タケルは息苦しさを感じていたのだ。
だからこそ、誰もいない早朝に重装備でジョギングをすることが、彼にとって唯一のストレス解消法であり、日課となっていた。
タケルの百八十センチの長身から放たれる圧倒的な熱量と、アスファルトを力強く蹴る足音。
すれ違う早起きの女性たちは、タケルの正体を知る由もないが、その特異なオスのフェロモンと生命力に無意識に当てられ、頬を赤らめて思わず振り返ってしまう。
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華やかで清潔な北半球の社会の裏側には、政府の管理を逃れ非合法に精子や遺伝子情報を取引するアンダーグラウンド市場、通称ブラック・ママ・マーケットのシンジケートが存在していた。
国家の技術エリートであるテクノクラートが厳格に管理する遺伝子割り当て法に不満を持つ富裕層に向け、未検査の遺伝子を高値で売りさばく闇の組織である。
薄暗い地下駐車場のバンの中で、シンジケートの実行部隊であるセクシーな女怪盗集団が、モニターに映るタケルの姿を舐め回すように見つめていた。
「歩く特級遺伝子、御手宮タケル……今日も同じルートを走っているわね」
タイトなレザースーツに身を包んだリーダー格の女が、艶やかな唇を歪めて笑う。
「政府の警護が薄くなるこの早朝のタイミング。完璧なルーティンだわ」
「リーダー。彼を捕まえたら、すぐにクライアントに引き渡すんですか?」
部下の女が、息を荒くして身を乗り出した。
「馬鹿ね。五十年ぶりの生身の男よ? しかもあんなに極上で、生命力に溢れてる。闇市場で何百億という値がつく前に……まずは私たちで、たっぷり極上の遺伝子を堪能させてもらうに決まってるじゃない」
女怪盗たちは獲物を狙う肉食獣のような瞳を光らせ、静かにバンを発進させた。
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「ふぅ……だいぶペースが上がってきたな」
タケルは額に浮かんだ汗を拭い、息を整えながら角を曲がった。
その時だった。
「きゃあっ!」
タケルの数メートル前を歩いていた、露出度の高いセクシーなスポーツウェアを着た女性が、派手な音を立てて大げさに転倒したのだ。
タケルは足を止め、ハッとした。
頭に浮かんだのは、南半球にいる祖父の御手宮隼人から通信越しに教わった、レディーファーストで徹底的に紳士として扱えという、旧時代の恋愛テクニックだった。
「大丈夫ですか!?」
タケルは疑いもせず女性に駆け寄り、その場にしゃがみ込んだ。
「あいたた……足首を捻ってしまったみたい。痛くて、立てなくて……」
女性は上目遣いでタケルを見つめ、ひどく甘えた、胸の奥をくすぐるような声を出した。香水のキツい匂いがタケルの鼻腔を突く。
「それは大変だ。救急ドローンを呼びますか?」
「ううん、大丈夫。あそこの駐車場に私の車が停めてあるの。連れが待っているから、そこまで運んでくれないかしら……?」
女性は潤んだ瞳でタケルの腕にすがりついてきた。
タケルは「仕方ないな」と頷き、女性の背中と膝の裏に太い腕を回し、軽々と抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこである。
「ひゃっ……!」
女性は小さな悲鳴を上げた。演技ではなく、南の男の暴力的なまでの腕力と、密着した分厚い胸板から伝わる恐ろしいほどの熱量に、本能的な恐怖と強烈な快感を同時に覚えてしまったのだ。
「車はあっちですね。しっかり掴まっててください」
タケルは女性を抱えたまま、指定された薄暗い立体駐車場へと足を踏み入れた。
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「あの黒いバンよ。ありがとう、優しいのね」
女性が指差した先には、大型の黒いバンがエンジンを切って停まっていた。
タケルがバンのスライドドアの前に立ち、女性を降ろそうとした、まさにその瞬間だった。
バァンッ!
内側から勢いよくドアが開き、車の中に潜んでいた仲間の女怪盗たちが無数の手を伸ばしてきた。
「えっ!?」
タケルが驚く間もなく、腕や肩、胸ぐらを強烈な力で掴まれ、車内へと強引に引きずり込まれそうになる。
「な、なんだお前ら!」
タケルは持ち前のタフな身体能力で踏ん張ろうとした。しかし、背後から先ほどまで怪我人のふりをしていた女性が、タケルの首筋に特殊なスタンガンを押し当てた。
バチィッ!!
「ぐああっ!?」
強烈な電流と、同時に車内に充満した甘い匂いの催眠ガスを吸い込み、タケルの身体から一気に力が抜け落ちる。
抵抗虚しく、タケルはバンの後部座席に引きずり込まれ、ドアが乱暴に閉められた。
薄暗い車内。意識が朦朧とするタケルの視界に映ったのは、獲物を仕留めたセクシーな女怪盗集団の妖艶な笑顔だった。
「捕まえたわ、全世界の希望」
リーダーの女がタケルに馬乗りになり、その逞しい胸板を指先でなぞる。他の女たちもタケルの両手両足をしっかりと押さえ込み、逃げ場を完全に塞いだ。
「こんなに立派な身体……。ねえ、私たちと最高の遺伝子を残しましょう? 優しくしてあげるから、抵抗しないでよ。一緒に気持ちよくなるのよ」
女の甘く危険な囁きが耳元で響く。
タケルは薄れゆく意識の中で、どうすることもできずに絶望の声を上げるしかなかった。
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「さあ、まずはその邪魔なウェアから脱がせてあげる……」
薄暗いバンの後部座席。リーダーの女の艶やかな手が、抵抗できない御手宮タケルの胸元にかかった、まさにその瞬間だった。




