第30話 川の字の夜
玲子と芽衣に両腕をがっちりとホールドされた御手宮タケルは、抵抗する間もなく玲子の寝室へと連行された。
北半球の洗練されたマンションに備え付けられた、シワ一つない清潔でフカフカのキングサイズベッド。
タケルが真ん中に寝かされると、すかさず右に玲子が、左に芽衣が潜り込んできた。
「か、母さん! 芽衣! いくらなんでも狭いって!」
「いいのよ……。1歳だったあの日から、タケルがずっと我慢してきた甘えん坊さんを、今夜はお母さんが全部引き受けてあげる。ねえ、遠慮しないで? 今日からは、世界で一番甘い時間を取り戻しましょう。よしよし……いい子ね」
玲子がタケルの分厚い胸板に頬を擦り寄せ、背中に腕を回してくる 。大人の女性の柔らかく豊かな感触と、ほのかに漂う甘い香水の匂いが、ゼロ距離でタケルの理性を激しく揺さぶる。
「お母さんだけズルい! 私だってずっと寂しかったんだから……。今日からは、お兄ちゃんの反対側は私の指定席! ほら、お兄ちゃん……私のことも、ぎゅってして。逃がさないんだから!」
芽衣も負けじと、タケルの左腕に力いっぱい抱きつき、小さな身体を密着させてきた。十五歳の少女特有の、石鹸のような爽やかな香りと、少し高めの柔らかな体温。
南半球のむさ苦しい男だらけの環境で育ち、女性に対する免疫が全くない十七歳のタケルにとって、家族とはいえ生身の女性二人にピッタリと挟まれるという状況は、完全にキャパシティオーバーだった。
「タケル、本当に大きくなって……心音もすごく力強いわ」
「お兄ちゃん、筋肉すごくて硬いけど……あったかい」
はしゃぎつかれたのか、しばらくして二人のすぅすぅという寝息が、タケルの首元や耳元に直接かかる。右からは母の豊かな膨らみが、左からは妹の華奢な身体が、タケルの野生的な筋肉に隙間なく押し付けられているのだ。
(寝られるわけがないだろ、こんなの……っ!)
タケルは真っ暗な天井を血走った目で見つめながら、己の『オス』としての本能を必死に抑え込み、滝のような冷や汗を流し続けた。結果として、タケルは一睡もできないまま地獄のように長い夜を過ごすことになった。
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翌日。見事に目の下に真っ黒なクマを作ったタケルは、玲子たちが外出している隙を見計らい、自室でこっそりとARプロジェクターを起動した。
光の粒子が空中で収束し、南半球にいる祖父・御手宮隼人の姿が立体的に浮かび上がる。
『どうしたタケル。北の生活には慣れたか?』
「じいちゃん……助けてくれ」
タケルは深くため息をつき、連日の惨状を打ち明けた。
編入した学校での女子高生たちの暴走、天才美人女医・理沙からのセクハラまがいの過激な検査、トップアイドル・キララからの猛アタック、そして昨夜の家族との川の字ハプニング。
「北の女の子たち、男に対する免疫がなさすぎて、ちょっと俺が動いたり近づいたりしただけで、発情したりパニックになったりするんだ。どうすれば、もっと『普通』に接することができるんだよ……」
切実なタケルの悩みに、事変前の男女が直接触れ合えた世界を知る隼人は、深く刻まれたシワを寄せてニヤリと笑った。
『なるほどな。お前が無意識に南の野蛮なオスのフェロモンを撒き散らしているから、北の温室育ちの女たちが刺激に耐えきれずに暴走するんだ。いいかタケル、女ってのはな、本質的に安心感と優しさを求めている生き物なんだよ』
隼人は腕を組み、かつての世界で培った恋愛テクニックを語り始めた。
『俺が若かった2020年代のクラシックな方法を伝授してやろう。まずは「レディーファースト」で徹底的に紳士として扱い、ここぞという時に「頭ポンポン」で庇護欲を満たしてやる。そうすれば、女たちはお前を「ただの野蛮なオス」ではなく「頼れる紳士」として認識し、落ち着きを取り戻すはずだ』
「なるほど……紳士的な気遣いか。それなら俺にもできそうだ」
タケルは真剣な表情で頷き、祖父の金言をしっかりと胸に刻み込んだ。
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その日の午後。タケルはさっそく、隼人直伝のテクニックを実践する機会を得た。
リビングで芽衣が勉強中に、うっかりペンを床に落としてしまったのだ。
「あ、ペンが……」
タケルはサッと身を屈め、ペンを拾い上げた。そして、芽衣にペンを手渡すと同時に、彼女の頭に大きな手を乗せ、優しく『ポンポン』と撫でた。
「ほら。落とさないように気をつけろよ」
南の男のワイルドな笑顔と、紳士的な『頭ポンポン』の完璧なコンボ。
「え……?」
芽衣は完全にフリーズした。
彼女の脳内で、北半球で大流行しているすれ違いロマンス小説『ウォール・ロマンス』の完璧な王子様と、目の前の生身の兄が完全にリンクする 。大好きな兄から放たれた、突然の甘く優しいスキンシップ。
「あ、あ、あわわわわ……っ!!」
芽衣の顔は瞬時に沸騰したように真っ赤になり、「お兄ちゃんが、少女漫画のヒーローみたい……尊い……っ!!」と叫びながら、鼻血を押さえてその場に卒倒してしまった。
「ええっ!? 芽衣、しっかりしろ!」
パニックになりながらも、タケルはその後、呼び出された研究所で霧島理沙にも実践してみた。
診察室に入る際、タケルはドアを開けて押さえ、「どうぞ、理沙さん。レディーファーストです」とスマートに微笑んでみせた。
「なっ……!?」
理沙の知的なメガネの奥で、瞳孔がカッと開いた。
「南の野性的なオスが、北の洗練された男役女優の振る舞いを見せるなんて……! その暴力的なまでのギャップ、私の脳の報酬系が完全に焼き切れるわっ! タケル君、いますぐそのスマートなエスコートで私をベッドに押し倒して!」
「違う! そういう意味じゃないんです!」
さらに暴走を加速させて迫り来る理沙から全速力で逃げ出しながら、タケルは心の中で南の祖父に向かって悲痛な叫びを上げた。
(じいちゃんの嘘つき! 全然普通に接してくれないじゃないか!! 北の女の子たちには、そのテクニックは刺激が強すぎるんだよ!!)
タケルの平和な日常への道のりは、まだまだ遠く険しいようだった。




