第21話 初めての対面
休日の午後。北半球の喧騒から少し離れた、緑豊かな静かな丘の上。
御手宮タケルは、ベンチに座って落ち着かない様子で周囲を見回していた。
女性たちに正体がバレないよう、目深に被った帽子、顔の半分を覆う大きなサングラス、そして分厚いマスクという、明らかに不審者じみた重装備の変装をしている。南半球の暑さに慣れているとはいえ、極度の緊張からか嫌な汗が背中を伝っていた。
(優愛、来てくれるよな……)
その時、背後の遊歩道から、微かな足音が近づいてきた。
「あの……タケルさん、ですか?」
透き通るような、それでいて少し震えているビーズを零したような声。
タケルが振り返ると、そこには手紙の文字から想像していた通りの、清楚で透明感のある少女が立っていた。淡い水色のワンピースが、北半球の爽やかな風にふわりと揺れている。身長百五十八センチの小柄な身体を少し縮こまらせて、大きな瞳でこちらを見つめていた。葉寺優愛だ。
タケルは慌てて立ち上がり、帽子とサングラス、マスクを一気に外した。
「葉寺優愛……さん? 俺、御手宮タケルです」
変装の下から現れたのは、南の風に鍛えられた精悍な顔つき。そして、見上げるほど大きく、北の女性たちからすれば圧倒的な質量を持つ『生身の男』の姿だった。
「本物の、タケルさんだ……やっと、会えましたね」
優愛の口から、感嘆の吐息が漏れた。ニュースの映像や写真で見るのとは全く違う。目の前に立つ彼は、厚い胸板を持ち、息をするたびに生命力に溢れた熱を発している。
「手紙の通り、優しくて、すごく綺麗な字を書く人だなって思ってたけど……実物は、もっと綺麗だ」
タケルが照れ隠しのように頭を掻きながら言うと、優愛の顔は瞬く間に熟れたトマトのように真っ赤に染まった。アナログの文字だけで紡いできた想いが、リアルな出会いによって一気に加速し、お互いの視線が交差するだけで心臓が破裂しそうになる。
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二人は少しだけ距離を空けて、丘の上のベンチに並んで座った。
「タケルさんが日本に来るってニュースを見た時、本当に心臓が止まるかと思いました」
「ごめん、俺もあんな騒ぎになるなんて思ってなくて。でも、こうして優愛に会えて本当に良かった」
他愛のない、けれど五十年間国境沿いでしか存在しなかった『男女の直接の会話』。
優愛は嬉しそうに微笑みながら、大切そうに小さなポシェットから一通の封筒を取り出した。タケルが南半球から最後に送った手紙だ。
「私、この手紙、何度も何度も読み返して……」
その時、ふいに強い風が吹き抜け、優愛の手から封筒がふわりと宙に舞った。
「あっ!」
「っと!」
二人は同時に手を伸ばし、空中でヒラヒラと落ちていく封筒を掴もうとした。
タケルの分厚く大きな手が封筒を押さえた瞬間、その上に、優愛の小さくて白い手が重なった。
ピクリ、と二人の動きが完全に停止した。
初めて指先が触れ合った瞬間だった。
タケルの手から伝わってくる、生温かくて、力強く脈打つ男性の体温。少しゴツゴツとした指の感触。それは、高度に管理された無菌室のような北の社会では絶対に得られない、圧倒的な『生命の熱』だった。
優愛はビクッと肩を震わせ、慌てて手を引っ込めた。顔だけでなく、首まで真っ赤に染まっている。
「ご、ごめん! わざとじゃないんだ!」
タケルが慌てて謝ると、優愛は自分の胸に手を当て、ふるふると首を横に振った。
「ううん……タケルさんの手、すごく温かい。……これが、生きてる男の人の熱なんですね」
優愛は少し潤んだ瞳でタケルを見つめ、やがて、その透明な瞳の奥に、ほんの少しだけ暗く熱い感情を滲ませた。
「タケルさんが北半球に来てくれて、こうして触れ合うことができて、夢みたいに嬉しい。……でも、少しだけ寂しいな」
「寂しい?」
「だって、タケルさんはもう……私だけの『手紙のタケルさん』じゃなくなっちゃったから」
優愛は膝の上で両手をギュッと握り締めた。
「ニュースで、たくさんの女の人に囲まれてるのを見た時、すごく胸が苦しかった。世界中の女の人が、タケルさんのその熱を知って、タケルさんを欲しがるんだって思ったら……」
それは、純粋な彼女の奥底に眠っていた、激しい独占欲とヤキモチの吐露だった。
タケルはその言葉にハッと息を呑み、そして、真っ直ぐに優愛の目を見つめ返した。
「……俺は、手紙の時からずっと、優愛のことしか見てないよ。他の誰に騒がれても、俺が会いたかったのは君だけだから」
その飾らない、ストレートなタケルの言葉に、優愛は息を呑み、泣き出しそうなほど嬉しそうに微笑んだ。




