第20話 デートの準備
「はぁ……どうすればいいんだよ」
御手宮タケルは、割り当てられた客室の柔らかすぎるベッドに大の字に寝転がり、深いため息をついた。
手には、大切に保管している葉寺優愛からの手紙が握られている。ほんのり香る石鹸のような甘い匂いが、タケルの胸を締め付けた。
せっかく日本に来たのだから、ずっと文通を続けてきた優愛に会ってみたい。その気持ちは、日を追うごとに強くなっている。
しかし、タケルの脳裏には、数日前に編入した女子校での地獄のような光景が焼き付いていた。タケルが少し汗をかいただけで「オスのフェロモンだ!」と暴走し、ドッジボールの球を投げただけでドMに目覚め、あわやゾンビのように群がってきた女子高生たちの姿だ。
(もし俺が外を歩いて、またあんな大パニックになったら……優愛に絶対迷惑がかかる)
タケルが手紙を顔に乗せて悶絶していると、コンコン、と控えめなノックの音が聞こえた。
「タケル、入るわよ」
ドアを開けて顔を出したのは、母の御手宮玲子だった。彼女はタケルの様子を見るなり、穏やかな目元を細めてクスリと笑った。
「また例の文通相手の女の子のことで悩んでるの?」
「……母さんには隠し事ができないな」
タケルが体を起こすと、玲子はベッドの端に腰を下ろした。
「当たり前でしょ。お母さんは伊達に毎日あなたの顔をAR越しに見てきたわけじゃないわ。……会うのをためらっているんでしょ? 学校での騒ぎを気にして」
タケルが図星を突かれて黙り込むと、玲子は優しい、けれど力強い声で言った。
「絶対に会うべきよ、タケル。五十年間、誰も生身の男の人に会えなかったこの世界で、あなたは直接彼女に会いに行けるただ一人の男の子なのよ。手紙だけで紡いできた想いを、ちゃんと現実にしてあげなさい」
その言葉に、タケルの迷いが少しずつ晴れていく。
「でも、どこに行けばいいんだ? 北のデートスポットなんて全然知らないし」
「任せなさい! お母さんがとっておきの場所を教えてあげる。北半球で一番人気の、完全没入型テーマパークよ」
玲子がウインクをしたその時、部屋のドアがバンッと勢いよく開いた。
「デート!? お兄ちゃんが女子とデート!?」
妹の御手宮芽衣が、血相を変えて飛び込んできた。
「危なすぎるわ! あの獣みたいな女子たちの群れにお兄ちゃんを放り込むなんて! わ、私も護衛として付いていく! 絶対に付いていくからね!」
「芽衣、空気を読みなさい」
玲子が笑顔のまま芽衣の首根っこを掴み、物理的に羽交い絞めにする。
「痛い痛い! お母さん、離して! お兄ちゃんは南の野蛮人なんだから、女の子のエスコートなんてできるわけないでしょ!」
ジタバタと暴れる妹と、それを呆れたように止める母。そんな生身の家族の騒がしいやり取りに、タケルは思わず吹き出してしまった。
+++
その日の夜。タケルは意を決して、自室の端末に向かっていた。
手紙の末尾に小さく書かれていた、優愛のメールアドレス。今までアナログな手紙でしかやり取りをしていなかった二人が、初めてデジタルで連絡を入れる瞬間だ。
『急で驚かせてごめん。もしよかったら、今度の休日に会えないかな』
短い文章を打ち込み、深呼吸をしてから送信ボタンを押す。
すると、タケルが端末から手を離すよりも早く、ピコン、と軽快な通知音が鳴った。
数秒も経たないうちの、即座の返信。
『驚きました。でも、すごく嬉しいです。私も、ずっとタケルさんに会いたかったです』
画面に表示された文字から、優愛の焦燥感と、抑えきれない喜びが痛いほど伝わってくる。手紙のタイムラグとは違う、リアルタイムの繋がりに、タケルの心臓は早鐘のように打ち鳴らされた。
+++
一方その頃。北半球の静かな高級マンションの一室では、葉寺優愛がかつてない大パニックに陥っていた。
「どうしよう、どうしよう! タケルさんと会うことになっちゃった!」
いつもはAIチューターや自動調理器が完璧に管理する「ノイズのない生活」を送っている優愛の部屋が、今は凄まじい有様になっていた。クローゼットの中身がすべてベッドの上に引っ張り出され、文字通りの足の踏み場もない状態だ。
北半球の女性社会において、「生身の男性とのデート服」という概念は存在しない。同性の友人とお出かけする服ならいくらでもあるが、タケルに見せるための「正解」が、優愛には全く分からなかった。
「AIチューター! 教えて! 男の人が喜ぶ服装って何!?」
優愛がすがるように叫ぶと、空間に無機質なホログラムが浮かび上がった。
『検索キーワード「生身の男性」「好む服装」から推測される最適解をご提示します。過去の大ヒットロマンス小説「ウォール・ロマンス」のデータを参照……』
モニターに次々と映し出されたのは、胸元が大きく開いた過激なドレスや、中世の貴族のようなフリルだらけのドレス、果ては謎のシースルー衣装など、明らかにトンチンカンなものばかりだった。
「ち、違う! こんなの着ていったら、タケルさんに引かれちゃうよ!」
『データに齟齬が発生しています。では、南半球の過酷な環境に適応した「作業着」や「耐熱スーツ」はいかがでしょうか』
「もっと違う!」
優愛は頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
今の時代にあった最新のAIであるがゆえ、リアルな恋心には全く対応できないのだ。
「……タケルさんは、どんな私なら喜んでくれるのかな」
優愛は、手紙の中でタケルが「君の文字は、優しくて透き通っているみたいだ」と褒めてくれたことを思い出した。
(背伸びなんてしなくていい。私らしい服を選ぼう)
優愛は山積みの服の中から、清楚で透明感のある、淡い水色のワンピースをそっと手に取った。手紙の向こう側にいた大好きな彼に、一番綺麗な自分を見てもらうために。




