第10話 歓声の中へ
南半球、旧インドネシア地区の国際空港。
けたたましいプロペラ音とジェットの噴射音が入り混じる滑走路のど真ん中で、御手宮タケルは振り返り、自分を見送りに来た大群衆へ向かって手を振った。
「タケルー! 俺たちの代表として、北の女どもをしっかり見てこいよ!」
「生身のアイドルに会ったら、絶対サインもらってこい!」
フェンスにしがみつき、怒号のような歓声を上げるむさ苦しい男たち。彼らの熱気に見送られながら、タケルは政府が用意した南半球所属の特別輸送機へと乗り込んだ。
目的地は、地球の裏側にある旧ブラジル地区。緯度〇度の赤道直上に建てられた、世界を統治する最高機関『北南調整調和委員会』の本部ビルである。タケルという特異な存在を北半球へ引き渡すための、公式なルートとしてそこが選ばれたのだ。
旧インドネシアから旧ブラジルへ。それは文字通り、赤道に沿って地球を半周する長旅だった。
離陸した飛行機の窓から、タケルは眼下に広がる世界を見下ろした。巨大な不可視の壁『ゼロ・シェル』によって真っ二つに分断された地球。タケル側の窓から見える南半球は、剥き出しの赤い大地に無数の重機が這い回り、工場から黒い煙が立ち上る、泥臭くも活気に満ちた開拓地だ。
しかし、機体がわずかに傾き、反対側の窓から北半球の景色が見えた瞬間、タケルは息を呑んだ。
そこには、幾何学的に区画整理された真っ白な都市が広がっていた。緑豊かなバイオプラントと、太陽光を反射して煌めくクリスタルのような高層ビル群。煙突から吐き出される煤煙など一切なく、無数のドローンが静かに、そして規則正しく空を流れている。高度に自動化され、無駄なノイズが一切排除された、清潔で完璧な社会。
(俺はこれから、あそこへ行くんだ……)
タケルは自分の分厚い手のひらを見つめ、無意識にゴクリと生唾を飲み込んだ。
十数時間のフライトを経て、特別機は旧ブラジルの赤道直下に広がる巨大なコンコースに着陸した。
タラップを降りた瞬間、タケルはあまりの光景に圧倒されて立ち尽くした。
目の前にそびえ立つ北南調整調和委員会の壮麗な本部ビル。その中央を、目に見えないゼロ・シェルが貫いている。そして、その見えない壁を挟んで、気が遠くなるほどの数の群衆が押し寄せていたのだ。
南側には、タケルの偉業を一目見ようと集まった作業着姿の屈強な男たちが、拳を突き上げて「タケル! タケル!」と地鳴りのようなコールを送っている。
一方、壁の向こうの北側はさらに異様だった。見渡す限りの女性、女性、女性。彼女たちは北半球のどこからでもアクセスできるニュース中継を見て集まった野次馬たちだった。シワ一つない洗練された服を着た何万もの女性たちが、南側のタケルの姿を肉眼で捉えた瞬間、鼓膜が破れそうなほどの凄まじい悲鳴と歓声を上げた。
「キャアアアアアッ! 本物よ! 本物の男の人!」
「タケル君ーっ! こっち向いてーっ!」
五十年間、男という存在が完全に途絶えていた北半球。彼女たちにとって、画面越しのARではない、生身の十七歳のオスの匂いと熱量は、あまりにも刺激的すぎたのだ。
「こ、これ、全部俺を待ってるのか……?」
タケルはあまりのプレッシャーに後ずさりしそうになったが、背後から南の役人に肩を叩かれ、「行ってこい、君は歴史を変えるんだ」と促された。
タケルは覚悟を決め、ボストンバッグを肩に担ぎ直して、見えない壁へと向かって歩みを進めた。
一歩、また一歩と近づくにつれ、北と南の両側から上がる歓声が、世界を揺るがすようなうねりとなってタケルの鼓膜を叩く。
そして、何もない空間――ゼロ・シェルの直前に立った。
タケルは大きく深呼吸をし、目を閉じた。
右足を、ゆっくりと前方へ踏み出す。
修学旅行の時と同じだ。分厚い鋼鉄のように弾き返される絶対的な防壁の感触が、タケルには一切感じない。まるで、温かい水の中を通り抜けるように、ヌルリとした感覚とともにタケルの身体が前へ進む。
肩が抜け、胴体が抜け、そして左足を引き寄せた瞬間。
「ウオオオオオオオオオッ!!!」
「ピギャアアアアアアアアアッ!!!」
壁を完全にすり抜け、五十年間男が立ち入ることのなかった北半球の土を踏んだ瞬間、地球が割れるかと思うほどの大歓声が爆発した。
カメラのフラッシュが嵐のように瞬き、タケルの姿を世界中へと配信していく。南の男たちの雄叫びと、北の女たちの狂乱に包まれながら、タケルは歴史的な『ゼロ・シェル突破』を果たしたのである。




