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男女比『1:16億』の北半球 ~50年ぶりの生身の男に、世界中が大パニック&大熱狂!~  作者: 団田図


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第9話 旅立ち

 祖父との静かな語らいの後、タケルがリビングに戻ると、ダイニングテーブルの中央に設置されたARプロジェクターが淡い青白い光を放ち始めていた。

 光の粒子が空中で収束し、そこに一人の老婦人の姿が立体的に浮かび上がる。北半球に住むタケルの祖母、御手宮おてみや詩乃しのだ。八十歳になる彼女は、背筋が凛と伸び、気品と威厳を感じさせる美しい白髪が特徴的な女性だった。事変から五十年間、長い間夫である隼人と離れ離れになっても、彼を想い続ける芯の強さと愛情深さを持っている。


『隼人さん。そっちの夜風は、今日も少し湿気を含んでいるのね』

 画面越しの詩乃が、隼人の顔を見てふわりと微笑んだ。

「ああ。相変わらず、石炭と機械油の匂いが混ざったむさ苦しい風だ。そっちの完全空調の澄んだ空気とは大違いさ」

 隼人もまた、深く刻まれたシワを緩ませて優しく微笑み返した。

 五十年間、こうしてAR越しに言葉を交わし続けてきた二人。しかし、どれだけ技術が進歩し、目の前に実在しているかのように鮮明に姿が映し出されても、超えられない絶対的な壁が存在していた。


 隼人がゆっくりと右手を持ち上げ、画面越しの詩乃に向かって手を伸ばした。詩乃もまた、慣れた動作で自分の手を隼人の手のひらへと合わせる。

 老夫婦の手が、空中で重なり合う。しかし、そこには何の抵抗もない。ホログラムの光が隼人の指先をすり抜けるだけだ。

「……形や声は完璧でも、お前の『体温』だけはコレ(AR)じゃ絶対に伝わらないんだよな」

 隼人は、重なり合った光の手を見つめながら、ひどく寂しそうに笑った。

 事変前の世界を知る彼にとって、愛する人の肌の温もり、脈打つ鼓動、そして柔らかな体温の記憶は、五十年の歳月を経ても決して色褪せることはなかった。だからこそ、触れられない現実が誰よりも残酷に突き刺さるのだ。

 その言葉を聞いたタケルは、昼間に見えない壁をすり抜けた自分の右手を思わず強く握りしめた。北の少女と手が触れ合った瞬間に感じた、あの驚くほど温かくて優しい熱。あれが「体温」なのだと、改めて実感する。


「タケル」

 不意に、隼人がタケルに向き直った。その眼差しは、歴史の語り部としてではなく、一人の家族を愛する祖父としての真剣なものだった。

「明日から北へ行くお前に、一つだけ頼みがある。……俺の代わりに、詩乃のことを見てきてやってくれ。そして、いつか必ず俺もそっちへ行くと伝えてほしい」

 タケルは真っ直ぐに祖父の目を見つめ返し、力強く頷いた。

「ああ。ばあちゃんのことは任せてくれ。絶対に、じいちゃんの言葉も生で伝えるよ」

『ふふっ、タケルが来てくれるなんて、本当に夢みたい。楽しみに待っているわね』

 詩乃の優しい声に見送られながら、タケルは自分の背負うものの重さと、そして温かさを胸の奥底にしまい込んだ。


 +++


 翌朝。太陽が容赦なく大地を焦がす、南半球の朝がやってきた。

 タケルは荷物を詰め込んだボストンバッグを肩に担ぎ、玄関のドアを開けた。

「タケル」

 背後から、父の英明が声をかけた。作業着姿の彼は、どこか落ち着かない様子で頭を掻いている。

「……まあ、なんだ。向こうに着いたら、母さんや芽衣に迷惑かけるなよ。それから……ちゃんと飯は食えよ」

 相変わらず不器用な言葉しか出てこない父親に、タケルは吹き出しそうになるのを堪えて笑った。

「分かってるよ、親父。じいちゃんも、元気でな」

 タケルは二人に向けて大きく手を振り、家を出た。


 外に出ると、いつものようにむせ返るような石炭の匂いと、男たちのけたたましい喧騒がドッと押し寄せてきた。

 通りには作業着姿の屈強な男たちが歩き回り、煌々としたけばけばしいネオンサインを掲げた『無料搾精ステーション』の前には、朝から長蛇の列ができている。空を見上げれば、無数のドローンがひっきりなしに飛び交い、南の資源を運んでいた。

 むさ苦しくも、圧倒的なエネルギーと生命力に満ち溢れた、タケルの故郷。

(俺はこれから、この男だけの世界から、十六億人の女の子たちがいる世界へ行くんだな……)

 昨日までは想像すらできなかった現実が、いよいよ目の前に迫っていた。

 あの壁の向こうには、ARでしか会ったことのない母の玲子や、妹の芽衣がいる。

 そして――手紙の文字だけでずっと想いを交わしてきた、優愛がいる。


 タケルは深く息を吸い込み、健康的に日焼けした顔を上げた。

 視線の先には、北と南を隔てる見えない巨大な境界線、ゼロ・シェルがそびえ立つ赤道が待っている。

 タケルはボストンバッグの紐を強く握り直し、引き渡しポイントである赤道へ向けて、力強い一歩を踏み出した。

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