8 用務員、できることを考える。
透が魔王に就任してから数日経った。
その間透はノアと共に、魔石に魔力を注いだり、魔王城の設備の修理や交換の指示を出したり、魔法の練習をしたり――そんな時間を過ごしていた。
しかし、やはり何か物足りない。
胸にぽっかりと穴が開いたかのような、そんな感覚に透は陥っていた。
(これは一体何だろう……)
透は胸に手を当てながら、魔王城の廊下をトボトボと歩く。
その時だ。
透の目に壁に立てかけられた一本の箒が映った。
誰か片付け忘れたのだろうか――そう思ったとたん、ドキン、と胸が高鳴る。
ハッとして、辺りを見回す。
誰もいない。
透は引き寄せられるように箒へ近付いた。
「…………」
一歩手前で足を止める。
そしてそっと右手を伸ばし――箒を掴んだ。
透はそのまま怒涛の勢いで掃き掃除を始める。
「はは、ははは……はははははっ! 掃除楽しー!」
魔王城の廊下に透の高笑いが響く。
テンションが上がり過ぎたせいで、目も様子もすべてが胡乱だ。
「魔王様、何で笑いながら掃除してんだろ……」
「魔力酔いでおかしくなっちまったのかな……」
おかしな叫び声を聞いて様子を見に来た魔王城の者たちは、笑いながら掃除をする透を遠巻きに眺めて首を傾げていた。
しかし、誰も声をかけたりしない。ちょっと怖いからだ。
そんなわけで、透がしばし掃除を満喫していると、
「魔王様、こんにちは! 何してるのー?」
治療院の子供たちがひょっこり顔を覗かせた。
夢中になって掃除をしているうちに、治療院近くまで来てしまっていたようだ。
透は手を止めて、にっこり笑う。
「はーい、こんにちは! お掃除中ですよ!」
「そうなんだー! 魔王様がお掃除してるの初めて見たー」
「ふふふ、僕は魔王様以前に用務員さんですからね!」
「よーむいんさん?」
子供たちは揃って首を傾げる。
そう言えば、ノアに用務員だと告げた時も不思議そうな顔をされていた。
この世界には「用務員」という仕事はないのだなぁと思いながら、透はしゃがんで子供たちと目線を合わせる。
「用務員さんはですね。掃除をしたり、設備の点検をしたり、そういう雑務全般をするお仕事ですよ~」
「そっかぁ。何でも屋さんなんだねぇ」
「あ、そうですね。そんな感じ!」
「いいなー、楽しそう! 僕もよーむいんさんになりたい!」
「あたしもー!」
「将来有望な用務員がこんなに……⁉」
嬉しさで、透は驚愕の表情を浮かべて仰け反る。
「……ねぇねぇ魔王様。お掃除って楽しい?」
そうしていると、子供たちの中の一人に、もじもじとそう訊かれた。
「楽しいですよ。綺麗になると気持ちが良いし、何より」
透はそこでいったん言葉を区切ると、ぐるりと魔王城を見回した。
「掃除をする場所のことに詳しくなるし、好きになります」
「好き?」
「はい。自分がいる場所に愛着が湧くって言うんですかねぇ」
「そっかぁ」
知らない場所を知るためには、まず自分の足で歩いて掃除をすると良い。
それが用務員になって透が学んだことだ。
高校で働き始めた頃は、どこに何があるのかまるで分からなかった。
けれども掃除をして、丁寧に周りを見ているうちに、そういうのが分かるようになったのだ。
場所に慣れたからだと言われれば、それは確かにそうだろう。
けれども、そのきっかけは透にとって掃除だったのだ。
「……私もお掃除したいなぁ」
昔のことを思い出していると、子供はぽつんとそうつぶやいた。
「おや、ではしますか? もちろん先生の許可が出たら、ですけどね」
透がそう提案すれば、子供は目を丸くした。
「先生がいいよって言ってくれたら、いいの?」
「いいですとも。僕、なりたてですけど魔王ですからね。一緒にお掃除したいなんて希望を叶えるくらいはできますとも! たぶん!」
「たぶん」
堂々と答えておいて、最後に日和った透に、子供たちはくすくすと笑う。
「じゃあ、私、ジナ先生に――、……っ!」
突然、その子供が胸を押さえてその場に蹲った。
透はぎょっと目を剥いて駆け寄る。
「大丈夫ですか⁉」
「う、うう……苦し……あう……」
蹲った子供は辛そうに目を閉じて、胸の辺りの服をぎゅっと握っていた。
結晶化した方の手だ。その手が、ぼうっ、と淡く光っている。
透はハッとした。
(これ……っ、症状が悪化しているのでは……⁉)
そう思った透は「すみません、失礼します!」と言って、その子を抱き上げ、治療院へと走った。
◇ ◇ ◇
「ありがとう、魔王様。助かったよ」
「いえ……大丈夫ですか?」
「ああ。先ほど薬も飲ませたし、安静にしていれば起きれるようになる」
「良かった……」
ジナの言葉に、透はようやく人心地ついて、安堵の息を零した。
そんな透にジナは、珈琲のような香りのする飲み物を出してくれる。
ありがたく受け取って口をつける。ほど良い苦みと甘さがちょうど良い、透の好きな味の飲み物だった。
「あの子は骨狩りに襲われた子でね。普通の魔力欠乏症の患者より、状態が不安定になりやすいんだ」
「そう……でしたか。すみません、僕が興奮させるようなことを言ったせいで……」
「いや、魔王様のせいじゃないよ。突然起こることだからさ」
ジナはゆるく首を横に振った。
その言葉に少しだけ胸が軽くなったが――それでも、先ほどの光景が頭から離れない。
「そう暗い顔をなさんな。魔王様が魔力抽出装置を新しくしてくれたおかげで、ずいぶん楽になってはいるんだ。だから、ありがとう」
「……はい」
何とか笑って、透は飲み物を飲み終えると、ジナにお礼を言って治療院を出た。
そのまま重い足取りで廊下を歩く。
思わずため息が零れたその時、
「どうした?」
背後から急にノアの声が聞こえた。
透はびくんと飛び上がり、大慌てで振り返る。
「うっわあ! びっくりした! いたんですか、ノアさん」
「うむ。其方が血相を変えて治療院に飛び込んだと聞いたからのう。何かあったのかと様子を見に来ただけじゃ」
「ああ、それはご心配をおかけして……」
「いや……魔力欠乏症の子か」
ノアは治療院のドアを見ながら、静かにそう言った。
どこかで事情を聞いてきたのだろう。
透は「……はい」と頷いた。
「何か……できることないですかねぇ」
何ができるかまるで思いつかない。
けれども、何かしてやりたい。
ある意味で無責任にも聞こえるかもしれない透の言葉に、ノアはほんの少し目を伏せて、
「……其方は元の世界へ帰るのだろう? この世界のことは、そう気にせんでいいさ」
そう言った。
けれども、そういうわけにはいかない。
知らないでいたならば、透だってきっと悩んだりしなかった。
けれども透はあの子供たちと出会ったのだ。
だからこそ、しっかりと首を横に振った。
「しますよ。苦しんでいる子供を見て、放ってなんておけません」
「――――」
するとノアが驚いた顔をした。
「……そうか。それでは、一つ良い方法があるぞ」
透はバッと顔を上げる。
「何ですかっ?」
「前に説明を聞いたじゃろう? 魔力欠乏症には、抽出させた魔力を摂取させるのが良いと。つまり、より魔力が濃く質の良いものを用意すれば良いのじゃよ」
「その言い方ですと……どこかにそれがあるんですね?」
「ああ。ちと危険な場所じゃが……どうじゃ?」
「行きます!」
即答だった。
できることがあって、自分にやれるなら手伝いたい。
透がそう答えると、ノアはどこか懐かしそうに目を細めながら「では、行くか」と頷いたのだった。




