7 用務員、異世界の食事をする。
それから透は子猫を腕に抱き、ルイに案内されて魔王城の食堂へと向かった。
廊下の窓から差し込む柔らかな日差しに透は目を細め、彼女の後ろをついて行くと、少しして件の食堂が見えてきた。
出入り口の両開きのドアは解放されており、中からは食欲を刺激する香りが漂ってくる。カレーを彷彿とさせる香りに、透は唾をごくりと飲み込んだ。
(あ、想像していたよりもずっと広い)
中を覗き込んだ透の口からまず出た感想はそれだった。
魔王城の食堂は、透が働いている学校の食堂の倍以上に広く天井も高い。周りを見回せば、様々な種族の者たちが食事をしていた。
種族もそうだが、体の大きさもバラエティに富んでいた。巨人のように体が大きい者、手のひらに乗りそうなくらい小さな者――この食堂が広いのは、魔王城で働く誰もが入れるようにと考えて作られたからなのだろう。
(それにしても……)
色々と考えてはいたものの、それ以上に興味を惹かれたのはやはり「匂い」だ。
「良い匂いがしますねぇ~!」
「みぃ~!」
食堂の中に満ちる料理の香りと、テーブルに並ぶ様々な料理に、透と子猫が揃って目を輝かせる。
それを見て、ルイが「ぶはっ」と噴き出した。
「ふはっ! き、貴様ら……同じ顔……!」
ルイは笑いを堪えるように、口をもにょもにょと動かす。
ふふ、と透もつられて、にやりと思わせぶりに笑った。
「仲良しですからね、僕たち!」
「みぃ!」
「ふっ、ふふっ……と、とにかく、こっちだ」
「はーい!」
ルイは肩を震わせながら歩き出す。向かった先は厨房のカウンター横だ。そこに自動販売機サイズの魔道具が置かれていた。
(これは……どう見ても券売機では?)
その魔道具を見て透はそう感じた。
メニューの絵がずらりと並び、その下に押しボタンがついている。
「魔導食券機だ。好きなメニューを押すが良い。枠が紫色になっているのは、毒入りや特殊な素材が使われているものだから避けるのだぞ」
「あっ、やっぱりそういうものなんですね……って、毒ぅっ!?」
とんでもない言葉が聞こえたと、透はぎょっと目を剥いて訊き返す。
ルイは事も無げに「ああ」と頷いた。
「毒を主食とする種族もいるからな。聞いた話によれば、香辛料のような感覚で色々な毒を楽しむらしい。トールは……」
「ノー毒! ノー毒種族です! 猫ちゃんも!」
毒入りなんてとんでもないと、透は首を横にぶんぶんと振って否定する。
子猫も何やら危険を感じ取ったようで、尻尾をぴっと立てて、透と同じように首を振っていた。
そんな一人と一匹を見て、ルイは「だろうな」と頷いた。
「では、白い枠の方を選ぶといい」
「は、はーい……。えーっと、どうしようかな」
透は魔導食券機の前に立って、上から順番にメニューを眺める。こちらの世界の文字は透にはまだ読めないが、その上に描かれたメニュー絵のおかげで、大体のイメージは伝わってきた。透の世界にある料理と似たものもいくつかある。
(食べ物で冒険は……いやぁ、さすがに難しいですねぇ)
何せ、これが透にとって初めての異世界での食事なのだ。
国が違えば作られている料理も違う。それは異世界であろうとなかろうと同じ話だ。海外へ旅行に出かけて、現地の食事を食べたら腹を壊したという話を、透も何度か耳にしたことがある。
だからひとまず透は、見た目で無難なものを選ぶことにした。
「とりあえず僕はこれにしてみます」
透は魔導食券機の真ん中にある、ハンバーガーとよく似た絵が描かれているメニューのボタンを押した。
するとすぐにガコンと音がして、下の取り出し口に、トランプくらいの大きさのカードが落ちた。厚さは二ミリくらいあるだろうか。
「お、食券みたいなものが」
透はしみじみとつぶやきながらカードを取り出した。表面にメニューと同じ絵が描かれている。
「む、何だ、食券は知っているのか」
「ああ、いえ、僕の世界にもこれと似たようなものがありまして。ちなみに猫ちゃん……動物の赤ちゃんが食べられそうなものってあります?」
「ああ、その子の分か。そうだな……ミルクが良いだろう」
ルイは顎に手を当てて、じっと魔導食券機を見つめたあと、飲み物らしき絵が並んだ場所から一つを選び、すらり長い指で押した。それからもう一つ、パスタらしき絵の描かれたメニューも続けて押す。彼女自身が食べるものだろう。
ルイはガコンと音を立てて落ちた食券を二枚手に取ると、
「それでは今度は料理をもらいに行くぞ」
と、すぐ隣にあるカウンターへと移動した。
ルイはそこに立っている担当者に「これを頼む。こっちはその赤子用だ」と食券を渡す。透も「よろしくお願いします」と同じように差し出した。
「はーい! お待たせしましたー!」
すると一分も経たないうちに、料理がトレーに載って出てきた。
「はやっ!?」
「驚いてどうした?」
「いや、あまりにも早すぎて」
「そうか? 大体いつもこんな感じだぞ?」
ルイは不思議そうに首をかしげてから、
「……いや、待てよ。確かに外で食事をしたら、もう少し時間が掛かっていたな」
ぶつぶつとそうつぶやいている。
(これが普通じゃなくて良かった……)
透は何となくほっとしつつ、カウンターに並んだ三つの料理へと目を向けた。
分厚いパテとトマト、レタスらしき野菜が挟まったハンバーガーのようなもの。
浅めの皿に入ったミルクのようなもの。
そして肉団子がたっぷり入ったナポリタンのようなものだ。
ミルクはともかくとして、他の二人の料理からは透が嗅いだことのあるような香りがしている。
(これなら大丈夫そう)
透はそう思いつつ、子猫を自分の頭の上に乗せた。それから注文した料理のトレーに、子猫用のミルクを載せて持ち上げる。
ルイも自分の分を持ちつつ、二人と一匹は空いている席へと向かった。
「トールはパンバーガーか。なかなか良いチョイスだな」
「あ、これパンバーガーって言うんですねぇ。ルイさんのそれは何ですか?」
「これか? ポポリタンだ。美味いぞ!」
「ポポリタン」
席につくと、ルイは小さく笑ってそういった。
ハンバーグらしきメニューはパンバーガー、ナポリタンらしきメニューはポポリタン。透の世界にある料理と名前まで少し似ている。
へぇ、と透はつぶやいて、子猫へミルクの皿を隣に置いた。
すると子猫は透の頭からテーブルの上へ、トンッと軽やかに降りる。そしてミルクの皿へ鼻を近づけて、すんすんと匂いを嗅ぎ――すぐにぺろぺろと舐め始めた。
「みう!」
ついでにご機嫌にひと鳴き。よほどお腹が空いていたのか、やがて子猫は、顔をミルクでべしょべしょに濡らしながら飲むようになった。
「ふふ、良い食べっぷりですねぇ。それでは僕も……いただきます!」
両手を合わせて挨拶し、その手でパンバーガー持ち上げ、大きくがぶり。
「――――!」
そのとたんに、透は目を大きく見開いた。
(パンの香ばしさと、アツアツの肉汁が口の中に広がる……!)
租借し、飲み込んでから、透はわなわなと体を震わせた。
「うわ、美味しい!」
「だろう!」
透が歓声を上げると、ルイは自分のことのように胸を張って笑った。
それから彼女もフォークを手に取り、自分のポポリタンを食べ始める。
(たぶんあれもナポリタンと似たような感じなんでしょうね)
今度食べてもようと思いながら、透はパンバーガーをもう一口。
「……はふはふ、いや~、美味しいですねぇ。僕のところにも似た料理があるんですけど、それと味も似ていて、食べているとほっとします!」
「それは何よりだ。普段食べているものが食べられないと、大変だからなぁ」
「おや、ルイさんにはご経験が?」
「ああ。魔王になるために、各地で学んできたからな。その地の料理も色々食べた。南へ行った時は、香辛料の強い食事が多くて大変だった……」
ふっとルイが遠い目をした。
(日本のカレーのつもりで海外のスパイスたっぷりのカレーを食べた時ら、びっくりするあれだ……)
過去に先輩に連れられて入ったカレー屋のことが頭に浮かぶ。
(なんて、それよりも……)
透はパンバーガーをいったん皿に戻し、ルイの方へ顔を向ける。
「……すみません。そんなに頑張っていたのに、僕が奪っちゃった形になって」
「む、構わん。私はそのようなことで目くじらを立てるような、狭い心はしておらんからな」
「でもルイさん、だいぶ怒っていたような」
「気のせいだ」
ぷいっ、とルイはそっぽを向いた。時々ではあるが、諸々の素振りが子供らしさがあるなと透は思った。
(そう言えばこの人、何歳くらいなんでしょうねぇ)
透がそんなことを考えつつ、ルイの竜のような尻尾をちらりと横目で見ていると、
「ああ、トール。ここじゃったか。ルイも一緒か。二人とも、楽しそうじゃの」
食堂の入り口からノアがひょいと顔を出し、透たちを見つけて近寄ってきた。
「ノアさん」
「ノア様」
「トールの診察をと思ったが、どうやら元気そうじゃの」
ノアは安心したように笑って、透たちの向かい側に座る。
「ご心配をおかけしました。あの、どうして僕、倒れたんでしょう?」
「ああ、魔力酔い――魔法を使う時に練った魔力に酔ったのじゃろう。ヴェルデ神から魔力を受け取った時は平気そうにしておったから、問題ないと思うたのじゃが……初めて魔法を使うのに無理をさせてしまった。すまんかった」
申し訳なさそうに頭を下げるノア。
透はそれを見て、慌てて首を横に振った。
「あ、いえいえ。お気になさらず! 魔法使えるのは楽しかったですし!」
「じゃが……」
「本当に! 教えていただいたあの魔法、かっこいいですね! 星の欠片よ~って!」
「ぐっ!」
骨狩り相手に使った初めての魔法のことを話していたら、急にルイがむせた。
「ルイさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈……夫ではない! ノア様! 初心者に何という魔法を教えているのですか! よりにもよってアレを……!」
ルイは涙目になりながらノアに怒る。
「そ、そんなにまずい魔法なんですか?」
「まずいも何も……別名で『神殺し』と呼ばれるほどに強力な魔法だぞ!」
「とんでもなく物騒!」
「はっはっはっ! まぁ良いではないか、戦いに慣れておらん奴に骨狩りの相手をさせるなら、そのくらい強力な方が安心じゃろうて」
「そういう話では……!」
呑気に笑うノアに、ルイは頭を抱えてしまった。
透からすると「綺麗な魔法だな~」くらいの感想だったのだが、想像以上に恐ろしいものだったようだ。
(き、気楽に使うのはやめましょう……)
魔力酔いのこともあるし、使うのは大事な時にしようと透は心に誓った。
「はぁ、何か妙に疲れたぞ……」
「大変じゃのう」
「ノア様、誰のせいだと」
「はっはっはっ! ああ、そうだ、ルイ。ところで、トールの件は何か進展があったか?」
楽しそうに笑っていたノアだったが、ふっと表情を真面目なものに戻し、ルイにそう訊ねた。
「はい。城下町から離れた場所にある小屋や塔などから、召喚に使われたと思われる道具が見つかりました」
「道具ですか?」
「ああ。召喚用の魔法陣を書いた紙だ。分割されていた。恐らく、アレを置いた場所を経由して魔力が流れることで魔法陣が描かれ、召喚術が完成するのだろう」
「えーっと……」
丁寧に説明してくれたのは分かるが、いまいちイメージが浮かばない。
透が眼鏡のフレームに手を当てて、何とか想像していると、
「つまりじゃな、星座のようなものじゃ。星と星を結ぶことで、人は夜空に星座を描くじゃろう? あれと同じことが魔法陣でもできた、ということじゃよ」
ノアから補足が入った。
それならば分かると透はうなづく。
「はー、何かすごいですねぇ」
「ああ。このような術が使える魔導師は限られる。よほど実力がある者だぞ」
「そんな人が、一体何の目的で僕みたいな平凡を地で行くイケメンを呼んだんですかねぇ」
「其方は自分の顔に対しての自信がすごいのう」
「ふふん、自慢ですからね!」
透が胸を叩いてニッと笑うと、ノアとルイは思わずと言った様子で苦笑したのだった。




