2 用務員、状況を教えてもらう。
(桜の木から落ちたら、そこは異世界でした……)
透の頭に、有名な某文学に掠るか掠らないか程度の言葉が浮かんだ。
恐らく、現実逃避によるものだったのだろう。
知らない場所で、アニメやゲームに登場するような姿をした者たちに囲まれて。
これが夢でないのならば、違う世界にいるとしか考えられない。
透は床に座ったまま、自分の腕の中の子猫を撫でつつそう思った。
「どうしましょ……」
「みい」
「ですよね、困りますよねぇ……ん?」
子猫の言葉を自己解釈し話をしていた透の目が、何となく下を向いた。
その時、おかしなものが見えた。
透の腕だ。
日本人らしい肌色だった透の腕――それが、何やらエメラルドのような宝石の腕に変化しているのである。
「うわーっ⁉ 何ですか、これっ⁉」
ずれた眼鏡もそのままに、透はぎょっと目を剥いた。
「僕の腕、変なことになってる~~⁉」
慌てて腕を動かしてみたが、指先まで何の問題もなく透の意思に従ってくれる。
「あ、とりあえず……問題はなさそうですかね……?」
視覚的には問題が大アリである。
しかし、とりあえずの意味で透が安堵していると、
「あれ、誰だ?」
「何か変なところから出てきたわよ……」
ホールにいる者たちが我に返って、ざわざわとし始めた。
「ふむ。……なるほど、なるほど。これは少々面白いことになったの」
そうしていると、目の前に立っていた子供――ノアが透るに近付く。
ノアは杖の先端をトールの顎の下に当てる。
透は、くい、と上を向かされ、ルビーのような赤い瞳と目が合う。
「其方、名前は何と言う?」
「…………」
「そこのイケメン。其方じゃ、其方」
「あっ僕ですね! 長谷透です!」
ぼうっとしてしまったが、イケメンと呼ばれたら自分に違いない。
透は一瞬で理解すると、元気に名前を名乗った。
するとノアが呆れた顔になる。
「イケメンで反応しおった……」
「僕、顔が良いですからね!」
「何とも奇妙な男じゃの……まぁ良い。では、ハセトールよ。ヴェルデ神に認められた其方を、今代の魔王に任じる」
気を取り直した様子で、ノアがそう告げた。
すると周りからは、まばらに拍手が起こり始める。
「え、えーっと……魔王ってどういうことですか?」
◇ ◇ ◇
あれから透は、ノアに連れられてこの場所――魔王城の客間へと移動した。
一緒に、黒髪の少女ルイも憮然とした顔でついて来ている。
移動中ずっと、透は背中ごしに彼女からのチクチクとした怒りの視線を感じたが、とりあえず気付かないフリをしておいた。彼自身も訳が分からない状況だからだ。
そうして客間に到着し、それぞれ席に着くと、ノアが話をし始めた。
「先ほど我らは、ルイの魔王就任の儀式中だったのじゃよ。ああ、魔王と言っても分からんか」
「あ、いえ、大体のイメージは分かります。王様……ですよね?」
「ふむ、その通りじゃ。なるほど、そちらの世界でも通じる要素はあるのか、面白いのう」
ノアは腕を組んで、興味深そうに頷いている。
「其方の世界にも魔王がおるのか?」
「いいえ。僕の世界では架空の人物ですよ。悪く書かれることの方が多いですけれど……」
「何だとっ⁉」
ノアの質問に答えていると、ルイがテーブルを叩き、立ち上がった。
目がつり上がっている。
「貴様、魔王が悪とはどういうことだ! 侮辱にもほどがあるぞ!」
「ああ、いや、すみません。創作の話で……」
「創作上だとしても、魔王を悪く描くなどあり得ぬぞ! 貴様……よほど死にたいようだな……!」
「いえ、そんなことはまったく!」
透は大慌てで首を横に振って否定した。
しかし、ルイの怒りは収まる様子がなく、むしろ燃え上がっている。
炎上。
嫌な単語が透の頭に浮かんだ。
(これだから言葉には気を付けないといけないのが分かっていたのに……!)
牙まで向いてこちらを睨みつけてくるルイに、透は青ざめた。
インターネットが生まれた時からそばにあり、成長と共に触れてきた透だからこそ、放つ言葉の選択が大事なものであるのは知っていたはずだった。
それなのに、この体たらく。
異常事態が連続で起こりすぎて、思考回路がふわふわしてしまっていたようだ。
透はバッと立ち上がると、子猫をテーブルの上にそっと置き、その場で勢い良く土下座をした。
「申し訳ありませんでした!」
「なっ⁉ 何をしているのだ、貴様⁉ 何だ、その珍妙なポーズは!」
「うちの故郷で最上級の謝罪作法です!」
「んなっ⁉」
ルイが露骨に動揺した声を出した。
とたんに彼女はオロオロとして、忙しなく周りを見回す。
「いや、その、私は……そこまで……あの、その……えっと……」
「まったく、ルイよ。場の収め方も分からぬような怒りのぶつけ方をするでないと、いつも教えているじゃろうに」
ノアはため息を吐いてそう言うと、自分もまた椅子から立ち上がって透のところへと歩く。
そして膝をついて、透の肩に手を置いた。
「すまぬな、トール。其方が謝罪する必要などない。どうか顔を上げておくれ」
「いえ、僕が考えなしでした。申し訳ありません、ルイさん」
透は顔を上げると、ルイを見上げてもう一度そう謝罪した。
ルイは驚いた様子で目を見開く。そして頭を下げた。
「わ、私も、カッとなってしまって、申し訳なかった……」
「よしよし、ルイ。謝れてえらいのう」
そんなルイの頭をノアが撫でる。まるで祖父母が孫にするかのような口ぶりだ。
「よ、よしてください、ノア様! 他人の前で!」
ルイが真っ赤になって距離を取る。
ノアは「昔は喜んでくれたんじゃがのう」とくつくつ笑って、席に戻った。
透には二人の関係性は分からないが、仲が良いのは確かなのだろう。
何となく微笑ましさを覚えながら、透も自分の席へと戻った。
「それで話を戻すが……いざ就任というところで其方が急に現れた。そして何故かヴェルデ神も認めてしまったために、其方が魔王となってしまったというわけじゃ」
「はぁ……それはもう、本当にお邪魔をしてしまって……」
透は、ちらり、とルイを見る。
ルイは怒りこそ収まったものの、複雑そうな表情をしている。
当然の反応だろう。本来であれば彼女が魔王に就任するはずだったのだ。
それなのに、突然どこの馬の骨とも分からない男が現れて、横から掻っ攫った形となってしまったのだ。怒りもするし、複雑な気持ちにもなるだろう。
申し訳なさと共に、透の視線が下へ落ちる。
すると自分の腕が目に入った。エメラルドのようになってしまった自分の左腕だ。
「……あ、そうだ。僕の腕がこうなったのって、その儀式が関係しているんですか?」
透は左腕を持ち上げてノアに訊ねる。
「ああ、魔王就任の影響じゃな。あの儀式を経て魔王となった者には、ヴェルデ神からそれにふさわしい魔力が貸与される。其方の場合は……」
ノアは透をじっと見つめて、
「…………ふむ。魔力をまったく持っておらんかったようじゃな。体が魔力に慣れておらん。魔力を体内に留めるために、体の一部が魔石に変化したんじゃろう」
「ええと、つまり環境に適応したとかそういう感じですかね?」
透の言葉に、ノアは「うむ」と頷いた。
「はー、生き物の神秘ですねぇ……ちなみにこれって元に戻るんですか?」
「ああ。魔王でなくなれば、魔力が返還されて戻るじゃろうて」
「なるほど、良かった良かった。これじゃ学生さんたちにびっくりされちゃいますからねぇ」
透がほっと息を吐いていると、ノアが目を丸くして首を傾げた。
「学生? 其方、教師でもやっておったのか?」
「いえいえ、僕は用務員さんですよ」
「よーむいん?」
「学校の……えーっと、まぁ、掃除したり、点検をしたり、整備をしたり……まぁ、雑務全般をする仕事って感じですかね」
「何じゃ、魔王みたいな仕事をしとるの」
「えっそうなんですか?」
「うむうむ。任せても安泰そうじゃのー」
ノアが呑気に笑うと、しばらく黙っていたルイがカッと目を見開いた。
「そこだけは納得がいかん! 私が緑の魔王を継ぐ予定だったのだ! それなのに、貴様のようなポッと出の異世界人に魔王の座を奪われるなど……我慢できん!」
「それについては申し訳なく……。ですが僕も急に違う世界に呼ばれましたし……」
「そっ、それは……確かにそうだが……そもそも一体誰が何の目的で、貴様を召喚したのだ?」
「さてな。魔王城内では、魔王就任の儀以外でそのような大掛かりな魔力が動いてはおらんかったと思うが……」
ノアが腕を組んで、思案するように目を細くした。
「……あのう、僕は元の世界に帰れるなら、魔王のお仕事は喜んで返上しますが……」
「な、何だと⁉ き、貴様、自分が何を言っているのか分かっているのかっ? 緑の領地でもっとも誇らしい称号なのだぞ!」
「そう言われても、僕、この世界のこと何も知りませんし……。それに僕にとってもっとも誇らしい称号は用務員さんなので、早く元の世界へ戻って、ちゃんと仕事がしたいんです」
胸に手を当てて、透ははっきりとそう言い切った。
透にとってやり甲斐のある仕事も、誇らしいと思える仕事も「用務員」なのだ。
だからこそ、できれば早く全部元通りにして元の世界へ戻りたい――それが透の本音である。
透の宣言を聞いたルイは、先ほどよりも大きく目を見開いたかと思ったら、ぷるぷると震え出した。
そしてバッと手で口を覆うと、
「き、貴様……なかなか、イイ奴じゃないか……」
震える声でそう言った。
心なしか目が潤んでいるような気がする。
「フッ、顔と性格が良いので評判なのがこの僕です!」
「本当か?」
「自分で言う?」
しかし次に放った台詞で、胡乱な目に代わってしまった。
ルイだけではなくノアもである。
透は解せぬと思った。だって、自分の顔が良いのは事実だからだ。
性格については……まぁ、分からない。
「顔やら性格やらの話は横に置いておいて……確かに今回は事故のようなものじゃったしな。魔王を譲りたいと言うならば構わぬぞ。本来であれば、魔王を辞めるのは死ぬときだけじゃが……」
「物騒!」
「他に方法がないわけでもない。どれ、我も手伝ってやろう」
「いいんですか?」
「暇じゃからの」
ノアはにっこりと笑って頷く。
するとルイも「私も」と右手を真っ直ぐに挙げた。
「……ノア様がそう仰るのならば、私も手伝ってやろうではないか。だ、だが、勘違いするなよ! 魔王の座を取り戻すためだからな!」
少々顔を赤くしつつ言うルイを、ノアが微笑ましそうに眺める。
「ありがとうございます、助かります! よろしくお願いします!」
そんな二人の顔を交互に見ながら、透もまた笑顔を浮かべ、頭を下げたのだった。




