1 用務員、魔王になる。
「長谷さーん! 子猫助けてあげてー!」
学生たちからのヘルプに、用務員の長谷透は現場へ急行した。
場所は学校の校庭。そこの隅に、透よりだいぶ年上の桜の木がある。
(あ、いたいた)
見上げると、てっぺん近くの枝の上で、白い子猫がぷるぷると震えていた。
(どうやって上ったんでしょーね)
経緯は気になったものの、とにかく急いで助けてやらなければ。
そう考えた透は、すぐさま木を登り始めた。
「猫ちゃ~ん、待っててくださいね~!」
子猫の警戒心を解こうと、言葉通りの猫なで声で呼びかけてみる。
しかし子猫の様子は変わらない。こちらを見下ろしてはいるものの、相変わらずぷるぷる震えたままだ。
(僕も木登りなんて中学以来なんですよねぇ……落っこちたらどうしよう)
不安が頭を過ったが、上り始めてしまった以上は今さらな心配である。
端正な顔に、たらりと冷や汗が垂れる。ついでに眼鏡もずり落ちそうになっているが、直す余裕もないまま、どうにかこうにか上を目指す。
「長谷さーん! 気を付けてー!」
「落ちないでねー!」
「がんばれー!」
そんな透に、地上から学生たちの声援が届く。
(運動部ってこんな気分なんでしょうかねぇ)
学生たちの声に、一度も経験したことのない青春という文字が浮かぶ。
うっかり表情が緩んでしまい「はーい!」と明るく返し、透は少しずつ子猫のいる枝へと近付いていく。
(あと、もう、ちょっと……!)
足に力を込めて、体を上へぐっと押し上げる。
そして、そのまま手を伸ばした。
すると指先が、子猫のふわふわした体に触れる。
そっと掴んでみれば、子猫は暴れたりせずに、大人しく透の手の中に収まった。
透と学生たちに笑顔が浮かぶ。
「よしっ!」
「やったあ!」
「長谷さん、ナイス! かっこいー!」
「僕ってば顔がいいですからね!」
「それがなければもっといいのにー! でもかっこいー!」
「ははは」
これで一安心だ――誰もがそう思った時。
突然、強い風が吹いた。
「うわっ!?」
風に煽られ、安堵で気が緩んでいた透の体が、ぐらりと背中に傾く。
(あっ)
重力に逆らえず、透の体は完全に枝から離れてしまう。
まずい、と透の表情が固まる。
(落ちるっ!)
せめて子猫だけはと胸に抱き、ぐっと目を瞑る。
――その次の瞬間、透の体が、眩い光に包まれた。
◇ ◇ ◇
「これより、新たな魔王の就任の儀を始める」
大勢の者たちが集まる、白く荘厳な広間に、女性とも男性ともとれる子供の声が響く。
声の主は、頭の天辺から足の先まで真っ白なローブの人物――ノアだ。
「……準備は良いな、ルイ」
ノアは目の前に跪く、竜の尻尾を生やした黒髪の少女に問う。
「はい」
彼女からはすぐに、はっきりとした返事があった。
力強いその声に、儀式を見守る者たちの表情が緩む。
ノアもまたそうだった。口元で笑みを作ると、ノアは手に持った杖の先端をルイに向けた。しゃらりと魔石の飾りが揺れ、光を放ち始める。
「緑の領地を守る、我らが神ヴェルデの名の許に、新たに魔王とならん者を――」
ノアがそう言い始めた時だ。
ちょうどルイの真上――広間の天井付近に突然、強い光と空間の歪みが生じた。
「うわ~~~~っ!」
「みぃ~~~~っ!」
同時に響く、情けない声の二重奏。
続いて空間の歪みから、何かがポイッと吐き出された。
用務員の長谷透と、彼が助けた子猫である。
歪みから吐き出された二人の体は、重力に従って真っ直ぐに落下する。
「えっ、ちょ!?」
真下にいたルイはぎょっと目を剥いて、後ろに飛んで躱した。
危険に対する、素晴らしい反射神経だ。
しかし、そのタイミングは、色んな意味であまりにも悪かった。
「――ここに願う」
魔王就任の儀式、その最後の言葉をノアが告げる。
その瞬間、透の頭上に半透明な男が姿を見せた。
この領地を守護するヴェルデ神だ。
『ふむ……何やらおかしな状況ではあるが、まぁいいか。認めよう』
ヴェルデ神はそう言うと、透に向かってキラキラした光の雨を降らせる。
光の雨は透の体に吸い込まれていき、ややあって、カッと強い光を放った。
「えっ、何事!? 何です、今の!? 確かに僕は顔が良いですけど、どうして輝いてっ!?」
『何を訳の分からぬことを言っている。これでお前が今代の魔王だ。この地のために、私のためにしかと励むが良い』
ヴェルデ神は満足げに笑って消えた。
「…………え?」
その場に残されたのは、困惑の表情を浮かべる者ばかり。
ほぼ全員の心境が奇跡的に「どうしてこうなった」で一致していた。
かくして儀式は完成し――顔が良いことだけが取り柄の用務員・長谷透は、魔王となってしまったのだった。




