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第6話 九階から飛び出すぜ!

空手家パパの身体が、九階から宙へ飛び出した。


眼下では、小さな子供が落下している。


「うおおおおお!」


空手家パパは必死に手を伸ばした。


指先が子供の服を掴む。


だが、その瞬間。


ビリッ!


布が裂けた。


「うそだろ!?」


伸ばした手が空を切る。子供との距離はわずかに開き、地面が恐ろしい速さで迫ってきた。


救助用マットはまだ半開きだった。


「光ー!」


空手家パパは胸元の魂カードを握り締めた。


「なんとかなれー!」


《光》が眩しく輝き、二人の周囲へ広がっていく。


「足場! 足場になってくれ!」


しかし、光は足場にはならなかった。


落下する速度も変わらない。


「ダメじゃん!」


「パパぁぁぁぁ!?」


リュミの絶叫が響く。


空手家パパは歯を食いしばり、もう一度子供へ手を伸ばした。


「届けぇぇぇ!」


今度は腕を掴んだ。


そのまま力いっぱい引き寄せ、子供を胸の中へ抱き込む。


「よし!」


だが、安心している暇はなかった。地面はもう目の前だった。


空手家パパは子供を抱えたまま背中を丸め、自分の身体が先に衝撃を受けるよう姿勢を変えた。


「受け身! 受け身だ!」


「九階から受け身なんて無理だよぉぉ!」


「五点着地やってやる!」


「絶対無理ぃぃぃ!」


次の瞬間。


ドンッ!!


二人は救助マットの端へ激突した。


衝撃で身体が跳ね上がり、そのまま地面へ転がっていく。


全身に激痛が走った。


「ぐ……っ!」


空手家パパは仰向けになったまま動けなかった。息を吸おうとしても胸が痛み、手足にはうまく力が入らない。


それでも、腕の中の子供だけは離さなかった。


「……子供」


声がかすれる。


「無事か……?」


返事はなかった。


一瞬、血の気が引いた。


しかし、すぐ近くで小さな泣き声が聞こえた。


「う……うえぇぇ……!」


「……!」


生きている。


空手家パパはようやく息を吐いた。


周囲から消防隊員と救急隊員たちが駆け寄ってくる。


「意識あり!」


「子供は会話できます!」


「救急搬送の準備!」


救急隊員が子供の状態を確認している間、空手家パパは地面に横たわったまま、その様子を見守っていた。


やがて、小さな手が彼の服を掴んだ。


「おじちゃん……ありがとう……」


「……怪我、ないか?」


子供は涙を流しながら、小さく頷いた。


それを見て、空手家パパの表情が緩んだ。


「よかったぁ……」


そして、いつもの調子で笑おうとする。


「大丈夫大丈夫。おじさん鍛えてますから」


身体を起こそうとした瞬間、救急隊員に肩を押さえられた。


「動かないでください!」


「いててて! ちょっと救急処置お願いします」


「九階から落ちた人が『ちょっと』で済むわけないでしょう!」


「ですよねー!」


そのまま担架へ乗せられる。


リュミが心配そうに顔を覗き込んだ。


「パパ、大丈夫?」


「大丈夫じゃないかもしれん」


「だから言ったのに!」


「でも子供は助かったから、よし!」


「よしじゃないよぉ……」


リュミが半泣きになっていると、近くにいた警察官の無線から奇妙な言葉が聞こえてきた。


『……ブルーラインの供述した方角と一致してるって?』


空手家パパは目だけを動かした。


『通報前から“北東”“子供”って言ってたらしい』


「……ん?」


リュミも聞いていたらしく、空手家パパへ顔を寄せる。


「パパ。ブルーラインって人……ここにいないんだよね?」


「うーん」


空手家パパは担架の上で数秒考えた。


「ブルーライン、ブルーラインって……おじさんは、とりあえず治療されてくるわー」


「それが正解!」


こうして空手家パパは、ブルーラインの謎を追うどころか、自分自身が救急車で運ばれることになった。


⸻


病院での診断は重傷だった。


幸い、命に関わる状態ではなかったものの、全身を強く打っており、しばらく安静が必要だという。


ベッドの上で、空手家パパは魂カードを眺めていた。


「いろいろできるんだねー」


落下したとき、《光》を足場にしようとして失敗した。


だが、その後、自分の身体へ光を通してみると、痛みがわずかに遠のいたような感覚があった。


傷が治ったわけではない。それでも、何かが身体を支えているような、不思議な感触が残っていた。


「このカードで回復とかできないの?」


「治す力があるかは分かんない」


リュミはカードを覗き込んだ。


「でも《光》って、照らすだけって決まってないんじゃない?」


「なるほどねぇ」


空手家パパはカードを胸元へ戻し、枕に頭を沈めた。


「今日はもう事件が起こらないことを祈るよ」


「ほんとにね……」


夕方になると、病室のテレビで昼の事故が報道された。


救助された子供は無事で、命に別状はないという。


「よかったぁ」


空手家パパは小さく息を吐いた。


しかし、ニュースはそれだけでは終わらなかった。


『なお、別件で逮捕されている通称ブルーラインが、この転落事故の発生前に“子供”“北東”などと発言していた可能性があり、警察が経緯を確認しています』


「……」


空手家パパはテレビを見つめた。


画面が切り替わり、過去の防犯カメラ映像が流れる。


そこには、街中を歩くブルーラインの姿が映っていた。


ごく普通に歩いていた男が、突然足を止める。


そして、誰もいない方向へ顔を向けた。


数秒間、じっと何かを見つめるように立っていたかと思うと、いきなり走り出した。


その数分後、彼が向かった方向で事件の通報が入ったという。


「ヒーローって超能力でもあるんか……」


空手家パパは腕を組もうとして、痛みに顔をしかめた。


「いてて……いや、黒幕?」


少し考えてから首を振る。


「なんて、まさかね」


リュミも真剣な表情で映像を見つめていた。


「超能力なのか、何か知ってたのか……そこまでは分かんない」


「この人もカード持ってんじゃない?」


空手家パパは自分の魂カードを指でつまんだ。


「ぷるぷる、振動するじゃん。ポケベルみたいに」


「ポケベル……?」


「そこ?」


リュミはしばらく考え込んでから、もう一度テレビへ目を向けた。


「カードを持ってるかは分かんない。でも、パパの《光》がブルブルするのと、ちょっと似てる気はする」


「ふむ」


「誰かに引っ張られてるみたいな」


空手家パパは自分のカードと、画面に映るブルーラインを交互に見た。


もし、あの男も魂カードを持っているとしたら。


なぜ事件が起こる前に、その場所を知ることができたのだろう。


そして、自分の《光》が今日の事故に反応したことと、何か関係があるのだろうか。


「うーん……」


考えても、答えは出ない。


「ま、本人に聞かないと分かんないよね」


「そうだね」


そのときだった。


コンコン。


病室の扉がノックされた。


「はーい」


空手家パパが返事をすると、扉が静かに開いた。


入ってきたのは、制服姿の警察官だった。


「空手家パパさんですね?」


「はい?」


警察官は手帳を取り出し、穏やかな口調で続けた。


「体調が許せば、今日の転落事故について少しお話を伺いたいのですが」


「あ、いいですよー」


空手家パパは何も疑わず、にこやかに頷いた。


その肩で、リュミだけが妙に不安そうな顔をしていた。

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