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第三話 消える客

照明が戻った。


さっきまで高校生が立っていた場所には――誰もいない。


床に、読みかけの雑誌だけが落ちている。


空手家パパの口が開いたままになる。


「あわ……」


少女も固まっていた。


「あわ、あわ……」


震える指で、誰もいない場所を指す。


「消えた……」


少女が空手家パパのそばへ寄ってきた。


「……あのお兄ちゃん、どこ行ったの?」


「いや、おじさんも聞きたい」


ナギが落ちた雑誌を拾い、表紙を確認してから周囲を見回した。


「分かりません」


「雨宮さん!?」


「消える人がいる。それは確認しました。でも、今の人がどこへ行ったのかまでは分かりません」


ナギは淡々と言う。


そのとき。


カチッ。


小さな音に反応して、空手家パパが振り向いた。


壁時計は午前二時十七分を指している。


「あれ?」


秒針が止まっている。


いや、さっきと位置が違う。


ほんの一目盛りだけ、進んでいた。


時計の下では老人が新聞を畳みかけている。三浦も高校生が消えた場所を見るため、レジから一歩離れていた。


「ちょっとまったー!」


何かある。


理屈は分からない。だが、ここまで来たら試すしかない。


空手家パパは魂カードを取り出した。


「分かりました」


ナギがこちらを見る。


「何がです?」


「カードの力を使う!」


「いや、だから目立つって――」


「光よ!」


カードを掲げる。


「真実を映し出せー!」


そんな力があるかは知らない。


だが《光》なら、見えないものを照らすくらいはできるかもしれない。


魂カードが脈打ち、白い光が店内を走った。


棚も、床も、天井も、人も、眩しさの中で輪郭を失っていく。


完全には見えない。


それでも、一瞬だけ――見えた。


少女から伸びる淡い影。


ナギから伸びる影。


どちらも自動ドアの向こうへ続いている。


だが、二つだけ違った。


新聞を読む老人。


そして三浦。


二人から伸びる影だけが外へ向かっていない。


床や棚、レジへと、まるで店内そのものに絡みつくように伸びていた。


「なるほど」


空手家パパは老人を見て、次に三浦を見る。


そして直球で聞いた。


「お爺さん、店員さん。あなた方……お化けなのでしょうか?」


「お化けぇ?」


老人は新聞から顔を上げて笑った。


「はは。こんな年寄り捕まえて、縁起でもない」


三浦も自分の名札を指した。


「俺は三浦です。ただの夜勤ですよ」


「でも影が……」


「影?」


どうやら三浦には見えていないらしい。


「ただ……」


三浦は少し考えてから言った。


「出られないお客さんは前にもいましたね」


「前にも?」


「はい。あと、いつの間にかいなくなる人も」


「それ先に言ってー!」


その言葉の途中、店内放送が流れた。


『本日もご来店いただき――』


ブツッ。


不自然に途切れる。


同時に、老人の新聞がパラッとひとりでにめくれ、地域欄で止まった。


「ん?」


空手家パパが覗き込む。


隅に小さな記事があった。


市内の住宅で82歳男性が死亡。死後数日が経過していたとみられる。


氏名はない。写真もない。


空手家パパは記事を見て、老人を見て、もう一度記事を見る。


「……お爺さん、何歳です?」


「八十二だが?」


「…………」


嫌な一致である。


「た、たぶん……」


記事を指差す。


「それ、おじいさんのことでは……」


そして小声で、


「こわっ……」


老人は怒るでもなく、自分も記事を覗き込んだ。


「最近はそういうの多いからなぁ。一人暮らしじゃ、誰にも気づかれん」


少し寂しそうに笑う。


カチッ。


また時計が一目盛り動いた。


空手家パパは時計を見て、老人を見る。


「…………」


何か関係している。


だが、考えても分からない。


なら――。


「入り口、何とか入り口あけよう!」


空手家パパは自動ドアへ向かった。


「リュミさんなんとかしてー!」


「ええっ、わたし!?」


リュミが慌てて飛んでいく。


「もう、急に無茶振りするんだから!」


小さな両手を自動ドアへ当てると、翅が光った。


扉の中央に細い光が走る。


ウィ……


数センチだけ、扉が開いた。


「おお!」


しかし、全員が黙った。


その向こうに駐車場はなかった。


真っ暗だった。


光さえ吸い込むような、底の見えない闇。


そこから冷たい風だけが吹き込んでくる。


老人が新聞を置き、ゆっくり立ち上がった。


すると、自動ドア上部の表示が変わった。


ほんの一瞬。


《ありがとうございました》


老人が立ち止まると、表示も消えた。


カチッ。


時計が動く。


空手家パパは数センチ開いた自動ドアを見つめた。


「……よし」


その隙間に指を突っ込む。


ナギが嫌な予感を察した顔をした。


「何をする気ですか」


「その空いたところに指を入れて――」


腰を落とし、足裏で床を捉える。


「思いっきり押し開けるぞー!」


「それ自動ドアですよ」


「パワーで解決じゃー!」


扉が押し返してくる。


重い。


いや、重いという表現では足りない。


まるで店そのものが、


――出すものか。


そう言って押し返しているようだった。


「ぬ……!」


空手家パパはさらに腰を落とした。


肩だけで押さない。腕だけでもない。


床を踏み、脚から腰、背中、肩、腕へと、全身を一本につなげる。


「ぬおおおおおおっ!」


ガガガガガッ!


自動ドアが軋む。


ナギが思わず一歩下がった。


「うそ! 開いてる!」


リュミが叫ぶ。


「うおおおおっ!」


最後の一押し。


バンッ!


突然、抵抗が抜けた。


自動ドアが左右へ大きく開く。


「開いたー!」


だが、喜んだのも一瞬だった。


外はまだ闇。


冷たい風が店内へ流れ込む。


そして――。


ピーポー……


また救急車のサイレンが聞こえた。


さっきより近い。


少女が持っていたアイスが、ぽた、と床へ垂れた。


急速に溶けている。


「……?」


少女自身も、どこか眠そうだった。


三浦がレジを離れ、開いた出口へ近づく。


その瞬間、レジ端末が赤く光った。


《勤務終了》


三浦が立ち止まる。


「……なんだ、これ」


壁時計の長針が震えた。


空手家パパはサイレンを聞きながら、少女を見る。


「サイレンの音がずっとしている……?」


外を見る。


「近くで事故?」


分からない。


だが、ここに留まる方が危ない気がした。


「とにかくみんな外に出るよー!」


出口を指す。


「おじさんに続け!」


少女が駆け寄り、ナギもすぐ後ろについた。


だが老人は闇の前で立ち止まり、三浦も《勤務終了》と表示されたレジと出口を交互に見ている。


「行くなら急いで」


ナギが言った。


「この子、さっきより様子がおかしい」


少女は何度も瞬きをしている。


「眠いの?」


「……ちょっと」


そのとき。


暗闇の向こうから、声がした。


『離れて!』


空手家パパが止まる。


続いて、もう一つ。


『AED解析します!』


「……え?」


少女を見る。


何が起きているのかは分からない。


「なんかよくわからんけど急ぐぞ!」


少女の手を取った。


「行くよ!」


二人で闇の中へ走る。


一歩、二歩と進んだところで、突然少女の身体が重くなった。


「……おじさん」


膝が落ちる。


「眠い……」


空手家パパは少女を抱き上げた。


『ショックします! 離れて!』


今度は、はっきり聞こえた。


何が起きている。


どこで誰が叫んでいる。


なぜ少女が眠る。


何も分からない。


ただ、一つだけ分かった。


この子は今――まずい。


「なんかよくわからんが!」


少女を抱え直す。


「子供が死んだらあかんでしょ!」


闇へ踏み込んだ途端、空気が泥になったように身体へまとわりついた。


重い。


思うように前へ進めない。


「ぬおおお!」


それでも一歩、もう一歩と足を前へ出す。


だが。


バンッ!


見えない何かに弾かれた。


空手家パパは少女を庇いながら店内へ転がった。


少女の手からアイスが落ちる。


もう、ほとんど液体になっていた。


「……お母さん……」


少女が弱々しく呟く。


蛍光灯が激しく明滅した。


空手家パパが顔を上げる。


壁時計は――また午前二時十七分で止まっていた。


「……まだだ」


少女を抱いたまま立ち上がる。


魂カードを握る。


「根性ーーーー!」


カードを掲げた。


「カード光れー!!!」


白い光が溢れ出す。


「全力で行くぞー!」


少女を抱き締める。


「ちぇすとーーーーー!」


《光》が爆発した。


闇の中に、少女からどこか遠くへ伸びる一本の筋が浮かび上がる。


「そこかー!」


空手家パパは、その筋を追うように《光》を伸ばした。


届く。


そう思った。


だが、次の瞬間。


光が逆流した。


「え?」


魂カードへ、黒い亀裂のような模様が走る。


少女の輪郭が透けた。


腕が。


顔が。


身体が。


少しずつ、半透明になっていく。


「おじさん……」


少女が自分の手を見る。


震える声で聞いた。


「わたし、消えちゃうの?」

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