第二話 午前2時17分のコンビニ
午前二時十七分。
夜の稽古を終えた空手家パパは、旅先の夜道を宿へ向かっていた。
「腹減ったなー……」
そんなことを呟いた、そのときだった。
胸元で、
ブルッ。
何かが震えた。
「ん?」
スマートフォンではない。
取り出してみる。
魂カード。
最近、妙な事件に巻き込まれるたびに反応するようになった、あのカードだった。
表面には一つの能力が刻まれている。
《光》。
何ができるのか。
実を言えば、空手家パパ自身もまだよく分かっていない。
懐中電灯代わりになることもあれば、普通なら見えないものを照らし出すこともある。
便利なのか。
危険なのか。
それすらよく分からない。
ただ一つ。
このカードが妙な反応をした夜は――
「……また何かある?」
だいたい、ろくなことにならない。
顔を上げる。
道路の向こうにコンビニがあった。
マート24 北ヶ丘店。
白い蛍光灯。
ガラス越しに見える商品棚。
どこにでもありそうな、ごく普通のコンビニだった。
「……こんなのあったっけ?」
まあいい。
喉も渇いたし、何か食べ物でも買おう。
空手家パパは道路を渡った。
自動ドアが開く。
ピロリロリン。
「いらっしゃいませー」
ごく普通の声。
レジには三十代くらいの男性店員。
名札には、
三浦
と書いてある。
雑誌コーナーでは高校生くらいの少年が立ち読みをしている。
イートイン近くの椅子では、八十歳くらいの老人が新聞を読んでいる。
飲料棚の前には黒いコートを着た若い人物。
そして――
「……ん?」
アイス売り場の前に、小さな女の子がいた。
七歳くらいだろうか。
パジャマ姿。
手にはアイス。
そして、
裸足だった。
「いやいやいや」
こんな時間である。
しかも裸足。
どう考えてもおかしい。
空手家パパは少女へ向かおうとして――ふと足を止めた。
先に店を出て、外から警察か誰かに連絡した方がいいかもしれない。
そう思って自動ドアへ近づく。
……開かない。
「あれ?」
一歩下がる。
もう一度近づく。
開かない。
センサーの下で手を振る。
開かない。
「出られません。壊れてます?」
レジの三浦が顔を上げた。
「ああ……」
自動ドアを見る。
そして、
「ああ……そういうお客さん、たまにいますね」
「たまに!?」
故障に対する反応ではない。
空手家パパが眉をひそめていると、アイスを持った少女と目が合った。
「おじさんも、出られないの?」
「……君も?」
少女は頷いた。
それより。
空手家パパは少女の足を見る。
「君、こんな時間にそんな格好でどーしたの? 靴は? お父さんお母さんは?」
少女も自分の裸足を見る。
「……靴、ない」
少し考える。
「気づいたらここにいたの。お母さんと一緒だったと思うんだけど……」
「思う?」
「うん……」
少女自身もよく分かっていないらしい。
そのとき。
遠くから、
ピーポー……
かすかに救急車のサイレンのような音が聞こえた。
空手家パパは自動ドアの向こうを見る。
夜道には救急車らしきものは見えない。
「外に出たいのに、開かないんだよ」
少女が言った。
空手家パパは、もう一度裸足を見る。
冷たいコンビニの床。
「とりあえずおじさんが靴……」
自分の足を見る。
さすがに脱いで渡すわけにもいかない。
「……はないけど、靴下ならあるか。買ったげる。足寒いでしょ」
少女の顔が少し明るくなった。
「……いいの?」
「いいよー」
棚を探す。
幸い、子ども用の靴下があった。
それを持ってレジへ行く。
三浦がバーコードを読む。
ピッ。
その瞬間だった。
レジ画面に妙な文字が出た。
商品名ではない。
《処理中》
「ん?」
空手家パパが画面を覗き込む。
三浦も固まっている。
「大丈夫ですか?」
「いや……」
三浦は画面を見る。
「今、変な表示が出たような……」
もう一度。
ピッ。
今度は普通の商品名と値段が表示された。
「……まあ、大丈夫ですね」
「ほんとに?」
会計を済ませる。
そのとき。
軽快だった店内BGMに、女性のアナウンスが混ざった。
『まもなく閉店のお時間――』
三浦が顔を上げた。
空手家パパも天井を見る。
放送はそこで途切れた。
「……閉店?」
三浦が首を傾げる。
「うち、24時間ですよ?」
「なんか変だなぁ……」
空手家パパは小声で呟いた。
レジ。
開かないドア。
裸足の少女。
午前二時十七分。
そして、24時間営業の店で流れる閉店放送。
「これまたオバケ関係じゃない?」
肩のあたりを見る。
そこには、手のひらより少し大きな少女が浮いている。
透明な虫のような翅。
空手家パパについてきている小さな精霊、リュミだった。
「リュミさん、どう思う?」
リュミは翅を震わせながら、店内をぐるりと見回した。
「うーん……オバケかどうかは、わたしにも分かんない」
自動ドアを見る。
「でもここ、普通じゃないよ。外と店の間が……なんか変な感じする」
「やっぱり?」
そのときだった。
「……そのカード」
声。
振り返る。
黒いコートを着た人物が、こちらを見ていた。
視線は空手家パパの胸元。
魂カード。
「しまった方がいいですよ」
静かな声だった。
「ここでは目立つから」
「え? このカード知ってるんですか?」
聞きながらも、まず少女のところへ行く。
「靴下、どうぞー」
袋から出して渡す。
「ありがとう!」
少女は床に座り、さっそく靴下を履いた。
冷えていた足を嬉しそうに擦り合わせる。
その手には、まだアイスが握られている。
黒いコートの人物は、コートの内側を少しだけ開いた。
一瞬だけ見えた。
カード。
空手家パパが持つものと似ている。
「知ってます」
その人物は言った。
「……私も持ってますから」
「おおー!」
空手家パパの顔が明るくなる。
「オバケ退治仲間ですね!」
「……オバケ退治仲間かは分かりませんけど」
微妙な顔をされた。
「私は雨宮ナギ」
「これどういうことですか? 外出れないんですか?」
ナギは自動ドアを見る。
「少なくとも、私は出られていません」
「やっぱり」
「ここが普通のコンビニじゃないことも、おそらく確かです」
「じゃあ、どうすれば出られます?」
「知りません」
即答だった。
「知らんのかーい!」
「分からないものは分からないので」
ナギは店内にいる人々を見回した。
少女。
老人。
三浦。
高校生。
そして、空手家パパ。
「以前、似たような場所に入ったことはあります。ただ――」
少し間を置く。
「こういう場所では、生きている人間と、そうでないものが一緒にいることがあります」
「…………」
空手家パパの表情が止まった。
「え?」
今。
聞き捨てならない単語があった。
「え? そうでないもの?」
声が一段大きくなった。
「お化けもいるってことですか?」
「私は、そう断定してません」
「ちょっ、みんな元気そうですよ!」
空手家パパは慌てて店内の人々を見回した。
「お化けのはずは……」
見た目では分からない。
少女には体温がありそうだ。
三浦も普通に喋っている。
老人は新聞を読んでいる。
高校生も――
「あれ……?」
高校生が胸を押さえた。
雑誌が床に落ちる。
「ん?」
空手家パパがそちらを見る。
高校生の額には、急に汗が浮かんでいた。
「大丈夫?」
返事がない。
その瞬間。
バチン。
蛍光灯が消えた。
真っ暗になった。
「うおっ!?」
暗闇の中。
高校生の声だけが聞こえた。
「……え?」
一秒。
二秒。
バチッ。
照明が戻る。
そこには――
誰もいなかった。
雑誌だけが床に落ちていた。




