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第15話 呪いのカードでチェストォ



「チェストォォォォォォ!!」


空手家パパの正拳が、白い人影へ向かって突き出された。


後ろ足が床を蹴る。


腰が回る。


肩から肘、そして拳へ。


長年の稽古で身体に刻み込んできた動きが、淀みなくつながっていく。


それは特別な技ではなかった。


何千回、何万回と繰り返してきた、ただの正拳突き。


だが、今は違う。


拳の周囲には、魂カード《光》から溢れ出した白い輝きが集まっていた。


白い人影が腕を伸ばす。


その指先が、空手家パパへ届こうとする。


それより先に。


「うおおおおおおおおお!!」


正拳が突き刺さった。


次の瞬間。


《光》が爆発した。


ドォォォン!!


凄まじい轟音が、第六保管室を揺るがした。


白い人影の頭部から全身へ、亀裂のように光が走る。


表情のない顔が大きく歪んだ。


肩。


腕。


胴体。


人間の形を保っていた輪郭が、次々と崩れていく。


特殊拘束具を振りほどこうとしていた腕が、力なく落ちた。


「神崎さん! 今!」


空手家パパが叫んだ。


だが、出口を塞いでいた白い壁は消えなかった。


「くそっ! まだ通れない!」


神崎が壁の前で立ち止まる。


「ええー!? しぶといな!」


空手家パパは白い人影へ向き直った。


大きく輪郭を崩しながらも、相手はまだ完全には消えていない。


空手家パパは一歩下がり、腰を落とした。


拳を構える。


残心。


倒れた相手へ追撃はしない。


逃げるなら追わない。


ただ、再び襲ってくるなら対応できるよう、相手の動きを見続ける。


「…………」


白い人影は片膝をついたまま、空手家パパを見上げた。


そして、ゆっくりと手を伸ばした。


「……ん?」


空手家パパは眉をひそめた。


その手が向いているのは、神崎ではなかった。


白石ユキのカードでもない。


自分の胸元。


★2の魂カード《光》だった。


「…………」


空手家パパは構えを解かない。


だが、踏み込むこともしなかった。


何かを伝えようとしているのか。


それとも、次の攻撃なのか。


判断できない。


数秒間、奇妙な睨み合いが続いた。


やがて、伸ばされていた手が止まった。


白い人影の指先が、ゆっくりと崩れ始める。


腕。


肩。


胴体。


無数の光の粒が浮かび上がり、天井へ向かって昇っていく。


まるで最初からそこに何もなかったかのように、白い人影は消えていった。


その瞬間。


バシュン!


出口を塞いでいた白い壁も消滅した。


「神崎を確保しろ!」


御影が即座に叫んだ。


警備員たちが一斉に出口へ向かう。


だが、その前に空手家パパが立ちはだかった。


「ちょっと待ったー!」


「……何のつもりですか」


御影が鋭く睨む。


空手家パパは、足元に落ちていた黒いケースを拾い上げた。


白石ユキのカードが収められていた遮蔽ケースだった。


「神崎さん! これ忘れてるぞ!」


神崎が振り返る。


「……そうだった!」


空手家パパはすぐ近くにいた神崎へケースを差し出した。


「大事なもんなんでしょ? ちゃんと持っていきなよ!」


「あなたは……!」


御影が言葉を詰まらせる。


「彼は銀行強盗犯です! そのカードも、施設から持ち出していいものではない!」


「わかってますよ!」


空手家パパは答えた。


「でも、あの泣き声を聞いちゃったんです!」


「それが白石ユキ本人の声だという保証はありません!」


「それもわかってる!」


空手家パパは御影を見た。


「でも、ここに置いてたら、またあんなのが来るかもしれないんでしょ?」


御影は一瞬、言葉を止めた。


「神崎さんは三年間、白石さんを諦めなかったんですよ」


空手家パパは続ける。


「だったら、一度くらい、あの人に任せてみてもいいじゃないですか!」


「……あなたの判断で決めていい問題ではありません」


「そうですね!」


空手家パパは頷いた。


「でも、私が今、守りたいと思ったのは、この人たちなんです!」


御影の表情が険しくなる。


「警備員、彼を――」


そのとき。


神崎が白石ユキのカードを黒いケースへ収めた。


カチリ。


蓋が閉まる。


その瞬間だった。


ブルブルと震え続けていた空手家パパの魂カードが、ぴたりと静かになった。


「……お?」


空手家パパは胸元を押さえた。


「止まった」


リュミも驚いたようにカードを見つめる。


「ほんとだ……!」


「第六保管室の異常反応、低下しています!」


警備員が叫んだ。


御影は端末へ目を落とす。


「……遮蔽が効いているのか」


しかし、その顔に安堵はなかった。


「追跡班、神崎を追え! 残りは保管室の封鎖と安全確認!」


警備員たちが動き出す。


だが、そのときには神崎はすでに出口へ走り出していた。


空手家パパは、その背中へ声を張り上げた。


「今度奢れよーーーー!!」


遠くから声が返ってきた。


「……生きて会えたらな!」


「高いもん奢れよー!」


神崎はそのまま通路の向こうへ消えていった。


空手家パパは追わなかった。


「あー……もう無理」


その場へ腰を下ろす。


床が冷たい。


だが、今はそれすら心地よかった。


「パパ、大丈夫?」


リュミが心配そうに顔を覗き込む。


「うん。ちょっと全身が痛いだけ」


「それ、ちょっとじゃないと思うよ!」


「まあ、生きてるから大丈夫!」


「そういう問題じゃないよー!」


いつものやり取りが戻ってきた。


しかし、御影の表情は厳しいままだった。


彼は神崎が消えた通路をしばらく見つめていた。


やがて、空手家パパへ向き直る。


「……あなたには、後日たっぷり話を聞かせてもらいます」


「えー……」


「黒瀬も交えて、です」


「また黒瀬さん!?」


「また、とは?」


「いやー、こないだ宇宙人の件でお世話になったばっかりだから」


「……報告書は読みました」


御影は疲れたように眉間を押さえた。


「どうしてあなたは、行く先々でこうした事件に関わるのですか」


「いや、私が聞きたいですよ!」


空手家パパは両手を広げた。


「今日なんか、金下ろしに来ただけですからね!」


それは事実だった。


ただ旅費を下ろしに銀行へ来ただけなのに。


銀行強盗を投げ。


政府の地下施設へ入り。


人間がカードになっているかもしれないことを知り。


正体不明の白い何かを一本背負いし。


回し蹴りを弾かれ。


最後は魂カードの《光》を乗せた正拳突きまで叩き込んだ。


どう考えても、銀行で起こる出来事ではない。


「……金、下ろしに来ただけなんだけどなぁ」


空手家パパは天井を見上げた。


御影は何も言わなかった。


⸻


銀行の外へ戻る頃には、すでに騒ぎは収まりつつあった。


人質たちは警察に保護され、行員たちも事情を聞かれている。


空手家パパは全身が痛む身体を引きずりながら、ようやく外の空気を吸った。


朝の光が眩しい。


地下の白い照明とは違う、普通の太陽の光だった。


「……ふぅ」


空手家パパは大きく息を吐いた。


肩のそばでは、リュミが静かに羽ばたいている。


いつもの快活な声より、少しだけ元気がなかった。


「ねえ、空手家パパ」


「んー?」


「わたしも……“完成”って何なのか、ちゃんと知りたい」


空手家パパはリュミを見た。


小さな精霊は、真剣な顔をしていた。


「今までね、魂が完成するのはいいことだって思ってたの」


「うん」


「でも……白石ユキさんみたいになっちゃうなら、それが本当にいいことなのか、わかんない」


空手家パパは胸元を見下ろした。


魂カード《光》。


★2。


いつか、このカードも成長するという。


★12。


その先で白石ユキに何が起きたのか。


彼女は生きているのか。


死んでいるのか。


それとも、そのどちらでもないのか。


あのすすり泣きは何だったのか。


白い人影は何者だったのか。


そして。


完成した魂が行くという、


“本来あるべきところ”。


そこがどこなのか。


何一つ分からない。


空手家パパはカードを指先でつまんだ。


今日だけで、何度これに振り回されたことか。


「……もう呪いのカード懲り懲りだよー」


「ええー!? またそれ言うー!」


リュミが頬を膨らませた。


「だって、怖いじゃん!」


「わたしだって怖かったよ!」


「じゃあ一緒じゃん!」


「そうだけどー!」


二人は顔を見合わせた。


そして、思わず笑った。


ようやく、いつもの調子が戻ってきた。


空手家パパはカードを胸元へしまい、空を見上げた。


神崎レンは、無事に逃げられただろうか。


白石ユキを元に戻す方法は、見つかるのだろうか。


今は何も分からない。


だが、あの男はきっと諦めないだろう。


三年間、白石ユキのことを忘れなかったのだから。


「……あ」


空手家パパが突然、声を上げた。


「なに?」


リュミが振り向く。


「神崎さん」


「神崎レン?」


「うん」


空手家パパは腕を組んだ。


「次会ったら、絶対奢らせよう」


「そこ!?」


リュミが思わず吹き出した。


「あんな大変なことがあったのに!?」


「だって約束したし!」


「……あははっ!」


リュミは声を上げて笑った。


空手家パパも笑う。


旅は続く。


神崎レンと白石ユキが、どこへ向かったのか。


完成した魂が、何を意味するのか。


そして、あの白い人影が何者だったのか。


この時の空手家パパは、まだ知らない。


胸元の魂カードだけが――。


今はただ。


静かだった。

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