第14話 完成した魂を迎えるもの
「……泣いてる」
空手家パパは、透明ケースの中に収められた一枚のカードを見つめていた。
白石ユキ。
三年前、魂カードが★12へ到達した直後に身体が消失した女性。
神崎レンが、今もそこに本人がいると信じている存在だった。
そのカードから、確かにすすり泣きが聞こえている。
「ユキ……」
神崎が一歩、前へ出た。
だが、その肩を空手家パパが掴む。
「神崎さん、ちょっと待って!」
「離せ!」
「いやいや! なんかおかしいって!」
空手家パパは天井を見上げた。
照明が明滅している。
白い壁の一部が、まるで水面のように揺らいでいた。
「リュミさん!」
「な、なに!?」
「完成したカードはどこに行くの!? 何が来てんの!?」
リュミは天井を見つめたまま答えた。
「わ、わたしが教わったのは、“完成した魂はこことは違う場所へ導かれる”ってことだけ!」
「じゃあ何が来てる!?」
「わかんないよー!」
リュミは泣きそうな顔で叫んだ。
「でも……わたしに、ちょっと似てる」
「リュミさんに?」
「うん。でも、ずっと大きい。ずっと強い……」
空手家パパは眉をひそめた。
リュミと似ている。
つまり、精霊に近い存在なのだろうか。
だが、そんなことを考えている暇はなかった。
「遮蔽率、さらに低下!」
警備員の声が響く。
御影は端末を確認しながら、鋭く指示を飛ばした。
「遮蔽を上げろ! 保管室の封鎖準備!」
「了解!」
室内に低い機械音が響き、透明ケースの周囲に淡い光の膜が現れる。
しかし、天井の異変は止まらなかった。
白い染みが広がっていく。
その中心から、光が集まり始めた。
頭。
肩。
腕。
脚。
まるで人間の身体を組み立てるように、白い輪郭が形作られていく。
顔らしき場所には、目も鼻も口もない。
ただ、人の形をした光だけが、ゆっくりと天井から降りてきた。
「来ちゃった!」
リュミが叫んだ。
神崎がカードの収められたケースへ駆け寄ろうとする。
「ユキを渡すわけにはいかない!」
「神崎! 下がれ!」
御影が制止した。
だが、神崎は止まらなかった。
空手家パパは白い人影を見上げた。
あれが何者なのかは分からない。
白石ユキを迎えに来たのか。
ただ魂カードに反応して現れたのか。
そもそも、敵なのかどうかさえ分からない。
だが、一つだけ気になることがあった。
白い人影の顔が、透明ケースへ向いている。
まるで、その中にあるものを探しているようだった。
――あいつは白石さんのカードを狙っている。
少なくとも、空手家パパにはそう見えた。
話を聞く?
様子を見る?
そんな悠長なことをして、白石のカードを持っていかれたら困る。
ならば。
「先制攻撃!」
空手家パパが床を蹴った。
「会話は無力化したあとだー!」
「ちょっと待ってー!?」
リュミの悲鳴が背後から響く。
白い人影が床へ降りきる、その直前。
空手家パパは視線を右へ向けた。
身体もわずかに右へ振る。
――フェイント。
白い人影の上体が、そちらへ反応した。
その瞬間、空手家パパは逆側から一気に懐へ入った。
腕を取る。
腰を落とす。
重心を崩す。
相手の中心を、自分の動きへ巻き込む。
いつもの身体操作だった。
だが。
「……重っ!」
違う。
重いのではない。
押されている。
触れた腕から、猛烈な光の圧力が噴き出した。
「うおっ!?」
身体が浮いた。
次の瞬間。
ドンッ!!
空手家パパは壁際まで吹き飛ばされた。
背中を強打する。
肺から空気が抜けた。
「ぐっ……!」
痛い。
かなり痛い。
それでも空手家パパは、床へ手をついて顔を上げた。
白い人影は追撃してこなかった。
こちらを一度見ただけで、すぐに透明ケースへ向き直ったのである。
「……やっぱり」
空手家パパは歯を食いしばった。
「白石さんのカードが目当てか!」
その数秒。
白い人影の注意は、完全に空手家パパへ向いていた。
そして、その隙を逃さなかった男がいた。
神崎レンである。
「ユキ!」
神崎は透明ケースへ駆け寄り、留め具をこじ開けた。
警報がさらに大きく鳴り響く。
「神崎! やめろ!」
御影の制止も聞かず、神崎は黒い遮蔽ケースを引き出した。
そして、その蓋を開く。
中にあった一枚のカードを掴んだ。
「取った!」
白石ユキ。
★12。
神崎が、白石本人だと信じているカード。
その瞬間だった。
白い人影の首が、神崎へ向いた。
迷いはなかった。
右腕が、まっすぐ伸びる。
「神崎さん!」
空手家パパが立ち上がった。
白い指先が、神崎へ届く。
その直前。
横から飛び込んだ。
「その腕を取って――!」
伸ばされた手首を掴む。
踏み込む。
背中を入れる。
腰を落とす。
相手の重心を、自分の背中へ乗せる。
「一本背負ー!!」
白い身体が宙を舞った。
ドォン!!
床へ叩きつける。
光の身体が大きく歪んだ。
頭部。
肩。
腕。
人間の形を保っていた輪郭が、一瞬ばらばらに崩れる。
「いけ! 神崎さん!」
神崎が出口へ走った。
白石のカードを胸元に抱え、扉へ向かう。
だが。
倒れた白い人影が、片手を上げた。
出口前の空間へ光が走る。
バシュン!
白い壁が出現した。
「くそっ!」
神崎が急停止した。
逃走路が塞がれている。
白い人影は、ゆっくりと立ち上がった。
先ほど床へ叩きつけられたはずなのに、その動きに衰えはない。
「……まだ動くのかよ」
空手家パパは小さく呟いた。
御影が警備員たちへ指示を飛ばす。
「カードの確保を優先! 接触体を足止めしろ!」
警備員たちが動き出した。
だが、空手家パパには一つだけ不満があった。
「御影さんたちも手伝えー!」
声を張り上げる。
「こっちは命張ってんだぞー!」
「今、対応しています!」
「もっと頑張ってー!」
そう叫びながら、空手家パパは自分から白い人影へ突っ込んだ。
「ちょっと手荒にいくよー!」
身体を回転させる。
足裏から生まれた力を腰へ伝え、上体を鋭く回す。
狙うのは頭部。
回し蹴り。
しかし、白い人影の顔面へ届く寸前。
光が凝縮した。
バンッ!!
「うおっ!?」
蹴りが弾かれた。
体勢が崩れる。
その足首を――掴まれた。
「え」
白い人影が腕を振った。
空手家パパの身体が、軽々と持ち上がる。
ドンッ!!
背中から床へ叩きつけられた。
「がっ……!」
さっきより痛い。
身体中が軋む。
息ができない。
「パパー!!」
リュミの悲鳴が響く。
それでも白い人影は、空手家パパへ追撃しなかった。
すぐに神崎へ向き直る。
その動きには、まるで迷いがなかった。
少なくとも今は、白石のカードを追っているように見える。
神崎は白い壁の前で立ち尽くしていた。
御影が叫ぶ。
「接触体を足止めしろ!」
警備員たちが一斉に武器を構えた。
銃声に似た破裂音が響く。
特殊拘束具が射出され、白い人影の腕へ巻き付いた。
光の腕が止まる。
ほんの一瞬。
「今だ!」
御影の声が響いた。
空手家パパは床へ手をついた。
「……ったく」
ゆっくりと立ち上がる。
全身が痛い。
背中も、腕も、足も。
まともに動くのが不思議なくらいだった。
それでも、目の前にはまだ白い人影がいる。
そして、その向こうには神崎がいる。
白石ユキのカードを抱えたまま、逃げ道を塞がれている。
「……よし」
空手家パパは大きく息を吐いた。
普通に殴っても駄目だ。
蹴りも弾かれた。
身体操作で投げても、すぐに起き上がってくる。
ならば。
胸元の魂カードへ、意識を向けた。
《光》。
これまで散々、言うことを聞かなかった力。
銀行のロビーでも、味方まで巻き込んでしまった。
だが、今は違う。
空手家パパはゆっくりと拳を握った。
「お前……」
胸元のカードが、かすかに輝く。
「こういう時くらい働けよ!」
その瞬間。
カードから白い光が溢れ出した。
光は腕を伝う。
肩。
肘。
そして、拳へ。
握りしめた拳の周囲に、白い輝きが集まり始めた。
リュミが目を見開く。
「……あっ!」
白い人影が、ゆっくりと空手家パパへ顔を向けた。
空手家パパは腰を落とす。
後ろ足を床へ吸い付ける。
肩の力を抜き、拳を構える。
長年、何度も何度も繰り返してきた動作。
正拳突き。
ただ、それだけだった。
だが、その拳には今までにない光が宿っていた。
「……いくぞ」
白い人影が腕を伸ばす。
空手家パパは床を蹴った。
「チェストォォォォォォ!!」
全身の力が、一点へ集まっていく。
そして――。
光をまとった正拳が、白い人影へ向かって突き出された。




