第13話 ★12
「……リュミさん」
「な、なに?」
空手家パパは胸元から魂カード《光》を取り出し、目の高さまで持ち上げた。
「これ、ほんとに大丈夫なやつ?」
リュミは答えなかった。
小さな羽を動かしながら、困ったように視線を泳がせている。
「…………」
その沈黙が、何よりも不安だった。
「やはり良くないものだったか」
空手家パパが呟くと、リュミが慌てて反論した。
「やはりって、ひどい!」
「だってさー、身体が消えるって書いてあるよ?」
「そ、それは……」
リュミの声が小さくなる。
そんな二人のやり取りを見ていた御影が、静かに口を開いた。
「良いものか悪いものか、、、どこからか現れ、人に力を与えるものなのは確かです」
空手家パパが顔を上げる。
「ただ――あなたや神崎のカードと、彼女に起きた現象は、同じ体系上にあります」
御影は端末を操作した。
画面に、白石ユキの記録が次々と表示されていく。
三年前。
白石ユキは魂カードの成長段階である★12へ到達した。
その直後、彼女の身体は消失。
現実世界には、一枚のカードだけが残された。
超常対策局は、その現象を解明するため、何度も実験を繰り返したという。
復元。
呼びかけ。
解除。
転移逆行。
超常技術による干渉。
さらには、別のButlerの能力を使った試みまで。
しかし、結果はすべて同じだった。
――成立せず。
「……つまり?」
空手家パパが尋ねた。
「三年間、彼女を元の姿へ戻すことはできていません」
御影の答えは淡々としていた。
空手家パパは端末を見つめた。
そこには、実験の日付と結果が並んでいる。
失敗。
失敗。
また失敗。
どれだけ試しても、白石ユキは戻ってこなかった。
「……そっか」
空手家パパは小さく呟いた。
隣にいた神崎レンが、ゆっくりと口を開いた。
「三年前、回収される直前に、あいつのカードを耳に当てた」
御影が神崎を見る。
「神崎……」
「……中から、泣き声がした」
その言葉に、空気が変わった。
リュミの羽ばたきが止まる。
空手家パパも神崎を見た。
「泣き声?」
「ああ」
神崎は拳を握った。
「小さな声だった。でも、確かに聞こえたんだ」
その表情に、先ほど銀行で拳銃を握っていた男の面影はなかった。
「……ユキの声だった」
誰もすぐには答えなかった。
それが本当に白石ユキ本人の声だったのか。
魂の残響なのか。
あるいは、まったく別の現象なのか。
確かめる方法は、まだない。
それでも神崎は、三年間その声を忘れられなかったのだろう。
空手家パパは、ゆっくりとリュミへ顔を向けた。
「おい」
「え?」
「リュミさん。なんか私に言わなくてはいけないことない?」
「えーっと……」
リュミの目が泳ぐ。
右へ。
左へ。
そして、もう一度右へ。
「……魂カードってね」
ようやく、小さな声が聞こえた。
「育つんだよ」
「ほう」
「★が増えて、どんどん“完成”に近づくの!」
「へー、それはすごい!」
空手家パパは素直に感心した。
「で、完成したらどうなるの?」
「…………」
リュミが固まった。
空手家パパは笑顔のまま待った。
「リュミさん?」
「……うん」
「完成したら?」
「…………」
しばらくして、リュミがおそるおそる口を開いた。
「完成した魂はね、“本来あるべきところ”へ導かれるって教わったよ」
「どこ?」
「……知らない」
「人間はどうなるの?」
「…………それも、知らない」
「それ最初に言ってよ!」
空手家パパの声が地下通路に響いた。
リュミが慌てて両手を振る。
「だ、だって!」
「だってじゃないよー!」
「悪いことだって教わってないもん! 魂が完成するのは、いいことだって教わってたの!」
「いいこと?」
「うん……」
リュミは小さく頷いた。
「だから、人間がどうなるとか、考えたことなかった……」
いつも元気な精霊が、しゅんとうつむいた。
空手家パパはしばらくその姿を見つめていた。
リュミが嘘をついているようには見えなかった。
本当に知らないのだ。
自分たちが使っている魂カードが何なのか。
完成した先に何が待っているのか。
その答えを、精霊であるリュミさえ持っていなかった。
「……完成、ね」
神崎が低く呟いた。
「神崎さん?」
「いや」
それ以上、神崎は何も言わなかった。
御影が巨大な隔壁へ視線を向けた。
「実物を確認しますか」
空手家パパは顔を上げた。
「いいの? 見るよ!」
「それで、納得してくれるなら」
御影は認証装置へ手を伸ばした。
警備員たちが緊張した面持ちで周囲を確認する。
重い電子音が響いた。
ガコン。
続いて、巨大な隔壁がゆっくりと開き始める。
その向こうにあったのは、さらに無機質な通路だった。
照明は白く、壁には複数の監視装置が設置されている。
空手家パパは周囲を見回した。
「うわー、厳重だねぇ」
「当然です」
御影が答える。
「ここに保管されているものは、通常の方法では扱えません」
一行は通路を進み、最奥の扉の前で立ち止まった。
扉には、短い文字が記されていた。
――第六保管室。
御影が認証を済ませると、最後の扉が開いた。
室内は意外なほど簡素だった。
巨大な金庫があるわけでもない。
兵器が並んでいるわけでもない。
ただ、部屋の中央に小さな透明ケースが置かれていた。
その内部には、さらに黒い遮蔽ケースが収められている。
「……これ?」
空手家パパが尋ねた。
「そうです」
御影が端末を操作する。
黒いケースの遮蔽板が、ゆっくりと開いた。
そして。
その中に――一枚のカードがあった。
「…………」
空手家パパは息を呑んだ。
一見すると、自分が持っている魂カードとよく似ていた。
しかし、何かが違う。
見た目だけでは説明できない。
ただ、その一枚が部屋の中心に存在していることを、身体が理解してしまうような感覚だった。
リュミが、ふらりと前へ出た。
「わぁ……」
小さな精霊は、目を見開いている。
「すごい……」
「リュミさん?」
「こんなに完成した魂、初めて見た……」
その瞬間。
「精霊! お前は近づくな!」
神崎の鋭い声が響いた。
リュミがびくりと身体を震わせる。
「ひゃっ!?」
空手家パパは神崎を見た。
「神崎さん?」
「……そいつを近づけるな」
神崎の視線は、リュミから離れなかった。
空手家パパは首を傾げたが、ひとまずリュミを自分の肩へ呼び戻した。
「リュミさん、こっちおいで」
「う、うん……」
空手家パパは改めてケースの中を見た。
白石ユキ。
三十二歳。
★12。
三年前に身体が消失したButler。
神崎が、今もそこに本人がいると信じている一枚のカード。
「……白石さん」
空手家パパは小さく呟いた。
そのときだった。
ブルッ。
胸元の魂カードが震えた。
「……ん?」
ブルブルブル。
震えが強くなる。
「ちょっと待って」
ブルブルブルブルブル!!
「うわっ! これやばいやつや!」
空手家パパは慌てて胸元を押さえた。
魂カード《光》が、まるで何かに引き寄せられるように暴れ始めたのである。
「お、おい! 落ち着け!」
両手でカードを押さえ込む。
しかし、震えは止まらない。
むしろ、ますます強くなっていく。
「うおおおお!」
胸元から飛び出そうとするカードを、空手家パパは必死に押さえた。
リュミが慌てて飛び回る。
「パパ! どうしたの!?」
「カードが勝手に動いてるー!」
「ええっ!?」
「だから言っただろ! 呪いのカードだってー!」
「だから呪いじゃないってばー!」
いつもの言い合い。
だが、今度ばかりは笑っていられなかった。
空手家パパの指の隙間から、白い光が漏れ始めた。
「……あ」
一本の細い光が伸びる。
まるで何かを探すように、空中を進んでいく。
そして。
透明ケースへ触れた。
ピピピピピッ!!
突然、警報が鳴り響いた。
天井のランプが赤く点滅する。
「何だ!?」
御影が端末を確認する。
警備員たちが一斉に身構えた。
「遮蔽率に異常!」
「外部干渉を検知!」
「……私じゃないよ! カードが勝手に!」
空手家パパが叫んだ。
その直後。
――こつん。
小さな音がした。
誰も動かなかった。
誰も、ケースには触れていない。
それなのに。
――こつ。
――こつ。
確かに、内側から音が聞こえた。
神崎が一歩、前へ出る。
「……ユキ?」
空手家パパは思わず叫んだ。
「神崎さん! 危ないよ! 多分なんか危ないよ!」
神崎の足が止まった。
御影が端末を見つめる。
「遮蔽率低下……外部反応!?」
「遮蔽を上げろ!」
警備員たちが動き出す。
そのとき、リュミがゆっくりと天井を見上げた。
「……ねえ」
いつもの明るい声ではなかった。
空手家パパが振り向く。
「ん?」
リュミの顔から、笑顔が消えていた。
「なんか、来るよ」
室内の照明が、一度だけ大きく明滅した。
そして、透明ケースの奥から。
かすかな音が聞こえた。
小さな。
本当に小さな――。
すすり泣きだった。
神崎の顔が強張る。
空手家パパも、息を止めた。
三年前、神崎が聞いたという声。
それが今、確かに聞こえている。
「……泣いてる」
空手家パパはケースを見つめた。
そこにいるのが本当に白石ユキなのか、まだ分からない。
けれど。
泣き声だけは、確かに聞こえた。
そして天井の一部が、ゆっくりと白く滲み始めた。
何かが。
こちらへ近づいていた。




