第12話 カード強盗
旅先の朝。
空手家パパは、東都中央銀行・北ヶ丘支店を訪れていた。
目的は至って普通だった。旅費を下ろすこと。それだけである。
先日の宇宙人騒動では、なぜか屋根の修理代まで背負うことになってしまった。そろそろ平和な一日を過ごしたい。
そんなことを考えながら、銀行のロビーを歩いていた。
――そのときだった。
ガシャァン!!
突然、轟音とともに銀行のシャッターが閉じた。
「全員、動くな!」
怒鳴り声が響く。
振り向くと、黒いジャケットを着た男が立っていた。その手には拳銃が握られている。
銀行強盗だった。
客たちが悲鳴を上げ、次々と床へ伏せていく。行員たちも顔を青ざめさせ、カウンターの陰へ身を隠した。
空手家パパも両手を上げた。
抵抗するつもりはない。拳銃を持った相手に無理をすれば、周囲の人間まで危険にさらしてしまう。
だが、そこで一つ気になるものが目に入った。
カウンターの陰に、小さな子どもがいる。
しゃがみ込んだまま、声も出せずに震えていた。
幸い、強盗の男はまだ気づいていない。
空手家パパは両手を上げたまま、ゆっくりと横へ移動した。
一歩。
もう一歩。
子どもを自分の身体で隠せる位置へ。
「……そこで止まれ」
男の声が飛んだ。
「妙な真似はするな」
銃口がこちらを向く。
空手家パパはぴたりと止まった。
「はい!」
そして、突然。
「……へっ、へっ――ぶぁっくしょん!!」
銀行中に響き渡る盛大なくしゃみをした。
あまりの音量に、周囲の人間までびくりと肩を震わせる。
男の視線が完全にこちらへ向いた。
よし。
子どもから注意が逸れた。
男が近づいてくる。
一歩。
また一歩。
空手家パパは肩を縮め、いかにも怯えた一般人らしい姿勢を取った。
――近づいてきたらチャンス。
そう考えながら、必死に怖がる演技をする。
完璧だ。
少なくとも、本人はそう思っていた。
しかし、男は途中で足を止めた。
「……あんた」
「は、はい?」
「怖がってる人間の立ち方じゃないな」
「…………」
見抜かれた。
――演技下手すぎる、私。
仕方ない。
ならば、別の方法だ。
空手家パパは胸元へ手を伸ばし、一枚のカードを取り出した。
魂カード《光》。
男の視線が動く。
「なっ!それは」
今だ。
「ひかりー!」
カードが輝いた。
次の瞬間、凄まじい閃光が銀行のロビーを包み込む。
「きゃあああっ!」
「うわっ!?」
人質たちの悲鳴が上がった。
男の顔だけを狙ったつもりだったのだが、光はロビー全体を真っ白に染めてしまったのである。
「しまった!」
空手家パパが声を上げた。
しかも、男はその光の中でも動いていた。
伸びてきた手が、空手家パパの手首を掴む。
「……やっぱりButlerか!」
「使えねーな! 呪いのカード!!」
思わず悪態が飛び出した。
だが、手首を掴まれたこと自体は、決して悪い状況ではなかった。
むしろ好都合だった。
空手家パパは相手の腕へ意識を向ける。
触れた瞬間に伝わってくる、身体の緊張と重心の位置。
腕力で投げる必要はない。
相手が立っている中心を、ほんのわずかに崩すだけでいい。
空手家パパは掴まれた腕を柔らかく動かし、男の身体を誘導した。
「とりあえず投げる!」
男の身体が宙を舞った。
ドンッ!!
背中から床へ叩きつけられ、そのまま押さえ込まれる。
拳銃が手から離れ、床を滑って遠くへ飛んでいった。
「よし!」
空手家パパは男の腕を押さえたまま、周囲を見回した。
子どもは無事だった。
ひとまず、それだけで十分だった。
ところが。
「……待て!」
押さえ込まれた男が、苦しそうに声を上げた。
「金なんか要らない! 地下に――俺の相棒がいる!」
「ん?」
空手家パパの動きが止まった。
「相棒?」
銀行強盗が金を要らないと言い出した。
しかも、相棒が地下にいるらしい。
何とも妙な話である。
だが、それ以上に気になる言葉があった。
「あと、Butlerってなにさ?」
男は呆れたように顔を上げた。
「……本当に何も知らないのか」
「はい!」
「魂カードを持ってる人間を、俺たちはButlerと呼んでた」
「へー!」
空手家パパは自分のカードを見た。
いつも勝手に光って、肝心なところで言うことを聞かない、あのカードである。
まさか、そんな名前がついていたとは。
男は地下へ続く扉を見つめた。
「相棒は白石ユキ。Butlerの成れの果てだ」
「成れの果て?」
「お前も見たほうがいい。三年前から、この銀行の地下にいる」
その言葉に、近くで聞いていた支店長が声を荒らげた。
「そんな人間は地下にはいません!」
「…………」
空手家パパは考えた。
どうやら、単なる銀行強盗ではないらしい。
もちろん、拳銃を持って人質を取ったことは許されない。
だが、少なくともこの男は、話の通じない相手ではなさそうだった。
「でもさ」
空手家パパは男を押さえたまま尋ねた。
「だったら、なんで銀行強盗なんてしてんの?」
男はしばらく黙っていた。
やがて、低い声で答える。
「……正面から何度頼んでも、ユキには会わせてもらえなかった」
「ふむ」
「だから銀行ごと押さえて、地下を開けさせるつもりだった」
「なるほど」
「納得するな!」
支店長の怒鳴り声が飛んできた。
空手家パパは少し考え、それから男の拘束を解いた。
「よし!」
「……何が、よし、だ?」
男が怪訝そうに顔を上げる。
空手家パパは支店長へ向き直った。
「支店長さん。ちょっとこの人と地下見に行ってくるから!」
「えっ!?」
「危ないことしそうなら取り押さえるから安心してね」
「安心できるわけないでしょう!」
もっともな反応だった。
しかし、空手家パパはすでに立ち上がっていた。
男も驚いたようにこちらを見ている。
「……あんた、相当変わってるな」
「よく言われます!」
「神崎レンだ」
男はそう名乗った。
「神崎さんね。よろしく!」
つい先ほどまで銀行強盗と人質だった二人が、なぜか自己紹介を交わしている。
神崎は立ち上がると、迷うことなく行員用通路へ向かった。
「こっちだ」
空手家パパもその後を追う。
「場所知ってんの?」
「三年前まで、ここにいたからな」
「へー! 元銀行員?」
「……違う」
神崎はそれ以上答えず、通路の奥へ進んだ。
やがて、普段は使われていないような非常用の認証盤の前で立ち止まる。
通常の銀行員なら、触れる必要もない場所だった。
神崎が慣れた手つきで操作すると、壁の一部から電子音が鳴った。
ピッ。
続いて、重い扉のロックが外れる。
「……まだ認証が残ってるとはな」
神崎が小さく呟いた。
空手家パパは感心したように頷く。
「おおー! 本当に詳しい!」
「……あんた、俺が逃げるとは思わないのか?」
「逃げたら追いかけるよ?」
「…………」
「でも、今は地下に行きたいんでしょ?」
神崎は一瞬だけ黙り、それから扉を開けた。
「……そうだな」
こうして、銀行強盗と人質だった男は、一緒に地下へ向かうことになった。
「神崎さん。俺はついてくだけで手助けしないからねー」
「……それでいい。邪魔もしないならな」
階段を下りるにつれ、周囲の雰囲気が変わっていった。
銀行らしい内装は消え、壁も床も無機質なものへ変わっていく。
監視カメラがいくつも設置され、天井には見慣れない装置が並んでいた。
そして、地下二階。
二人の前に、巨大な隔壁が現れた。
「……おお」
空手家パパは思わず声を漏らした。
銀行の地下とは思えない。
分厚い金属製の壁。
何重にも設置された認証装置。
そして、その先に待ち構えていたのは――。
「神崎……止まれ!」
防護装備を身につけた男たちだった。
一斉に武器が向けられる。
空手家パパは隣の神崎を見た。
「知り合い?」
「昔の職場の連中だよ」
「なるほどー!」
「……何も分かってないだろ」
「うん!」
そのとき、警備員たちの奥から、一人の男が現れた。
落ち着いた雰囲気の、スーツ姿の男だった。
「私は御影。この区画の責任者だ」
男は神崎を一瞥し、続いて空手家パパへ視線を向ける。
「……あなたは?」
「押忍! 空手家パパです!」
「…………」
御影はわずかに眉を動かした。
「どうして、ここに?」
「お金下ろしに来たら銀行強盗がいて、投げたら地下に相棒がいるって言うから、一緒に来ました!」
説明は簡潔だった。
しかし、内容はまったく簡潔ではなかった。
御影はしばらく沈黙した。
「……なるほど。事情は後で詳しく伺いましょう」
そして、巨大な隔壁へ視線を移す。
「表向きは銀行ですが、地下二階以下は超常対策局の管理区画です。銀行側の人間にも詳細は知らされていません」
「銀行の地下にそんなもん作るなよー」
空手家パパは素直に言った。
そのとき、御影の胸元にある紋章が目に入った。
どこかで見たことがある。
確か、あれは――。
「あれ?」
空手家パパは首を傾げた。
「なんか黒瀬さんと同じ紋章つけてない?」
御影の表情が変わった。
「……黒瀬を知っているのですか?」
「あ、はい」
空手家パパは普通に答えた。
「宇宙人の時に逃げて捕まって、家に連れ帰ってもらった仲です」
「…………」
御影が、何とも言えない顔になった。
「……そう、ですか」
どうやら黒瀬という名前には、多少の効果があったらしい。
もっとも、空手家パパ本人はまったく気にしていなかった。
「それで、御影さん!」
「はい」
「白石ユキさんって人、本当にここにいるの?」
神崎が一歩前へ出た。
御影はその顔を見つめ、静かに答えた。
「人が監禁されている、という意味なら違います」
「……どういうことだ」
神崎の声が低くなる。
御影は続けた。
「ただし、白石ユキに関係する“もの”を、ここで保管しています」
「“もの”って言うな」
神崎が吐き捨てるように言った。
その瞬間だった。
ブルッ。
空手家パパの胸元で、何かが震えた。
「……ん?」
魂カードだった。
《光》のカードが、小さく震えている。
空手家パパは胸元を押さえた。
「リュミさん」
肩のそばを飛んでいた小さな精霊が振り向く。
「なーに?」
「これ、何かいるかわかる? 化け物とか封印されてる感じ?」
リュミは隔壁をじっと見つめた。
いつもの笑顔が、少しずつ消えていく。
「んー……」
小さな羽が、ゆっくりと動いた。
「化け物って感じじゃないよ」
「ほう」
「でも……すっごく濃い魂の気配」
リュミは空手家パパの胸元を見た。
「空手家パパのカードと似てるけど……」
そこで、言葉を切る。
「ずっと、ずーっと強い」
「…………」
空手家パパは自分のカードを見下ろした。
御影が端末を操作し、一つの記録を表示する。
そこに記されていた名前は――。
白石ユキ。
三十二歳。
そして、その下に並ぶ記録。
《魂カード★12到達後、身体消失》
《現実側にカード状物のみ残存》
「…………」
空手家パパは、しばらく画面を見つめていた。
それから、自分の胸元へ視線を落とす。
手の中には、いつもの魂カード《光》。
「……うわっ!」
思わず声が出た。
「カードって、この呪いのカードでしょ!?」
リュミが慌てて飛び上がる。
「だから呪いのカードじゃないってばー!」
だが、御影は笑わなかった。
「彼女に何が起きたのか、私たちにも完全には分かっていません」
神崎も、黙って端末を見つめている。
空手家パパはもう一度、記録に目を戻した。
★12。
身体消失。
カード状物のみ残存。
その意味を、まだ理解できずにいた。
ただ一つだけ、分かったことがある。
自分がいつも持ち歩いているこのカードには、どうやら想像以上に厄介な秘密があるらしい。
「……リュミさん」
「な、なに?」
空手家パパはカードをつまみ上げた。
「これ、ほんとに大丈夫なやつ?」
リュミは答えなかった。
その沈黙が、何よりも不安だった。




