第九話 地球人の標準個体ではない
宇宙船の修理を引き受けた空手家パパだったが、問題は山積みだった。
ルルによれば、故障した推進系を直すには銅線、冷却材、絶縁素材、電気関係の部品が必要らしい。
もちろん、工具もいる。
「ところでルルさん、お金持ってますか?」
ルルはコートのポケットを探り、透明な薄片と謎の金属片を取り出した。
「これが私の社会での交換媒体です」
「地球では?」
「使用できないと思われます」
「ですねー」
つまり、無一文だった。
空手家パパは財布を取り出し、中身を確認してため息をついた。
「高くなければ私が払います……とほほ」
「ありがとうございます。このご厚意は記録します」
「いや、記録よりお金で返してくれると嬉しいかなー」
ルルは真剣な顔で頷いた。
「検討します」
「そこは即答してほしい!」
その横で、駐車場管理会社の大森が困ったように笑っていた。
ところが、さらに問題が見つかった。
「そういえば、工具は?」
空手家パパが尋ねると、ルルは少しだけ視線を逸らした。
「着陸時に外へ飛んでいきました」
「飛んでった?」
「はい。着陸時の衝撃で、船外へ放出されたと考えられます」
「それ、けっこう大事なものなんじゃ……」
ルルは頷いた。
「非常に重要です」
「重要なのに飛んでったの!?」
そのとき、大森が「あっ」と声を上げた。
「そういや、これが降りてきたとき……」
大森は駐車場の向こうに並ぶ住宅を指さした。
「ものすごい音がして、銀色の細長い物が一本、あっちに飛んでいったんですよ。たしか、あの方向だったと思います」
「それです」
ルルが即答した。
「たぶん私の工具です」
「たぶんなんだ……」
三人は揃って住宅の方を見上げた。
月明かりの下、二階建ての家の屋根に何かが光っている。
よく見ると、銀色の細長い棒が斜めに突き出していた。
「……刺さってますね」
大森が呟いた。
「刺さってますねぇ」
空手家パパも頷いた。
ルルは黙っていた。
まずは工具の回収である。
三人は問題の住宅へ向かい、インターホンを鳴らした。
しばらくして、寝間着姿の住人が怪訝そうな顔で出てきた。
「こんな時間に何ですか?」
「夜分遅くにすいません。ちょっと確認していただきたいものがありまして……」
空手家パパが屋根を指さすと、住人は不思議そうに外へ出てきた。
そして、自宅の屋根を見上げる。
月明かりの中、銀色の棒が見事に瓦へ突き刺さっていた。
「…………何あれ?」
「はい!」
空手家パパは即座に地面へ膝をついた。
「ルルさん、パパと一緒に土下座!」
「ドゲザ?」
「こう! 頭を下げて!」
ルルも見よう見まねで土下座した。
「リュミさん、あなたも!」
「えっ、わたしも!?」
「見えないところに誠意が出るからね!」
リュミまで空中から降り、ちょこんと正座した。
住人は完全に困惑していた。
空手家パパは事情をぼかしながら謝罪し、屋根に傷があれば後日きちんと修理すると約束した。
住人はしばらく三人を見つめていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……とにかく、あれを取ってもらえます?」
「押忍! 任せてください!」
許可をもらった空手家パパは、さっそく塀へ足をかけた。
軽く身体を沈め、次の瞬間には塀の上へ立っている。
そこから雨樋を避け、外壁のわずかな足場へ体重を乗せながら、するすると二階の屋根へ登っていった。
「……」
下から見上げていたルルが固まった。
瓦の上でも空手家パパの動きは止まらない。長年の稽古で身につけた身体操作を使い、足元を確かめながら重心を移していく。
やがて、銀色の工具が刺さっている場所まで辿り着いた。
ルルが小さく尋ねた。
「空手家パパ」
「はい?」
「地球の方は、みなこのように動けるのですか?」
リュミが即答した。
「たぶん、パパだけだよ……」
「いやいやいや!」
屋根の上から空手家パパが抗議する。
「変な人みたいに言わないで!」
「今の動き見て普通だと思う方がおかしいって!」
ルルは空手家パパとリュミを交互に見た。
「……理解しました。空手家パパは、地球人の標準個体ではない」
「その覚え方もやめて!」
住人はますます困惑していた。
空手家パパは工具の根元を掴み、瓦をこれ以上傷つけないよう慎重に引き抜いた。
その瞬間、銀色の表面に赤い文字が浮かび上がった。
「ん?」
「空手家パパ!」
ルルが突然叫んだ。
「それ、こちらへ投げないでください!」
「持ってればいいの?」
「はい! 絶対に投げないでください!」
「了解!」
空手家パパは工具を片手に、屋根の縁へ向かった。
そして、何のためらいもなく飛び降りた。
「ちょっとルルさん、なんとかして!」
「!?」
着地の直前に膝を曲げ、身体を沈めて衝撃を逃がす。
とん、と軽い音を立てて地面へ降り立った。
ルルはしばらく空手家パパを見つめていた。
「……先ほどの認識を訂正する必要はなさそうです」
「何の話!?」
リュミがけらけら笑っている。
空手家パパは工具をルルへ手渡した。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます」
ルルは慌てて工具を受け取り、表面の赤い表示を操作して消した。
「……回収信号です」
「おお!」
空手家パパは笑顔になった。
「仲間が助けてくれるんでない? よかったね!」
しかし、ルルは答えなかった。
さっきまで落ち着いていた表情が、明らかに強張っている。
空手家パパは首を傾げた。
「……ルルさん?」
「いえ。まずは船へ戻りましょう」
三人は住人にもう一度謝罪し、駐車場へ向かって歩き始めた。
夜の住宅街は静かだった。遠くで犬が吠え、街灯の下に三人の影が伸びている。
しばらく歩いたところで、ルルが工具をコートの奥へ隠した。
「……訂正があります」
「はい?」
「先ほど、あなたは仲間が助けに来るのではないかと言いましたね」
「言いましたねー」
ルルは足を止めた。
「この信号を受け取る者に、私は見つかりたくありません」
空手家パパも立ち止まる。
「ええー。訳あり?」
ルルは答えなかった。
コートの中で、工具が一度だけ赤く明滅した。




