7 No use in crying
明子は、口をはさむことはせず、ときおりグラスを傾けながらヨウジの話を聞いていた。
ヨウジの話が一段落したので、感想を言った。
「あんたが淡々と話すから、わりと何でもなく聞けるわ」
「もう、ずいぶん経ってるし」
「ユカリちゃんが冷たい、浮気なヤツでさ、あんたがボロボロに振られたっていうほうが簡単な話だったね」
「そうだったら、よかったですね」
「あたしも、変わった子だなあとは思ってたんだけど……それは、一緒に生活しないとわからないんだ」
「おれも、シスコに行くまでは、何日も一緒にいたことはなかったんで」
ヨウジは、ワインの残りを注いでいる。
「ひとつ、訊いていいかなあ」
「はい」
「あんたの話を最後まで聞いたら、あたしはあんたを嫌いになるのかな」
「たぶん、大丈夫だと思います」
「それではねえさんサヨウナラ、なんて言ってどっかに消えたり」
「ないです」
「じゃあいいや、また聞く、今日はもう寝よ」
ベッドに行った明子は、着ていたものをみんな取って素裸になった。
ふだんは部屋着や寝間着のままごろごろしているうちに、なんとなく眠りにつくことが多い。
ヨウジのことも同じ姿にしていったが、それは性的な誘いではなかった。
(今日は、言葉が多すぎた……なんか、触れていたい)
ふたりは、お互いの体温だけが頼りだというように腕や脚を絡めあった。
「あんた、仕方なくあたしのところに来た? いろんなことに疲れちゃって、おばさんでもいいやって」
「そんなことないよ、そういうのってねえさんにも、おれにも失礼でしょ」
「ほんとに?」
明子はゆっくりとからだを起こし、上になった。
ヨウジに覆い被さって、のどに歯を当てるようにした。
「ヨウジ」
ヨウジには、シュナイダーの話を聞いたことで納得できる部分はあった。
たしかに、ずっと引っ掛かっていたいくつかの疑問は解けた気がする。
(でも、それだけでこのまま、ハイわかりましたって日本には帰れない)
しばらく頑張ってみようと思った。
(自分にユカリのことは理解できないのか、おれたちが暮らしていける方法はないのか……)
ジロウたちに電話をして『GG』のことを頼んだのはその時だ。
観光ビザでもまだ滞在することはできたが、元気な時、ユカリが仕事のコネクションを使ってカレッジの聴講生の資格を取ってくれた。
そういう事務手続きは人並み以上にできるのだから、わからない。
カレッジには二・三回、形を整えるためだけに行った。
ずっと一緒にいることはユカリの負担になるとわかったので、ダウンタウンに部屋を借りた。
手持ちの金がそんなにあったわけではなく、近所の中華料理店で皿洗いや仕込みのアルバイトを見つけていた。
「アメリカでも同じことしてたんだ」
「ワーキングビザがなかったから、シェーカーを振るのはちょっとね」
週末になるとユカリたちのところへ行く。
子どもたちと遊んだり、みんなで食事をしたり、クルマに乗ったまま映画を観ることができるシアターインに行ったりした。
そうやって過ごしていけば、事態は好転すると思っていた。
ときどき病院に行って、シュナイダーと面談をした。
「シュナイダーさん、慣れっていうこともあるでしょう?」
「ヨウジさんの努力は、彼女にとってよい影響になっていると思いますよ」
「なんとかね、やってみて……」
「ただ、あまりネガティブなことは申し上げたくないのですが」
「なんでも言ってください」
ヨウジは、もうなんでも来いという心境になっていた。
「彼女が……普通の意味であなたの愛情に応えたり、結婚生活を営める状態になる可能性は、高くありません、それで頑張っていけますか?」
「そう言われても困りますけど」
仕事とはいえ核心を突くやつだなとヨウジは思った。
「なにか、治療の効果があがってくるとか、そういう話はないんですか」
「彼女の社会性を高めていくカリキュラムを組んで、他者の感情の反射に応えられるようにしていこうとしたことはあります」
「感情の……反射」
「しかし、それを進めていくことは困難でした。
人格と症状が分かちがたく結びついていますから、無理にカリキュラムを進めていくと人格自体が損なわれ、症状が悪化する可能性があるのです」
「悪化するって……どんな」
「いちがいには言えませんが、統合失調症へと進行して植物人間のような状態になってしまったり……」
植物人間。
その言葉がずっしりとこたえて、ヨウジの表情が暗くなった。
「いや、言い過ぎました、そういう可能性もなくはないということです」
(同じことじゃねえか、このゲルマン野郎……)
「そっとしておくしかないんですか、ほうっておいたほうが……」
「いまの段階では、そういうことです」
「……ひどいね」
ヨウジの感情の糸が、切れた。
「それじゃあ何も聞かなかったほうがよかったよ。
ワガママで風変わりなやつだけど仕方ねえなって、そう思わせておいてくれたほうが。
あんた、なに考えてんだよ」
「申し訳ありません。あなたは充分に理性的だと、私はそう判断したのです。
彼女の症状を理解していたほうがいいと」
(そんな理性なんて、いらねえよ)
ヨウジは顔を伏せた。
涙が流れ出して、止まらなくなった。
「あなたは強い意思を持った方だと、私はいまでもそう思っていますよ」
シュナイダーが両手で包むようにして、ヨウジの片方の手をとった。
身長190センチはゆうに超えているドイツ系アメリカ人に手を握られながら、ヨウジは涙を流しつづけた。
“No Use In Crying(泣いても無駄)” LP ”Tatoo You” The Rolling Stones 1981




