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4 Touch me in the morning

「それで、なんて返事したの……お前の下でシェーカーは振れない、とか」

 『マーサ』のカウンターで、明子が質問する。

「まさか」

 ヨウジは苦笑いして、マティーニを口に運んだ。

「昔のハードボイルド映画じゃないんですから……うん、よくできてるよ、これ」

「ヨウジさんに教わった通りですよ」

 コウは声は出さず、小さく口元だけで笑う。

 以前にはなかった表情で、明子に似てきたのかもしれない。


「今日は、ペンギンの服じゃないんだね」

 コウは、バーテンダーの正装をそう呼んでいた。

 いまの彼女は、銀白色のブラウスに黒のパンツ姿だ。

『マーサ』の照明はいわゆるブラックライトではないのだが、彼女の上半身はときどき青く光って見える。

『レディー・ドラゴン』に行ってから四日が経ち、仕事の帰りにこちらへ寄った。


「靴の仕事もそういい加減にはやってないし、すぐにはね。

 サキちゃんがいよいよ大変だってなったら、手伝わせてもらうこともあるかな」

「ふーん……親切っていうのかな」

「そんな立場じゃないですけど」


「でも、やっぱりいい加減じゃないの、ヨウジくん」

 明子の言葉を聞いたコウが、目を大きく見開いた。

「もっと、自分がどうしたいとかってないの」

 それはこのあいだヨウジが明子に()いた、そのままだ。

 彼女の言った通り、わずかでも日にちをおいた今日は生臭いものはまるでないつもりだが、そういう悪戯(いたずら)を仕掛けてくる。

 ノースリーブの肩からすらりと伸びた腕、いつものように指先に軽く煙草をぶら下げている。

 楽しそうに目が笑っていて、けっこう打ち解けたんだなとヨウジは思った。


「まあ、たしかにまだふらついてますね」

「カリフォルニアで極悪非道な女に毒を盛られたから?」

「それ、止めてくださいって」

 コウは目を伏せてグラスを磨いている。どこで笑っていいのか、わからない。


「コウちゃんには、悪いことしたな」

「そんな……あたしはただのバイトだったし、ヨウジさんもこうやって少しは元気になったみたいだから」

「面目ないっていうか」

 明子が口をはさむ。

「そうだよ、ヨレヨレになり過ぎだよ、あんた、たかが男と女のことで」

 ヨウジは黙って明子の顔を少し見てから、コウに向かって続けた。

「そればっかりでもないんだけどね」

「あたし、向こうで映画みたいにバーテンダーをしてるのかと思ってました」

「そういう映画、あったよね……シェーカーひとつでアメリカを渡り歩いて? そんなにうまくはいかないね」


 二週間のつもりが、五か月半、渡米していた。

『GG』を閉めたままにしておけないので、店の権利を持っていた人、ジロウ、明子に電話をして、いろいろと整理してもらった。

 なかなか店を任せられる人間がいなかったので、ジロウに話がいった。

 ジロウはまだ自分とサキの店を出す計画の途中だったが、事情が事情なので条件をかなり甘くしてもらって、決断した。

『自分たちだけじゃいつになるかわからなかったんで、いいきっかけだったんですよ、一気に結婚する気にもなったし』

 ジロウはそう言ってくれた。


「ヘラヘラしてたジロウが、おとうさんだもんなあ」

「あんたひとりだけだよ、置いてかれたのは」

「それはあたしもだけど、なんてね……ママさん、今日はキツイですよぉ」

「いいんだよ、この人はこれくらい言われたほうが。

 コウちゃんも飲みなさい、今日はもうほかにお客こないから」

 明子はふだん、客と一緒になって飲むかたちでは仕事していない。

 今晩に限っては、ショットグラスと氷水を手元においている。

 スコッチ・アンド・ウォーター、英国流だ。

 コウは明子に言われて、自分の飲み物をつくった。

 いつも飲んでいたレモンハートのソーダ割りだ。

「おれはギムレットにしてもらおうかな」

「やっぱり、ハードボイルドじゃないの」



 カクテルというのは、飲み方は自由だが、本来は二杯か三杯で止めておくべきだろう。

 マティーニやギムレットを五杯、十杯と飲んでいてはいけないかもしれない。

 夢の中に『GG』のマスターが出てきていた。


 ……ヨウジ、おねえちゃんたちに囲まれてんのもいいけどよ、仕事はしゃんとしろよ。

 何も飲み屋のオヤジで一生終われとはいわねえ、もっとデカイことしたっていいんだぞ。

 おめえ、少しはいい顔になってきたんじゃねえか?

 もうちょっと明子さんに可愛がってもらえ、あれはいい女だよ。

 おれはやってねえって、本当だからな……。



 目が覚めた。

 明子の家に来てしまったようだ。

 彼女はヨウジの脇の下で、丸くなって温まっている。

「明子さん」

 肩をさすってみるが、起きない。

「ねえさん」

 浅草あたりで女性同士が歩いていて、目上の女性をそう呼んでいることがある。

 その口調が耳に残っていて、なにか好きだったので、そう言ってみた。

「誰が、ねえさんだ」

 明子はずりずりと上にのぼってきて、唇でヨウジの口をふさいだ。


「おれ、仕事に行かなきゃ」

「休みなさい」

「おれがそういうのしないの、知ってるでしょ」

「たまには義理を欠きなさいよ、あんたはあたしたちにおっきな義理を欠いたんだから」

 それはそうだが、そこまではっきり明子が言うのは珍しい。

 ヨウジは、靴屋の仕事を休むことにした。

 そう決めたら気が楽になって、胸の上に乗った明子の背中を抱いた。


「おれとコウちゃんをくっつける予定じゃなかったんですか」

「そうしたかったの?」

「できるわけないじゃないですか」

「本当にそんなことしたら、八つ裂きだよ」

 八つ裂き。

「このあいだ言ってたのとは、ずいぶん違うじゃないすか」

「教えてあげるよ」

 明子は、まだ酔いが抜けていないのかもしれない。

「女ってのはね、ワガママじゃなきゃ、生きてる値打ちがないんだよ」

 なんだかわからないが、すごい、素晴らしい人かもしれないとヨウジは思った。

「あんたは、あたしがいじめてあげるから」

 そう言いながらくたくたと力が抜けた彼女は、また眠りに入っていく。

 ヨウジも。


「カリフォルニアで極悪非道な女に……」

『ソルト』から読まれている方は「それはサンジのエピだったのでは」と思われるでしょう

あの物語では話が煩雑になるので「災厄の男」に引き受けてもらっていたのでした



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