第26話 南の森の不協和音
聖都アステミアの朝は、壮厳な鐘の音と共に幕を開ける。
サミエル大司教は今日から数日間に及ぶ「枢機卿会議」のため、厳格な法衣に身を包んで奥の院へと消えていった。
リオラもまた大教会の図書館での書写研修があるため、後ろ髪を引かれる思いでラオの頬をムニムニと捏ね回してから、神官たちに連れられていった。
「……ぬう。……ようやく、あの『小ヌルい干渉』から解放されたか」
ラオは大教会の広大な中庭で一人、伸びをした。
黒髪が朝日に透け、その優美な少年の姿の佇まいは、周囲の神学生たちとは一線を画していた。
「――っしょ! だからあの『大牙猪』の突進は、横に避けるんじゃなくて斜め前に踏み込むのが正解だっしょ!」
聞き覚えのある、品のない(しかし活気のある)声が回廊の窓から聞こえてきた。
ラオが窓から視線を向けるとそこにはベッキーと、彼女を取り囲む見慣れない三人の男女が大教会の中庭の片隅で談笑していた。
「ハハッ、相変わらず無茶言うなよベッキー。あんな巨体相手に前に出るのは、お前みたいな狂犬だけだぜ」
背中に身の丈ほどもある無骨な大剣を背負った、ガタイの良い男が笑う。
その隣には腰に片手剣と最新式のボウガンを巧みに装着した小柄な男。そして魔導回路が刻まれた優美な魔導銃を弄ぶ、クールな雰囲気の女性。
装備の使い込み具合からして、一線級の『魔物狩人』であることは一目で分かった。
「……ぬ。ベッキー、貴様また不逞の輩とつるんでいるのか。……創造神の庭で武器をガチャつかせるとは、礼儀を知らぬ種族だな」
「あ、ラオ君っしょ! こいつらは私の昔からの腐れ縁っしょ。アステミアの南にある『大森林』で魔物狩りをしてるパーティーっしょ!」
ベッキーが紹介すると、大剣の男が快活に手を挙げた。
「俺はバルド。こっちはカイルとミラだ。……へぇ、あんたがベッキーの言ってた『生意気な黒髪君』か。確かに体は小っせえが目つきの鋭さはなかなかだな」
「フン……我を貴様らのような、獣の毛を剥いで食い繋ぐ者と並べるな。……それより、なぜこれほど武装した者が大教会いるのだ。……ゴルドアンの加護とやらは、獣一匹追い払えぬほど小ヌルいのか?」
ラオの毒吐きに、ボウガン使いのカイルが苦笑いしながら答える。
「別に大した事じゃねえよ。ここ数週間、南の大森林で魔物の数が異常に増えてやがってよ。普段は奥地にいるはずの凶暴な魔物まで何かに追い出されるみたいに森の出口近くまで降りてきてるんだ。おかげで今、稼げる狩り場が出来たってんで、俺たちみたいなハンターが王国中から集まって来てんだよ」
「……魔物の増殖、だと?」
ラオの眉が、わずかに動いた。
魔導銃使いのミラが冷淡に言葉を継ぐ。
「不気味よね。……まるで森の最奥に『毒』でも流し込まれたみたい……ね」
◇◇
バルドたちが「じゃあ一稼ぎしてくるわ!」と賑やかに去っていった後、ラオは一人、大教会の見晴らしの良い尖塔の影へと移動した。
(……魔物の増殖……人の手の届かぬ大森林の奥……小ヌルい偶然とは思えぬな)
ラオはその銀色の瞳を南の空へと向けた。
かつて数え切れぬ数の世界を掃除してきた破壊神にとって、世界の『腐敗』の兆候を察知するのは本能に近い。
「……フン。練習がてら、この世界の澱みを覗いてやるとしようか」
ラオは指先を胸の前で軽く交差させた。
彼の意識が肉体という殻を透過し、概念の波動となって南へと飛翔する。
アステミア王都の街並みを抜け、豊かな平原を越え、その先にある、深く、暗い「大森林」へと。
(――見えよ。……我が視界を拒む、不純なる理を。……因果の糸を辿り、根源を照らせ)
視界が急速に加速し、森の木々が緑の奔流となって流れていく。
森の表層には、魔物たちが右往左往するノイズに満ちていた。だがさらにその奥。光さえ届かぬ大森林の最深部、未踏の領域とも呼ばれる場所へ触れた瞬間――。
「…………ぬっ!?」
ラオの精神体に、ねっとりとした不快な感触がまとわりついた。
それは生ぬるいヘドロのような、あるいは腐り落ちた神の死体から立ち上るような、濃密な『瘴気の塊』。
それは単なる魔力の乱れではない。
この世界の理を侵食し、新たな「負の秩序」を構築しようとする異質な意志。
(……何だ、この澱みは。……ゴルドアンの奴、世界を創るだけ創っておいて、これほどの膿を放置していたのか……あるいは、外側から何かが……)
さらに深くその瘴気の核心を暴こうとした瞬間、ラオの眉間に鋭い痛みが走った。
パリン、と。
少年の姿を維持するために幾重にもかけられた『制限』が、過剰な権能の使用に悲鳴を上げたのだ。
「……チッ。……ここまで、か」
精神の糸が切れ、視界が大教会の尖塔へと引き戻される。
ラオは壁に手をつき、荒い息を吐いた。額には薄っすらと汗が滲んでいる。
「……小ヌルい制限め。……我が本来の体であれば、視線一つでその瘴気ごと森を消し飛ばしてやったものを」
だが見えたものは確かだった。
大森林の奥底で、何かが胎動している。
それはまだ、孵化を待つ卵のような状態だが、ひとたび殻を破れば聖都アステミアの「小ヌルい日常」など一瞬で飲み込むほどの災厄となるだろう。
「フン。面白い……。我がこの体でも破壊を司る神であるということを示してやろうではないか」
ラオは南の森を睨みつけ、忌々しげに鼻を鳴らした。
彼の瞳の奥で、破壊の衝動が静かに、だが確実に再燃し始めていた。
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