第25話 大教会の密談
大聖教会の最深部、白銀の扉に閉ざされた「真理の間」。
そこには王国の全権を握る教皇イノケンティウスと数名の枢機卿、そしてサミエル大司教だけが集まっていた。
先ほどまでの洗礼式の華やかさは微塵もなく、ただ重苦しい沈黙だけがそこにあった。
その沈黙を破ったのは教皇イノケンティウス。対面に座るサミエル大司教に静かに問い掛ける。
「……サミエル大司教。改めて問う。あの少年……ラオは何者だ」
教皇の低い声が響く。
洗礼の際、自分の指先から流れ出た聖なる力が少年の魂という名の「無限の深淵」に吸い込まれ、消滅したような感覚。
その未知の感覚は未だ教皇の指先に残っている。
「猊下。……正直に申し上げましょう。私にも彼の正体のすべては分かりかねます。分かっているのはただ一つ……」
サミエルは静かに目を閉じ、あの黄昏の教会で亡き二人の息子と鏡越しに再会した「奇跡」を思い起こした。
「彼は、この世界の理の外側に立つ存在です。下手に刺激し、彼の『機嫌』を損ねれば、アステミア王国はおろか、この世界の理そのものが一瞬で粉砕され、塵に帰すのではないか……。彼にとっては我々の信仰も、国家の権威も、足元の蟻が積み上げた砂山に過ぎないのではないか、と考えております」
枢機卿たちが息を呑む。「不敬だ!」と叫ぼうとした一人の老枢機卿も、サミエルの眼光に宿る真剣な「危惧」を見て言葉を失った。
「御せるのか、サミエル。あの異物を……」
「いいえ。……制するのではなく、静観するのです。彼が『今の日常』を望んでいるうちは、我々は最高の観客であればいい。……彼が望む肉を供し、彼が望む静寂を守る。今はまだそれだけで十分だと考えております」
教皇は深く、長く溜息をついた。
「……相分かった。サミエルよ。お主の言うようあの少年については静観するとしよう。ただ彼を貴卿の目の届く所に置き、貴卿が責任を持って監視し続けるのだぞ」
「……承知致しました」
深く頭を下げるサミエルは、あの異物をまず御するといった思考に持っていた教皇に対して、誰にも気付かれないよう小さなため息をついた。
◇◇
その夜。大教会の宿舎は夜警の騎士たちが巡回する静寂の中にあった。
ラオは自室の窓辺で月を眺めていたが、階下の庭で不自然に動く「影」に気づいた。
「……ぬ。……あの歩き方。重心が右に寄り、語尾が漏れ出そうなほど浮き足立っているな」
ラオは音もなく窓から飛び降り、影の背後に立った。
そこには修道服の上に目立たないようショールを羽織り、コソコソと裏門へ向かうベッキーの姿があった。
「……どこへ行く、破戒僧」
「ひゃああああっしょ!?」
ベッキーが飛び上がって振り返る。
「……なーんだ、ラオ君っしょ。心臓が口から『っしょ』って出るかと思ったっしょ……。見ての通り、私はこれから聖なる夜間巡回(夜遊び)に行くところっしょ!」
「……あの踊り子たちと会うつもりか」
「バレたら仕方ないっしょ! 開き直るっしょ! ラオ君も一緒に来るっしょ? 美味しい料理もあるから絶対に気に入るっしよ!」
「フン……。供物か。不味い肉だったらお前をサミエルの前に突き出すからな、破戒僧」
「だ、大丈夫っしょ!」
ベッキーは強引にラオの腕を引き、夜の街へと連れ出した。
行き先は下町の路地裏にある酒場『酔いどれ亭』。
扉を開けると昼間に出会った踊り子一座が、既に樽ワインを囲んで騒いでいた。
「あーっ! ベッキー、本当に連れてきたのね! 例の『黒髪美ショタ君』!」
アンジェラたちが、ラオを見るなり色めき立った。
「ちょっとベッキー、『大司教の客人だから連れ出すのは無理』って断ってたじゃない! こんなに可愛い子が夜の街にいたら、狼に食べられちゃうわよ!」
「……フン。狼など、我の視線一つで毛皮の敷物に変えてやる。……それより、ベッキー。この女たちは何を騒いでいるのだ。……肉はどこだ。我を呼ぶからには、それ相応の供物があるのだろうな?」
ラオはすかさず両隣に座った布面積低めの踊り子達には全く目を向けず、テーブルに広げられた山盛りの肉皿の方に目を向ける。
普通の男なら美女に囲まれているこの状況は鼻の下を伸ばすか、緊張で固まる場面だ。だがラオは彼女たちを「動く肉の塊」程度にしか認識していない。
「キャーッ! 見て、今の冷たい目! 『お前ら、我の前に立つな』って言ってるみたい! ゾクゾクするっしょー!」
「っしょ、を真似しないでっしょ! でも、このツンとした感じ、マジでたまらないっしょ!」
「…………ぬ? なぜ笑う。なぜ喜ぶ。……貴様ら、狂ったか? 我は今、最大限の不快感を表明しているのだぞ」
ラオが眉を顰めれば顰めるほど、踊り子たちは「もっと冷たくして!」「そのゴミを見るような目が最高!」と、理解不能な盛り上がりを見せた。
「……小ヌルい。……人類の感性とは、これほどまでに劣化していたのか。……ベッキー、貴様の知り合いはどいつもこいつも、魔力回路が逆流しているのではないか?」
「ぎゃはは! これが王都の女性のたくましさっしょ! ラオ君、諦めて可愛がられるっしょ!」
ベッキーが笑いながらエールを煽る横で、ラオは次々と差し出される肉を、不機嫌な顔のまま無言で咀嚼し続けた。
教会の首脳陣が震え上がらせた事実と、酔っ払った踊り子たちに「ツンな美ショタ」として愛でられるという締めくくりで、何とも温度差の激しい一日となった。
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