第24話 泥まみれの令嬢と不器用な軍人
聖都でラオが教皇を戦慄させていた頃。
王都の喧騒から遠く離れた辺境セステアの丘では、別の意味で「戦い」の火蓋が切って落とされていた。
「――背筋を伸ばせッ! 腰が高いぞ! 自分の身は自分で守るのが鉄則だ!」
夜明け前の薄暗い教会の庭。グリハンの野太い号令が響き渡る。
目の前ではルルやニーナたち孤児たちが、泥だらけになって懸命に匍匐前進を繰り返していた。
リオラがいれば「子供たちに何をさせてるの!」と悲鳴を上げそうな光景だが、休暇中のグリハンにとって、家事と「教育」は同義であった。
「グリハン様ぁーっ! お待たせいたしましたわッ!」
朝日が昇ると同時に教会の門を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは、パンペルムース伯爵家の令嬢シャルロッテであった。
彼女は今日も今日とて、三回転半増量の縦ロールを揺らし、フリルたっぷりのドレスの裾を豪快に持ち上げて走ってくる。
背後の従者たちは大量の高級食材を抱えて息を切らしていた。
「シャルロッテ様。……早すぎます。まだ子供たちの訓練の時間なので……」
「あら、軍人の朝は早いと伺いましたわ! さあ、今日もグリハン様のお手伝い(という名の共同作業)をさせていただきますわよ! まずはこの最高級のイノシシ肉で、スタミナ抜群の朝食を……!」
「いえ、今朝は子供たちの自衛訓練が先です。すみませんが、これが終わるまで少しお待ちいただけますか?」
グリハンは呆れたように溜息をついた。
彼はシャルロッテが自分に向ける真っ直ぐすぎる、あまりにも純粋な恋心に気づいていないわけではなかった。
むしろその熱量に圧倒され、たじろいでいるのが本音だ。
◇◇◇
訓練も終わり、庭の隅の井戸水で泥を落とす子供たちを眺めながら、グリハンは隣に座るシャルロッテへ、意を決して言葉を投げかけた。
「……シャルロッテ様。貴女はいつまでこんなこんな僕に付き合うおつもりですか?」
「えっ? いつまでもに決まっていますわ。私がグリハン様を……その、お支えすると決めたのですから」
「……現実を見てください。私は親の顔も知らない戦争孤児で、家柄も定かではないただの軍人です。貴女はアステミア王国の歴史ある伯爵家の令嬢だ。住む世界が……文字通り違いすぎる」
グリハンの声は、低く、重かった。
彼にとってこの「身分差」は努力で埋まるものではない。
今は王国軍でアイゼン砦の英雄として持て囃されていてもそれは殊勲であって、それによって彼の出自が変わるものではない。
「いずれ貴女も現実に気づく時が来る。その時こんな辺境の教会に通い詰めたことを後悔してほしくない。……私には男として貴女の人生を背負う資格はないんです」
「…………」
シャルロッテの扇子が、パタリと止まった。
彼女の大きな瞳に一瞬だけ深い虚しさが宿る。グリハンの言葉は彼女がこれまで意識的に見ないようにしていた『壁』を、無慈悲に突きつけるものだった。
「……そうですわね。……失礼いたしましたわ。少しはしゃぎすぎていたかも……しれませんわ」
シャルロッテは力なく微笑むと泥のついたドレスを翻し、その日は早々に馬車へと乗り込んで去っていった。
◇◇◇
翌朝。
グリハンは昨日の自分の言葉が少し厳しすぎたかと、珍しく後悔の念に駆られながら庭に立っていた。
(……これでいいんだ。彼女にはもっと相応しい相手がいるはずだ)
そう自分に言い聞かせた、その時。
「――おーっほっほっほ! グリハン様、おはようございますわッ!!」
昨日よりもさらにデカい声。
門をくぐってきたシャルロッテを見て、グリハンは目を剥いた。
彼女は、最高級のシルクドレスを脱ぎ捨て、どこから調達したのか、動きやすさ重視の「特注の訓練着(ただしピンク色でフリル付き)」に身を包んでいた。
「……シャルロッテ……様? 昨日の話は……」
「寝て起きたら忘れましたわ! 身分? 資格? そんな小さな理屈、私の恋心の出力の前では塵も同然ですわ! グリハン様が私の人生を背負えないというなら、私がグリハン様を背負い投げしてでも連れて行きますわよ!」
「なっ……!?」
「さあ! グリハン様の『訓練』とやら、私にもやらせて下さいまし! パンペルムース家の女の底力と覚悟、とくとお見せいたしますわ!」
シャルロッテはそう叫ぶなり、子供たちと一緒に地面に這いつくばった。
「見てなさいラオ! あぁ……あの子は今はいないんだったわね! ルル、ニーナ! お姉様に負けないようについてきなさいっ!」
「シャルロッテお姉ちゃん、泥だらけだよー!」
「いいんですのよ! 泥は美肌のパックだと思えばいいんですわ!」
高笑いしながら泥にまみれて子供たちと一緒に匍匐前進をし、木刀を振り回す令嬢。
その姿はお世辞にも優雅とは言えなかった。縦ロールは解け、顔には黒い土がつき、自慢の髪はボロボロだ。
だが子供たちの笑い声に混じって、必死に食らいついてくる彼女の真っ直ぐな瞳。
それを見た瞬間グリハンの胸の奥で、ぐっと熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「……ふっ。……全くだ。理屈が通じないのは、あの黒髪の生意気なガキと同じか」
グリハンの口元に温かい笑みが浮かぶ。
彼はシャルロッテの元へ歩み寄ると、大きな手で彼女の頭についた枯葉を優しく払った。
「腰が高いですよ、シャルロッテ様。……そんな姿勢では簡単に相手に倒されてしまいます」
「……っ! はいっ! 喜んで、教官閣下ッ!!」
花開くような笑顔を輝かせるシャルロッテ。
辺境セステアの朝。身分差という「小ヌルい壁」を、恋の出力で粉砕した令嬢の奮闘は、今日も賑やかに続いていくのであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
凄く励みになりますので、面白いとか、続きが気になるとか思った方はぜひブックマーク、★評価をお願いします。




