保存された写真
夫は、古い段ボールを押し入れの奥に戻した。
凛が外出している間だった。
彼は普段、彼女の物に触れない。触れないようにしている。だがその日だけは、どうしても確認したいことがあった。
アルバムの背表紙に、薄く埃が積もっている。
ページをめくる。
兄の写真。
崖の上で笑っている少年。
少し離れて立つ、幼い凛。
その次のページ。
本来なら、事故の後の写真があるはずだった。
だが、そこは空白だった。
ビニールのポケットだけが残っている。
写真は、抜き取られている。
彼はそれを知っていた。
抜いたのは自分ではない。
凛でもない。
義母だ。
義母が亡くなる前、病室で言った。
「あの写真は、見せないで」
何の写真か、彼は聞かなかった。
聞かないほうがいいと思った。
だが一度だけ、彼は見てしまったことがある。
まだ結婚する前、凛の実家で。
机の上に置かれていた写真。
崖の下。
救急隊員。
白いシート。
そして――
凛の手。
血はついていなかった。
だが、泥がついていた。
爪の間まで、深く。
彼女はそれを、何度もこすっていた。
あの夜と同じように。
彼はアルバムを閉じる。
写真は、いま彼の机の引き出しにある。
処分することもできた。
だが、できなかった。
証拠だからではない。
記憶が壊れたとき、形だけでも残るものが必要だと思ったからだ。
凛は、自分の記憶を信じすぎる。
そして、信じなさすぎる。
どちらに転んでも、危うい。
夜、凛が帰宅する。
「今日ね、やっぱりおかしいの」
彼は頷く。
「何が?」
「郵便局の人、絶対いたの」
彼は少し考える。
そして言う。
「……写真、ある?」
凛は首を振る。
彼は微笑む。
優しく。
「じゃあ、思い違いかもしれないね」
彼は嘘をついている。
写真はある。
ただし、郵便局員ではない。
崖の下の写真。
彼はそれを、凛に見せない。
見せれば壊れる。
見せなければ、ゆっくり壊れる。
どちらが正しいのか、彼にはわからない。




