中編
結衣が何気なく口にした“ストーカー”という言葉が、美咲の胸に刺さった。
夫の大輝にさえ話していなかったが、美咲はストーカーに付きまとわれた経験があった。
高校生のとき、コンビニでアルバイトを始めた。
最初に指導してくれたのは、役者志望だというアルバイトの男性だった。
「まだまだ修行中なんだよね」
爽やかな笑顔に、美咲の心は少しだけときめいた。
「夢を追いかけてるんですね。ステキです」
社交辞令のつもりだった。
だが、彼は顔を輝かせると美咲の両手を握りしめ、大げさなほど上下に振り動かした。
「応援してくれるんだ。ありがとう!」
目が、笑っていないような気がした。
かっこいいと、一瞬でも思った自分が信じられなかった。
それから、美咲がシフトに入るときには、必ず彼がいた。
客が来ても、彼の視線はいつも美咲に注がれていた。
美咲がレジ対応をしているとき、彼が真後ろを通った。
首筋に息がかかった。
「髪、いい匂いだね」
美咲はギョッとして振り返った。
左の口角が上がり、瞳がギラギラとしていた。
「肌も白いし、お姫様みたいだね」
美咲はレジが終わった瞬間に売り場へ出ると、陳列棚の整理を始めた。
狭いバックスペースで二人きりになりたくなかった。
美咲は彼のシフトを確認すると、重ならないよう気を付けて予定を組んだ。
ある日、スマホにショートメールが届いた。
「ボクのお姫様。次も同じシフトで入ろうね」
目を疑った。
(どうして私の電話番号を知っているの……)
背筋がゾッとした。
すぐさま美咲はアルバイトを辞めた。
だが、届くメールは日を追うごとに増えた。
「どうして辞めちゃったの? お姫様に会えなくて寂しい」
「ボクを応援してくれてるんだよね」
「ボクの公演を見に来ない?」
着信拒否した。
「ねぇねぇ、イケメンが美咲を探してたわよ。彼氏?」
放課後、クラスメイトがクスクスと笑いながら美咲の肩を叩き、窓の外を指差した。
校門の方を見ると、誰かれなく話しかけている人影が見えた。
シルエットと動きだけでわかった。
彼だった。
「お姫様、迎えに来たよ。出ておいでよ」
見知らぬ番号から、ショートメールが届いた。
美咲は頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配するクラスメイトの声も聞こえなかった。
美咲はガタガタと震えながら、母親に電話を掛けた。
「お、お母さん。お願い。迎えに来て」
驚いた母親は仕事を早退し、タクシーで学校まで迎えにきてくれた。
翌日から、美咲は部屋に閉じこもった。
怖くて、ベッドから一歩も出たくなかった。
スマホの電源も切ったままだった。
心配した両親に根掘り葉掘り聞かれ、美咲は涙ながらに経緯を話した。
怒った父親はアルバイト先の店長を問い詰めた。
美咲の電話番号を彼に伝えたのは店長だった。
父親は彼の住所を聞き出すと、怒鳴りこんだ。
「娘に付きまとうな!」
だが、その翌朝、父親が出勤しようと家を出ると、門の前に彼が立っていた。
「け、警察を呼ぶぞ!」
父親の怒号に、美咲は思わずカーテンを開けた。
家を見上げていた彼と、目が合った。
彼はニヤリと薄ら笑いを残し、その場を立ち去っていった。
それからも美咲は家を出ることができなかった。
布団をかぶっていても、彼に見られているような気がした。
食事も喉を通らず、体重が激減した。
その生活が終わったのは、母親が小さなニュース記事を見つけたからだ。
“アパートで変死”
父親が訪ねた町と、彼の名前が載っていた。
もう大丈夫だと、安堵した。
二か月ぶりにスマホの電源を入れた。
「いやぁぁぁぁ」
美咲はスマホを壁に投げつけた。
彼から、数えきれないほどのメールが届いていた。
「ボクのお姫様」
「愛してる」
「いつまでも、どこまでも一緒」
「ママ、どうしたの?」
陽翔が指先をギュッと掴んだ。
美咲は無意識にその手を振り払った。
「ママ……?」
陽翔の目が悲し気に曇る。
「どうしたの? 顔色が悪いわ」
結衣も心配そうな声を掛ける。
美咲はハッとした。
「な、なんでもないわ。急に立ちあがったからかな」
陽翔の手を取ろうとして、一瞬ためらう。
首筋に吹きかけられた生温かい息が、まざまざとよみがえる。
(もう十年以上も前のことじゃない。この子とは関係ない……)
美咲はごくりと唾を飲み込むと、陽翔の手を取った。
「一緒に、行こ?」
ニッコリするその口元が、左に歪んでいるように見えた。




