第18話 好きな人と住んでいます
二日後の朝、俺は木片を持ってラウラさんの修理場へ行った。ルーネさんからもらった、風見の羽根の端材だ。
仕事の時間より早く来たので、彼女はまだ工具棚を整えていた。
「これ、少し削りたいんですが。道具を借りてもいいですか」
木片を見せると、ラウラさんは指で裏と表を撫でた。
「何にする」
「小さな飾りです。家に掛けるような」
「風に出すのか」
「外にも出せたらと思っています」
「なら、そのままの向きで細く切るな。割れるぞ」
木目を指して、切ってよい方向を見せてくれた。俺が紙に描いてきた形は、くちばしの先が細すぎる。少し丸くし、羽の間の切れ目も浅くする。
作りたいのは、ツバメだった。家の名前を知った時から、いつか何かに使いたかった。もっともその頃は、ミルカへ渡すためとは決めていなかった。
「大きい鳥じゃないんだな」
「このくらいで」
俺が指で幅を示すと、ラウラさんは工具を二つ出した。
「途中で仕事が始まったら片づけろ。仕上げは急がなくていい」
「はい」
許された時間で輪郭を切り、仕事の後に、縁を滑らかにした。父ならもっときれいに作るだろう。俺が作れるのは、手に持って痛くない、小さな木の鳥だ。
紐を通す穴を開けてもらい、細い紺の紐を買った。ここで何もかも完成した気になってしまうと、肝心のことを言えない。俺は鳥を紙へ包み、家へ持ち帰った。
ミルカは、北へ行く時の食料を紙へ書いていた。まだ出発日は決めないが、町と町の間で何日か泊まるので、保存の利くものを考えている。
「今日、遅かったね」
「仕事の後に、少し作ってた」
「何を?」
聞かれるのは当然だった。俺は包みを隠さず、食卓へ置いた。
「渡したい物がある。その前に、話してもいい?」
ミルカの鉛筆が止まった。
「帰る話?」
「帰る話とも、つながるけど。その前に、君に話したかったこと」
彼女は紙を横へ寄せ、鉛筆を置いた。俺が座るのを待ったので、いつもの右隣の椅子を引く。目を見て話すには向かいの方がいいのか、一瞬迷った。けれどここで何度も話してきたので、今さら席を変えなかった。
「俺、君が好きだ」
最初の言葉は、思っていたより短く出た。短すぎて、そのあと何を足せばいいのか分からなくなる。
ミルカは俺を見ていた。目が少し大きくなり、息を吸う音が聞こえる。
「助けてもらったから、だけじゃなくて。ここで一緒に食べたり、知らない町へ行ったり、君が何を好きなのか聞いたりするのが、嬉しい。家へ帰りたいけど、それで君とのことを終わりにしたくない」
ミルカの手が、卓の上で重なった。俺は続けた。
「帰る前だから、今、言わなきゃと思ったのはある。でも、帰れなくなったから好きって言うんじゃない。帰り方ができたら、その上で君の所へ戻りたい」
そこまで言うと、俺の喉が乾いていた。
「恋人になってほしい」
ミルカは重ねた指をほどいた。俺の手へ伸ばしかけて、途中で止める。
「私も、言いたかった」
声は普段より小さかった。けれど聞き返さなくても、分かった。
「ハルトが好き。最初は、空から落ちてきて、放っておけない人だった。椅子を直してくれて嬉しかったし、ご飯を一緒に作るのも助かった。でも、この頃は、何も直さなくてもいてほしかった」
彼女の頬が赤くなった。笑おうとして、唇だけが少し動く。
「本屋に誘いたかった時、あんな言い方になったのも、それ。席を取っておきたかったのも」
「うん」
「だから、私も。ハルトの恋人になりたい」
返事が聞こえてから、俺はようやく息を吐いた。心臓が急に静かになるわけではない。ただ、向こう側の答えを、もう想像しなくてよくなった。
ミルカが俺の手を取った。祭りの日と違い、人混みも橋もない。
「今度は、私から」
「ありがとう」
「お礼、変じゃない?」
「嬉しくて。他の言葉が出なかった」
彼女はそこで、いつものように笑った。左の頬にえくぼができる。俺は、それを見るだけでも嬉しいと、今はもう言っていいのだと思った。
「笑う所も好きだ」
「急に増やさないで」
ミルカは空いた手で自分の頬を隠した。その手まで赤く見えて、俺もつられて下を向きそうになる。
「まだ、ある」
「後で。いっぺんに言われると、顔が戻らない」
俺は頷いた。手はつないだままだった。
少しして、ミルカが紙の包みへ目を向けた。
「それ、今、開けてもいい?」
「うん」
手を離すのが惜しかったけれど、包みは両手で開けた方がいい。彼女は紙の折り目を順に広げ、小さなツバメを取り出した。
「おばあちゃんの木?」
「そう。家の名前と、君の旅に合うかなって。術具じゃないし、風で動くかもまだ試してない。掛けられる物として」
作った人間の説明は、つい欠点からになる。ミルカは俺の言葉を聞きながら、鳥を手のひらへ置いた。
「ハルトが作った?」
「うん。穴はラウラさんに開けてもらった」
「この羽、丸いね」
「細くすると割れるから。少しだけ」
「好き。この形」
彼女は紺の紐を持ち、鳥を目の高さへ上げた。木の影が卓へ落ちる。
「おばあちゃんの家の木が、またこの家に帰ってきたんだね」
「うん。形は変わったけど」
「今度はハルトがくれた。今日もらったって、覚えておく」
ミルカは包みの紙を畳み直さず、鳥を玄関の方へ持っていった。扉の内側、帽子を掛ける小さな留め具へ紐を通す。
俺は立ち上がり、後ろから見た。彼女が片手で鳥の向きを直す。外から帰った時、最初に見える所だった。
「ここなら、風が強くても持っていかれない」
「仕事の客が来ても見えるね」
「うん。私の家だから、私の好きな物を掛ける」
そう言って振り返った顔が、少し誇らしそうだった。紺の紐が落ち着くまで、小さな鳥は扉の内側で揺れていた。
ミルカが一歩近づいた。今度は俺が手を出す前に、彼女が尋ねた。
「抱きついてもいい?」
「うん。俺も、そうしたい」
俺は腕を少し広げた。ミルカがその間へ入る。肩に触れ、背中へ手を回すと、彼女の髪が俺の袖の上へ流れた。
どれくらい力を入れればいいのか、最初は分からなかった。彼女の腕が俺の背へ回り、少し強くなったので、俺も合わせた。
「ハルト、息してる?」
「してる」
「さっきより固い」
「慣れてないから」
「私も」
彼女が笑うと、俺の胸へ小さく振動が伝わった。さっきまで顔を見て知っていた笑い方が、今は違う場所から分かる。
俺は彼女の背へ置いた手を少し動かした。それだけで、ミルカが顔を上げた。
「帰る前に言ってくれて、よかった」
「帰ってから言うつもりだったら、待たせすぎたね」
「うん。手をつないだのに」
「ごめん」
「今、聞けたから、いい」
離れた時、彼女の髪が上着へ引っかかった。二人とも気づいて、同時に手を伸ばす。
「そのまま」
「うん」
俺が髪をほどくと、ミルカは耳まで赤くなったまま、自分で整えた。家へ入る時より、手つきが不器用になっている。
夕飯は少し遅くなった。鍋へ水を入れ、二人で食材を切った。告白したら、料理が全部できているわけではない。俺が豆を取ると、ミルカが隣へ来て、鍋をのぞき込む。
「恋人になって、最初に作るのが豆のスープ」
「嫌だった?」
「好き。家のご飯って感じ」
彼女は匙で塩を量り、俺に見せた。
「これくらい」
「味見もする」
「分かってる」
笑いながら、俺にも匙を渡してくれた。
食卓へ並べる時、彼女は自分の椅子を、いつもより少しこちらへ寄せた。肩が触れるほどではない。けれど俺が湯飲みを取ると、腕が近くを通る。
「ここ、狭い?」
「大丈夫」
「じゃあ、今日はこっち」
明日はどうするのか聞かなかった。多分、またこちらへ寄せる。
食後、俺が持ち帰る紙の中へ、ミルカの名前の下にもう一行を書いた。彼女が隣から聞く。
「今の、何?」
「好きな人と住んでいます」
俺は日本語を読み、分かる言葉にして伝えた。ミルカは顔を両手で覆わず、今度はちゃんと俺を見た。
「それ、言うんだ」
「言ってもいい?」
「うん。私も、お母さんに言う」
「まだ言わないんじゃなかった?」
「先に話したから、もういいの」
彼女は便箋を一枚取り出した。母親へ書く文字を、俺はまだほとんど読めない。名前の所だけ見つけると、指で確かめたくなって手を伸ばした。
「それ、ハルト。こっちは、今日のこと」
「長い?」
「少し」
「塩の話は?」
「書かない。もう前に話したから」
ミルカは笑いながら、最後の行を足した。宛名を書き、封をする。俺は自分の紙を畳んだ。二つの家族へ、同じ日について違う言葉で伝える。
夜、階段の手前で、俺たちはまた立ち止まった。それぞれの部屋はこれまで通りだ。ミルカは自分の寝室の鍵を指に掛けていた。
「おやすみ」
「おやすみ」
それで上がるつもりだったのに、彼女が俺の手を少し握った。
「明日も、好きって言っていい?」
「毎日、言ってほしい」
「分かった」
彼女は指を離した。俺はまだ、その手を見ていた。
「俺からも言うよ」
「うん。待ってる」
ミルカが先に階段を上った。銀髪の先が、曲がり角で見えなくなる。
玄関には、小さなツバメが掛かっていた。俺は灯りを消す前に一度見て、自分の部屋へ上がった。ここへ帰りたい理由を、今日はもう、遠慮の言葉へ置き換えなくてよかった。




