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Leg7 Change of Course ~進路変更~

 短かった梅雨が明け、待っていましたといわんばかりにセミたちが一斉に鳴き始めた。


初夏の熱気に包まれた羽田空港。

陽炎の向こうでは大型機が重いエンジン音を響かせながら離着陸を繰り返し、エプロンでは整備士やグランドハンドリングスタッフたちが汗を流しながら忙しく行き交っている。


数日前。


『少し相談したいことがあるので、お時間いただけませんか。』


榎本から届いた一本のメッセージ。

互いの勤務予定を照らし合わせた結果。

この日、榎本の勤務終了後に短時間だけ会う約束をしていた。


そして、今。


天野は現状を正しく理解することができなかった。

一体何故、こんなことになっているのか。


人通りの少ない通路の奥。


ひんやりとした壁に背を押し付けられた天野の目の前には、榎本が至近距離でこちらを見つめていた。


その綺麗な顔が、ゆっくりと近づく。

「あ」と思う間もなく、その艶やかな唇で口を塞がれた。

柔らかい唇で軽く食まれ、そのまま流れるように首筋をチュッと啄まれ、熱を帯びた吐息が肌を滑る。


「………………………え?」


最後につけた跡を軽く舌先でなぞると、榎本はスッと顔を上げて天野の動揺しきった顔をみつめ、穏やかな声で一言落とした。


「……可愛いですね」


いや?!待て!!

一体何が起きてるんだ?!


榎本は壁に手をついたまま、至近距離から天野の顔をじっと見つめた。


「やっぱり、天野くんがドストライクのタイプなんですよね……」


「なにがですかっ?!」


「でも」

「心をかき乱されるのは……」

「…………あの人、なんですよねぇ」


榎本は項垂れて深いため息をついた。


「…………榎本さん」


そんな榎本に、天野は思わず心配そうに声をかける。


すると。

再び顔を上げた榎本がニッコリと微笑みながら天野に爆弾を落とした。


「天野くん。地方の時からずっと好きでした」


シーーン。


天野へ壁ドンをしたまま微笑む榎本。

完全にフリーズする天野。

時間にして約30秒の沈黙が、重たくその場を支配した。


「…………え?」

「え????」

「いやいやいや」

「え????????」


現実を受け止めきれずにいる天野を見つめながら、榎本は「やっぱり可愛い」と思わず頬へもう一度キスを落とした。


「……………………えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!」


奥まった静かな廊下に、天野の盛大な絶叫がこだました。


「……あ、そろそろフライトの時間じゃないですか?」


榎本は腕時計へ視線を落とすと、何事もなかったかのように一歩下がった。


「お引き止めしてしまって、すみませんでした」


にこり。


いつもの穏やかな笑み。


「……………………」

「天野くん?」


「……………………はっ!」

「いやいやいやいやいや!!」


天野はようやく現実へ戻ってきた。


「ちょっと待ってください!!」

「はい?」

「はい?じゃないですよ!!」


「さっきの!なんなんですか?!」

「まぁ、色々と。確認です」

「なんの確認?!」


「好みじゃなくても、好きになることってあるんですね」


「え……」


「物凄く、不本意ですけど」

「それって……」


「時間、大丈夫ですか?」

「あ!」


「ほら行ってください」

「お気をつけて。良いフライトを」


天野は時間を確認すると、

「うわっ!」

と情けない声を上げ、榎本を何度も振り返りながらショーアップへ向かって駆け出した。


榎本はその後ろ姿を見送ると、スッキリとした気持ちで帰宅するのであった。


****************


慌ててショーアップを済ませた天野は、ホノルルのスリーレターコードが差し込まれたブリーフィングテーブルへと早足に向かった。


そこには備え付けのパソコンで今日のフライトデータや気象情報を冷静に確認している、鬼崎の姿があった。


「すみません、遅くなりました」

「ああ、用事は終わったのか?」

「はい」


そういうと、手早く互いのライセンスや資格証明書を確認する。


淡々と今日の天候や飛行ルート、積載量などフライトに必要な情報を確認する。


資料から顔を上げた天野は、鬼崎と目が合った。


……いや、違う。


鬼崎は、ずっと天野の首元を見ていた。


「天野、それはどうした?」

「え、なんですか?」

「首にある跡だ」

「首にある跡…………? あ!」

「どうした?」

「い、いや!なんでもないですっ!!きっと虫さされです!!!」


天野はさっき榎本に不意打ちでつけられた痕を思い出し、冷や汗を滝のように流しながら激しく目を泳がせた。


(あの時、跡つけられてたのかぁぁ!!)


鬼崎は慌てふためく天野を、無言のまま見つめていた。


「……そうか。」


それ以上は深く追及せず、鬼崎は再び手元のフライトデータへ視線を落とした。


周囲では他便のクルーたちがブリーフィングを進め、あちこちから会話やキーボードを叩く音が聞こえてくる。


天野も冷や汗を拭いながら慌てて資料へ視線を落としたが、鬼崎の放った「……そうか。」という短く低い一言が、どうにも頭から離れなかった。


一通りの確認を終えた二人は、ホノルル便の番号札をカウンターへ返却し、それぞれフライトバッグを手にブリーフィングルームを後にした。


クルー入口へ向かう静かな通路の途中。


「天野。」

「……はい?」

「少し来い。」


鬼崎は不意に足を止めると、近くにあった無人の会議室へと歩き出した。


会議室へ入りガチャリとドアが閉まるやいなや、鬼崎は天野の手を引き逃がさないように壁際へと立たせ、無言のまま天野の首筋に残る紅い跡を大きな指先でゆっくりと辿った。


「誰につけられた?」


肌を這う冷たい指の感触とその低く響く問いに、天野は思わずびくりと身体を震わせた。


「っ!」

「…………」


鬼崎はその顎をくいと持ち上げると、逃げる隙すら与えず、そのまま深く唇を塞いだ。


突然の口づけに思考が真っ白になり、天野は身を強張らせる。


息をつく間もなく執拗に重ねられる唇に、ただ戸惑うことしかできなかった。


「っはぁ……」


やっとのことで唇が離され、わずかに開いた口から荒い息を吸い込もうとした瞬間。


鬼崎の唇が、執着を示すようにそのまま首筋へと落とされる気配を察し、天野は慌てて鬼崎の肩を両手で押し返し、必死の声を上げた。


「ちょ、ちょっと鬼崎さん!なにするんですか?!」

「上書きをする」

「上書き?!」


鬼崎の口を覆いガードしようと伸びた天野の手を、鬼崎は片手で掴んでそのまま背後の壁へピタリと押さえつける。

そして、耳元で低く唸るような声を響かせた。


「榎本か」

「っ!」


図星を突かれ、ビクリと思わず反応した天野の顔を、鬼崎は逃さず見据えた。


「ち、違うんです!あの!これは……」


天野が必死に弁解しようと口を開くのを塞ぐように、再び容赦なく口づけが降る。


そのまま器用にネクタイを緩め、シャツのボタンを二つほど乱暴に弾くように外していく。


鬼崎の熱を帯びた指先が、肌に残る生々しい跡を意図的になぞった。


「っん、んんっ!!」


やばい、このままじゃ本当にヤバイ……!!

ここは会社の会議室で

しかもこれからホノルルへの搭乗前だ!!

絶対に阻止しないと!!!


天野は鬼崎の胸板を思い切り押し返して叫んだ。


「鬼崎さん!ここ社内です!」

「それに時間っ、フライト前です!」

「今はダメですっ!!」


その切実な声で、鬼崎の熱を帯びた動きがピタリと止まり、ゆっくりと顔を上げた。


「『今は』か。……わかった。じゃあ、続きは向こうに着いてからだ」


普段は滅多に表情を崩さない鬼崎が、口の端を不敵に釣り上げて意地悪そうな笑みを浮かべた。

そして、ひとり納得したような顔で部屋を先に出ていく。


「ち、違っ!そういう意味じゃ……」


会議室に一人残された天野は頭を抱え、

「そういう意味じゃないのにー!!」

と情けない悲鳴を上げると、慌てて鬼崎の背中を追いかけた。


搭乗機へと向かう通路を歩く間、天野は隣を歩く男に必死の形相で弁解を試みた。


しかし、鬼崎はそんな焦る天野を完全に無視し、ポケットからスマートフォンを取り出すと、迷うことなく一通の番号へと発信ボタンを押した。


呼び出し音が数回鳴ったのち、電話が繋がる。


「……俺だ。」

『鬼崎か。どうした?』


受話器の向こうから、落ち着いた声が届く。


「榎本が天野に、キスマークをつけた」

『…………え』


電話の向こうの空気が一瞬にして凍りつき、静まり返る。

数秒の空白のあと、相賀の声から余裕が消え去った。


『……どういうことだ?』


鬼崎は淡々と答える。


「知らん。今からホノルルだ」

「詳しくは榎本に直接聞け」


それだけ一方的に言い放つと、プツリと容赦なく通話を切った。


その一部始終を横で聞いていた天野の顔は、一気に血の気が引いて真っ青になった。


(言った!?)

(しかもよりによってキスマークってはっきり言った!!)

(そして完全に丸投げした……!)


鬼崎は相変わらず何事もなかったかのように、スマートフォンをすっとポケットへしまう。


「行くぞ」

「……は、はい」


重い足取りで歩きながら、天野は遠い空を見つめて心の中で手を合わせた。


(絶対、わざとだ……)

(あれは絶対わざと言った……)


(相賀さん、絶対すぐ電話する……)

(いや、電話じゃ済まないかも……)


そしてその頃の榎本は、自分が直面する修羅場の気配など微塵も感じず、穏やかで晴れやかな気分で帰宅の路を進んでいたのだった。


そして翌日。

静まり返った榎本のマンションの廊下。


ピンポーン。


控えめなチャイムの音のあと、相賀はいつものように持っている合鍵を静かに差し込み、ガチャリとドアを開けてリビングへと足を踏み入れた。


リビングへ入ると、すっかりオフモードでくつろいでいた榎本が、驚いたように顔を上げた。


一瞬だけ、その瞳が丸くなる。


「……やぁ」

「……久しぶり、ですね」


その落ち着いた一言が、相賀の胸を鋭く刺した。


ここ最近は仕事の都合もあり、何より相賀自身が榎本との距離感を測りかねて、自分から距離を取っていた。


榎本もそれを感じていたのだと気づき、胸の奥が締め付けられる。


「うん、久しぶり」

「ええ」


「こっちへは、今朝着いたんですか?」

「うん、朝イチ」

「そうでしたか」 


「ステイ2日で、帰りは早朝出る予定」

「……そうなんですね」


榎本は本を閉じてソファからゆっくりと立ち上がる。


「コーヒー淹れます」

「頼む」


以前と変わらない、いつも通りのやり取り。


でも、その”いつも通り”の空気には、ピリピリとした緊張感が張りつめていた。


相賀は静かに部屋を見回しながら、キッチンで手際よくコーヒーを淹れる榎本の背中をじっと見つめた。


そして、湯気の立つカップがテーブルに置かれたその瞬間。

耐えかねるように、初めて本題を切り出した。


「榎本」

「はい」


「……鬼崎から電話があった」


その一言で、コーヒーカップを持つ榎本の手がぴたりと止まる。


「……どういうことなのか、聞いてもいい?」


相賀はソファに座り、榎本を見つめながら静かに問いかけた。


その真剣な視線を受けて、榎本はわずかに目を伏せ、小さく息を吐いてから答えた。


「……確認です」

「確認?……なんの?」

「それは……」


口をつぐみ、言い淀む。

ふいと視線を窓の外へ逸らした榎本のその態度に、相賀の胸の奥で焦燥感が焦げるように広がっていく。


「……俺には、言えない?」


……言えない。

まさか『自分の好みのタイプを確認したかったんです』なんて。

口が裂けても言えるはずがない。


ましてや

『全然タイプじゃないのに、あなたを好きになってしまいました』


なんて――

恥ずかしすぎる。

そんなこと、死んでも言えない。


(無理……)

(絶対に説明できない……)


そんな思考が頭の中をぐるぐると巡るせいで、まっすぐに見つめてくる相賀の顔をまともに見れない。


下を向き、思わず自身の掌をぎゅっと握りしめていた、その時。


ソファに腰掛けていた榎本の前まで歩み寄ると、相賀は静かに膝をついた。


大きな両手で榎本の頬をそっと包み込み、その視線をゆっくりと自分へ向けさせた。


眼鏡の奥の瞳をじっと見つめたまま、静かに尋ねる。


「俺は聞きたい」


「天野じゃなきゃ、駄目だったのか?」


「……それとも」

「天野のこと、……まだ好き?」


核心を突く問いに、榎本の身体がぴくりと反応した。


その反応に、相賀の表情がわずかに曇る。


これまで見たことのないその表情に驚き、榎本の中で張り詰めていた感情は、堰を切ったように言葉となってあふれ出した。


「ち、違います!」

「……天野くんのことは、確かに好き、でした」


「でも。今は、もう……」


気まずさのあまり、また相賀から視線を外そうとする。


しかし相賀は頬を包んだまま、何も言わず、ただ静かに榎本の次の言葉を待っていた。


その逃げ場のない沈黙に耐えきれず、

榎本の本音が、わずかに震える声で零れ落ちる。


「……確認、したかったんです。」


触れられている頬の皮膚が、じんわりと熱を帯びていくのが自分でも分かった。


「天野くんに触れて、どう思うのかを」


頬を包み込んでいる相賀の大きな指先が、わずかに強張る。


「でも。何も、変わらなかった……」


言い知れない恥ずかしさで、喉の奥がキュッと詰まる。


「気がついたら」


耳まで熱が駆け上がる。


「……全然、タイプじゃないあなたを」


「好きになって、いました……」


耳まで真っ赤に染め上げた榎本は、

これ以上は無理だと唇をきゅっと固く結び、視線を伏せた。


その瞬間。


大きく見開かれたアイスブルーの瞳には、ただひとりだけが映っていた。


息をすることすら忘れたように、ただ見つめる。


榎本の紡いだ言葉が、

ゆっくりと相賀の胸の奥深くへと落ちていった。


「榎本」


愛おしげに名前を呼ばれ、視線をまた相賀へと戻される。


柔らかく微笑むその瞳と目が合った瞬間。

言葉の代わりに、優しく唇を塞がれた。


「榎本。好きだよ」


繰り返し、唇を食まれ、

耳元で、甘い声で何度も囁かれる。


今までとは違う、熱く甘いキスにくらくらと心地よい目眩がする。


思わず、その広い背中へと両腕を回し、その仕立ての良いシャツの布地をぎゅっと握りしめた。


榎本の、その小さな仕草ひとつで、

相賀の心が粟立つ。


それに応えるように。

相賀は榎本をギュッと抱き寄せ、互いの額をあわせる。


そして。


確かめるように

もう一度、深く口づけを落とした。


どのくらいの時間、そうしていたのだろう。


すっかり力が抜け、耳まで真っ赤なまま俯いている榎本を、相賀は後ろからそっと包み込むように抱き寄せた。


背中越しに伝わってくる互いの体温が、驚くほど心地いい。


相賀の広い腕の中へと収まった榎本は、観念したかのように大人しく相賀の胸にもたれかかっていた。


相賀は満たされたように目を細め、その肩へと自分の頬をそっと寄せた。


「……榎本。」


名前を呼ぶだけで嬉しくて仕方がない。

榎本が腕の中にいる、その事実だけで胸がいっぱいだった。


一方の榎本はというと。


(……やってしまった。)

(好きって、言ってしまった……。)


限界突破した羞恥心が全身を駆け巡り、とてもではないが後ろを振り返る勇気など微塵もなかった。


どこか気恥ずかしさを残した静かな時間が部屋を流れる。


その沈黙の中、ふと榎本が耐えかねたように小さく呟いた。


「……天野くんとのキスとは、全然違いますね……」


ぽつり、と何の気なしに零れてしまった独り言。


その瞬間。


榎本の身体に回された相賀の腕が、ぴたりと動きを止めた。


「……え?」


ついさっきまで幸せそうにとろけていた表情が、一瞬で固まる。


榎本は不思議そうに首を傾げた。

「え?」


「……今、何て言った?」


「ですから……天野くんとのキスとは、全然違うな……と」


さらりと悪気なく繰り返されたその爆弾発言に、相賀の思考回路が完全に停止した。


(……待て。)


(榎本は今、はっきりと『天野とのキス』と言ったか?)


鬼崎から聞いたのは。

“キスマークを付けられた”

――それだけだった。


「……榎本。」

低く、温度のない声で名を呼ぶ。


「……天野とキス、したの?」


榎本は一度だけ瞬きをすると、不思議そうに振り返った。


「……え?」


そのあまりに無自覚な反応を見た瞬間。

相賀は最悪の形で確信した。


(……聞いてないぞ、そんなこと。)


一方の榎本も、相賀の表情を見てようやく何かがおかしいと気がついた。


「……え。」


「……もしかして、鬼崎さん……そこは言ってなかった、んですか?」


部屋の中に、氷点下のような沈黙が落ちた。

時計の秒針の音だけが、やけにゆっくりと流れていく。


相賀は榎本をしっかりと抱き締めたまま、一言も発しない。


ただ、榎本の身体を縛る腕の力だけが、じわりじわりと重く、逃がさないように強度を増していく。


(……鬼崎)


(お前……)


(そこが一番大事だろう……!!)


完全にフリーズして笑顔のまま目が座っていく相賀の姿を見て、榎本は身の危険を本能で察知した。


(……まずい。墓穴を掘った)


思わず後ずさろうと身じろぐ。


しかし、逃がさないとばかりに後ろから回された腕に、がしっと力が込められる。


「あ、あの!離してもらえ……」


「……ねぇ。」

「俺にも、つけて」


榎本は驚愕のあまり、目を丸く見開いた。

「……はい?」


「天野には、したんでしょう?」

「いや、あれは……!」


「俺にも」

「む、無理です!」

「絶対に嫌ですっ!!」


再び、シンと冷たい沈黙が落ちる。

そして


「……そっか」


と言うと


「じゃあ、俺が榎本につけるから」


と、相賀は有無を言わせぬ笑顔で宣言した。


(め、目が!笑ってない……!!)


こうして。

榎本の貴重な二日間の連休は、人生初の激しい嫉妬に狂った相賀に片時も離してもらえない、予想外すぎる波乱の休日へと様変わりしてしまった。


後に榎本は、この日のことを思い出しながら、


(……あれは、本当にひどかった)


と、耳の先まで真っ赤に染め上げながら遠い目をするハメになる。


そして、その数日後。

羽田空港の職員用エレベーターで、運悪く鉢合わせた榎本と天野。


密室の中で二人はふと鏡越しに、それぞれの首筋に残る、どう言い訳しても消えない真新しい無数の痕を目撃してしまった。


「……」

「……」


二人は一言も言葉を交わすことなく、ただ静かに、そして気まずそうにスッと視線を逸らした。


――そう。


二人は互いの身に起きた悲劇の全貌を、

その瞬間、一言の会話もなく完全に察したのだった。




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