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Leg6 Lost Separation〜間隔喪失〜

 どんよりとした曇り空の下。


羽田空港のターミナルビルから見えるエプロンは、梅雨の重たい湿気に霞み、航空機たちの誘導灯だけがぼんやりと浮かんでいた。


いつもの職員ロビー。

淹れたてのコーヒーの香りが、緊迫した空気をわずかに和らげる。


天野、鬼崎、早川、橘はソファに腰を下ろし、談笑しながら束の間の休息を過ごしていた。


しかし、彼らの視線は、ロビーの隅にある不思議な光景に釘付けになっていた。


その視線の先では――


榎本へ近づき、あと少しで手が触れそうな距離で、ピタリと動きを止める相賀。


その気配に気づき、遠目でもわかるほどにびくっと肩が跳ね上がり真っ赤になって固まり、一歩引く榎本。


そのまま、まるで時間が止まったかのような沈黙が流れる。

数秒後、再び相賀が距離を詰め、また固まる。


この異様な光景が、目の前で既に三十分以上もエンドレスリピートされている。


「……ねぇ。あれ何?」


早川が手にした缶コーヒーのプルタブを弄りながら、呆れたように呟く。

鬼崎はチラリとそちらを一瞥しただけで、興味なさそうに視線を戻した。


「放っておけ。」

「ここ最近、ずっとあんな感じなんだよ」


天野が苦笑いしながら肩をすくめる。

橘もまた、冷めた目でその光景を見つめ、低い声で言った。


「距離感を見失っているな」

「いや、あれなら中学生の方がまだ進展するって」


早川が吹き出す。

しかし、当の二人には、外野のそんな声など全く届いていなかった。


(今まで通りに接することができない……)

(どうやってあしらっていたっけ。普通の距離感って何ですか……)


(というか、何でこの人は毎回寸止めなんですか!?)


榎本は、内側で渦巻く感情に翻弄されていた。


相賀を好きだと自覚して以来、今まで疎ましくさえあったはずのあの距離が、今は異常なほど特別な意味を持って迫ってくる。


近づかれるだけで暴れ出す胸の鼓動。

ふと鼻をかすめる相賀の匂い。


――全部、相賀アイツのせいだ。


触れられる期待。

それが現実になることへの羞恥心。


榎本はこんなにも動揺してしまっている自分が恥ずかしくてたまらなかった。


冷静に、いつも通りの自分でいたいのに、心臓の音は大きくなるばかりで。

結果として一歩逃げてしまう。


一方の相賀もまた、榎本の異変に気づいていた。


あの榎本が、自分を意識して照れている。

恥ずかしがってる。

…………可愛い。


その事実に、相賀の理性が悲鳴を上げる。


(やば)

(今触ったら、絶対止まらない)

(抱き締めるじゃ、足りない)

(キスだけで終わる自信、ない)

(…………ダメだ)


脳内で瞬時にシミュレーションを重ね、相賀は全理性を総動員して、ギリギリのところで踏みとどまっていた。


そんな奇怪な攻防を鬼崎は横目で見て、静かにコーヒーを一口飲む。


(……耐えている。あの相賀が)


内心で小さく感嘆していた。

だが、ついに榎本が限界を迎えたらしい。


「……もう帰ります」


疲れ切った様子で大きな溜息を吐くと、榎本は足早にロビーを後にした。

相賀はその背中を見送ると、力なく鬼崎の隣のソファに深く沈み込み、項垂れた。


「……危なかった」


その呟きに、天野が首を傾げる。


「何がですか?」

「触れたら終わってた」

「……ひょっとして、ここ最近のあの動きって全部耐えてたんですか?」


相賀が無言で頷く。


「意外です……。相賀さんって、我慢するタイプだったんですね」


相賀は首を横に振った。


「違う。今までは、止まる必要がなかったんだ」

「……はい?え、どういう意味ですか?」


早川と天野が怪訝な表情で聞き返す。

それまで沈黙を守っていた鬼崎が、重い口を開いた。


「こいつは、今まで我慢したことがない」


ロビーの空気が一瞬で凍りついたかのように静まり返る。


「「え?」」


相賀がコクリと頷き、鬼崎が淡々と続けた。


「こいつが望めば、ほとんどの相手は受け入れる。だから、我慢する必要がなかったんだ」

「……なるほど。だから『待つ』という概念がないんですね」


橘の冷静な指摘に、鬼崎が頷く。

そんな二人とは対照的に、天野と早川は

「そんなこと本当にあるのか?!ハイスペイケメンってすごっ!!」と、ただただ慄くばかりだった。


周囲の反応をよそに、相賀はまた静かに言葉をこぼした。


「初めてだ。止まりたいと思ったのは」


その一言が持つ重みを、長い付き合いの鬼崎だけが理解していた。

相賀は真顔のまま、決定的な言葉を告げる。


「……もし、理性飛んだら」


その声に、その場にいた全員の視線が相賀へと向く。

嫌な予感しかしない。

誰も続きを聞きたくない。


なのに、相賀はそのまま淡々と続けた。


「榎本のこと、三日間は抱き潰す。」


ロビーがしんと静まる。

数秒の静寂。

相賀以外の全員が固まった。


(…………え)


最初に口を開いたのは天野だった。


「そ、そんなに我慢、してたんですか……?」


天野が青ざめて尋ねると、相賀は深刻な表情で無言のまま力強く頷いた。


その姿を見た天野は、思わず心の中で

(榎本さん! 逃げてーーっ!!)

と叫んでいた。


ロビーのソファで深く息を吐く相賀に、鬼崎が短い忠告を送る。


「……飛ばすなよ」

「分かってる。だから止めたんだ」


一方、ひとり家路を急ぐ榎本の頭の中は、激しい強風に煽られる風車のように思考が回転していた。


(好きって、何ですか……)


(何で、あんなに心臓がうるさいんだ……)


(あんなの、天野の時はならなかった……)


夜風を切りながら、榎本は自分の胸に手を当てる。


(……確認、しないと)


(そう。確認を、しないと)


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