If ~もしも『○○しないと出られない部屋に閉じ込められたら』 鬼崎・相賀編
本編とは別の、『もしも』のお話。
「○○しないと出られない部屋」に
よりによって、この二人が閉じ込められた。
果たして無事に脱出できるのか……?
それは、羽田空港のオペレーションセンター裏手にある、ごくありふれた休憩室のはずだった。
乗務を終えた鬼崎と相賀が、二人でその一室へ足を踏み入れた瞬間。
背後の自動ドアが不自然な電子音を立ててロックされた。
「おや?」
相賀と鬼崎が後ろを振り返る。
閉じたドアの上にある電子掲示板に文字が浮かび上がっていた。
『エラー:これより30秒間、室内の2名でディープキスを実行してください。完了するまで解錠されません』
「…………」
「…………」
凄まじい沈黙が室内に満ちる。
いつもなら周囲を巻き込んで楽しむ相賀も、さすがに完全に真顔になった。
そして鬼崎の表情は、まるで計器の重大な故障を検知したときのように冷徹を極めている。
「え、なにこれ?」
「なんの冗談だ」
二人でドアを確認して開閉を試してみるが、うんともすんとも言わない。
30分ほど室内を調べたり、ドアと格闘してみたが開く気配は微塵もなかった。
相賀がふぅ、と短く息を吐き、視線を鬼崎に戻した。
「……俺、早く榎本の所へ行きたいんだよね」
「……俺もさっさと家に帰りたい」
二人の意見が揃う。
「……じゃ、やる?」
「……時間の無駄だ。さっさと終わらせる」
彼らはプロフェッショナルだった。
これが「外に出るための任務」であると割り切った瞬間。余計な感情を排して一発でクリアすることを選ぶ。
鬼崎が相賀の肩を掴み、相賀が鬼崎の顎に手をかける。
互いの唇が重なる。
一切の甘さはない。
ただ条件を満たすためだけの30秒を、二人は無言で消化した。
やがて、電子ロックが『ピッ』と小気味よい音を立ててドアが解錠された瞬間。
二人は文字通り弾かれたように距離を取り、互いに顔を逸らした。
そして無言のまま、さっさと退室して部屋を後にした。
**************
自動販売機の前で、相賀が投げた缶コーヒーを鬼崎が片手で受け取る。
「プシュ」と缶を開ける音が誰もいないロビーに虚しく響いた。
「…………」
「…………」
重く、果てしない、長い沈黙。
「はぁぁぁぁぁ…………」
「はぁぁぁぁぁ…………」
二人の機長から同時に、魂の底から絞り出したような長い、長い溜息が漏れる。
普段の業務ではどれほど厳しい状況でも決して文句を言わない鬼崎が、珍しく眉間を深く押さえ、低くぼやいた。
「……キツい」
「いや、俺もキツい……。人生で初めてだよ、こんな精神的ダメージ」
「俺もだ」
完全にへこんでいる相賀に、鬼崎も同意の返事を返す。
二人にとって、「相手がコイツだった」という事実こそが、この出来事最大のダメージだった。
「……これは恋人だから、成立するんだな」
「そういうことだ。……天野は偉大だ」
「うん。榎本って本当に偉大」
妙なところで深く納得し合った二人は、残ったコーヒーを一気に胃に流し込む。
「これさ、天野に言う?」
「言うわけがない。墓まで持っていく」
「だよな」
再び、流れる重い沈黙。
「忘れる」
「忘れよう」
鬼崎が口を開く。
それに同調して相賀もうなずく。
一秒でも早く、この最悪のエラーログを脳内から消去する。
――その結論に達した二人は、何事もなかったかのようにそのまま帰路につくのであった。
**************
相賀と別れてわずか数分後。
鬼崎は運航部門の通路で、たった今フライトから戻った天野の姿を捕捉した。
「天野」
「あ、鬼崎さん。お疲れさまです」
いつも通りの穏やかで素直な天野の声。
それを聞いた瞬間。
鬼崎の脳内防衛システムが「今すぐ相賀の残像を完全に上書きしろ」と最大出力でアラートを鳴らす。
「え、ちょ、鬼崎さん!? どうしたんですか?」
「少し付き合え」
「え?」
そう言うと、鬼崎は無言で天野の腕を掴み、人気のない非常階段の踊り場へと引っ張っていった。
そして。
何事かと驚く天野を引き寄せ、問答無用で唇を塞いだ。
「ん、んん……っ!?」
突然の、深く容赦ない口づけに天野は完全に固まる。
ただただ驚きと恥ずかしさで顔を真っ赤にする天野。
その素直すぎる反応に、鬼崎はようやく胸のつかえが下りたような気がした。
相賀の残像をチリ一つ残さずかき消すように、鬼崎はさらに深く口づけた。
いわば「上書きフライト」である。
「もう行ってもいいぞ」
「えぇぇっ!? 急に何なんですか一体!」
赤くなった唇を押さえ、顔を真っ赤にしてツッコミを入れる天野。
その愛らしい姿を見て、鬼崎は(……やはり落ち着く)と内心で深く安堵し、いつもの寡黙な表情に戻って歩き出した。
完全に不条理なとばっちりを受けた天野だけが、「本当に何だったんだ……」と踊り場で呆然と立ち尽くしていた。
**************
一方その頃。
相賀は羽田空港の管制官事務所前へと直行していた。
目的はただ一つ。
脳内に残る鬼崎の無愛想な顔を、最愛の人で跡形もなく秒速で塗り替えること。
定時を少し過ぎた頃。
榎本が自動ドアから姿を現した。
「お待たせしました」
「榎本」
「え――」
という言葉になる前に、相賀は榎本の細い腰を強引に引き寄せ、出会い頭にその唇を深く塞いだ。
「……っ!?」
あまりの暴挙に、榎本の目が驚愕で見開かれる。
慌てて相賀の肩を押すが、相賀の長い腕はすでに榎本の背中をがっちりとホールドしており逃げられない。
抜群のスタイルを誇る二人のキスシーンは、まるで映画のワンシーンのように完璧に絵になっていた。
そのため、通路から出てきたばかりの後輩同期の管制官たちの視線を一瞬で釘付けにした。
「ん……っ!んん……!!」
情熱的で濃厚な、たっぷり30秒間の「強制上書きミッション」。
ようやく相賀が満足そうに唇を離した瞬間。
榎本は酸素を求めて微かに呼吸を乱し、その白い肌を耳の付け根まで真っ赤に染めていた。
そして次の瞬間。
周囲の状況を認識するよりも早く、榎本の口から完全なる条件反射の怒声が飛び出した。
「アンタは何考えてんだ!? 場所を選べと!いつも言ってるだろうっ!!」
事務所前によく通る凛とした声が響き渡った。
一瞬の静寂の後。
自動ドアの付近で、社員証を首から下げたままの同僚管制官たちが石像のように固まっているのが見えた。
「…………」
「…………」
見ていた管制官たちは一斉に、全く同じ感想を脳内で勝手に補完する。
(……あ、『いつも』なんだ……)
(場所を選べば、普段は『オッケー』なんだ……)
そんな同僚たちの姿をみた榎本は慌てて口を開いた。
「ち、違うんです、今の言い方は……!」
普段本心が読めない榎本が、必死に訂正している。
完全にパニックを起こして額を押さえた。
「……明日から仕事に行きたくないです……」
「あはは!ごめん。『いつもしてる』って認めちゃったね」
楽しそうに肩を震わせる相賀は、まだこちらを呆然と見ている同僚たちの気配を察知すると、悪戯っぽく口元を上げ、榎本の頬に「ちゅ」と追い打ちのキスを落とした。
「ッ……! もう、今日は四時間みっちり説教ですからね!!」
後ろでは同僚たちが
「榎本先任って、相賀機長にはあんなに素が出るんだ……」
「見なかったことにしよう」
と、さらに深い誤解(事実)を抱えたまま、気まずそうに散っていった。
こうして。
愛する人とのキスで上書きをした機長二人は
「やっぱりうちの恋人が世界で一番だな」という絶対的な確信を、その胸に深く、深く刻んだのだった。




